哲学学者というのは、カントの手稿のインクの濃さで執筆年代を特定する仕事を一生かけてやったアディッケスみたいな偉人に対してだけ使っていい称号だろう。
2012-04-21 17:08:44自筆原稿や様々な版を照合しながらテキストのクリティカル・エディションを作る作業のことを、果たして何学と呼べばええんでしょうな。
2012-04-21 17:19:50「[...] 西洋古典学の特色は何であるのか、とあらためて問うとなれば、その精髄は、文献学、別名、本文校訂に求められよう。これはテクストを緻密に読み、かつ他の諸テクストのありようとも比較検討して、いっそう正確な校訂を施す知的な作業である」http://t.co/FkLzJKLl
2012-04-21 19:32:14「[...] ポリツィアーノ、スカリジェルを経て、19世紀のラハマン Karl Lachmann(1793―1851)に連なる本文校訂論の確立は、ルネサンスの源泉回帰を発端としている」http://t.co/DfGBuasi
2012-04-21 19:40:26@muto_kohei 図書学とか、書誌学という分野も同様の研究を含むようですね。いずれにしても、学部生段階でそういうトレーニングを積む機会があればよかったんですが……。
2012-04-21 20:32:17@odg67 聖書学ないし西洋古典学を離れて、本文校訂論を身につける機会は非常に限定されているように思いました。一橋の社会科学古典資料センターの講習会は資料の管理・保存の方法が中心であるものの、回によってはご関心と重なる講習もある模様です。http://t.co/nEPSt3rR
2012-04-22 03:40:51特定領域研究「古典学の再構築」ホームページにて、『第I期 研究成果報告』をダウンロードすることができる。http://t.co/tEozr0D0
2012-04-22 03:56:11@muto_kohei 著作集が編まれる際に本文はどのようにして確定されるのかということに関心があるのです。新版の『漱石全集』に寄せられた様々な批判(例 http://t.co/bVlGL6En )を読んだ際、そういえばそういうことを全く考えてこなかったなと痛感したので。
2012-04-22 04:11:31というか、勉強不足故に、史料批判に関してはほぼ完全に「決定版」として流通している著作集の編者の方針を丸呑みするしかないのですよね。
2012-04-22 04:21:58@odg67 @muto_kohei 英語では textual criticism, ドイツ語では Textkritik と言いますね。日本語では本文批評という訳語があてられています。 http://t.co/lv4HcoaO
2012-04-22 04:57:22@odg67 @muto_kohei 古典学や聖書学から来た用語だと思いますが、近代文学でも本文が問題になることは多いと思います。岩波の『文学』でもこんな特集がありましたね。2010年9, 10月号『草稿の時代』 http://t.co/rqs4gknL
2012-04-22 05:26:22@shionkono @muto_kohei ありがとうございます。"lower criticism" とも言うのですね。地を這うような作業ということなのでしょう。こういう wikipedia の記事があるという辺りが、英語圏のアカデミズムの凄さなのでしょうね。
2012-04-22 05:46:10@shionkono @muto_kohei ありがとうございます。興味深い特集ですね。早速入手して読みたいと存じます。
2012-04-22 05:46:45資料批判といえば、私の師匠(の一人)は、活字化されていない手稿を現地まで見に行って、それを元にしてテキストに起こすということをやっていて、傍から見ていて「俺には無理だ・・・」とへこむ事が多々ある
2012-04-24 00:26:27私自身の研究を紹介したときに言われた第一声が「マニュスクリプトはどこにあるの?」だった。これは忘れないだろう。
2012-04-24 00:28:24@amenitydry マルクスとかヴェーバーの悪筆を読める達人は世界にほとんどおらず、そういう達人が世を去ったら刊行中の著作集は頓挫する……みたいな冗談(?)をきかされたことは結構あります。真偽は知りませんが。
2012-04-24 00:29:29@odg67 ベンタムの場合は活字化されていない手稿自体をweb上に公開して、テキストクリティークを世界中で行うという史上初の試みに出ましたね・・・
2012-04-24 00:34:46