安藤馨氏の『統治と功利』第一章のノート

@SuzuTamakiさんが連投されていたツイートをまとめました!何らかの公共的コミュニケーションの素材になればと思っています!!
7
珠洲 環 @SuzuTamaki

非線型性 non-linearity って、線型(数直線?)におい ては一定の法則で無限につきすすむが、そうではなくある臨海 点を越えると大きく変化しうる、法則を逸脱しうる系のことを 指しているのかな。

2010-06-15 03:46:13
珠洲 環 @SuzuTamaki

身近な人に親しみを覚えるのと、直近の自己にプライオリティ を与えるのとは類比的だな。…いずれも遠近法的倒錯とかって 呼んでも怒られないかしら? ちなみにこの用語ってニーチ ェが源?

2010-06-15 03:49:06
ととじゅに @totojuni_s

寝る。宣伝代わりに再掲しとこう。「安藤馨の『統治と功利』第一章のノート」のトゥギャッターまとめ→ http://bit.ly/dBkAQb @SuzuTamaki氏のツイート集です。近代主義の肝である功利主義の性質論についてノートされてます。面白いのでお勧め。

2010-06-15 03:50:41
珠洲 環 @SuzuTamaki

空間的他者(私ではない人)性と時間的他者(過去未来の私)性とがあって、前者が常識的な他者ですね。 @totojuni_sanche

2010-06-15 03:57:01
珠洲 環 @SuzuTamaki

@totojuni_sanche で、前者であれば問題なく他者なので、空間的他者の時間的他者というのは同じく空間的他者の一類型に過ぎないため問題視する必要はないかと思っています…これで答えになっているかな?

2010-06-15 03:57:38
珠洲 環 @SuzuTamaki

@totojuni_sanche 原理的功利主義においては私と他者とのあいだの厳密な差異を前提としております。ので、だから「誰が他者か」は重要な問題。空間的他者は問題なく他者なので、それの時間的な他者とかも同じく空間的他者であるので無問題。

2010-06-15 04:00:16
珠洲 環 @SuzuTamaki

レレバントってどういう意味なのかしら。あとで電子辞書で調べる。僕もそろそろ寝るか…

2010-06-15 04:01:08
ととじゅに @totojuni_s

@SuzuTamaki なるほど。原理的功利主義は私と他者の峻別を前提にする……まぁ当たり前ですね。となると、その前提で「純粋な利他的行為」という行為を道徳的に解するとどうなるんでしょ?やはり自己統治(自己福利最大化)の一環としての通時的な自己規律として解される他ないのだろうか。

2010-06-15 04:14:28
珠洲 環 @SuzuTamaki

歴史的功利主義と原理的功利主義との違いはその目的が公共的 であるか私的であるかという違いに過ぎないので、公共的功利 主義、私的功利主義という名前でもいいんだけれど、それだと 統治功利主義と個人道徳的功利主義との対比にパラレルな対比 であるかのように思われてしまう。

2010-06-15 04:14:33
珠洲 環 @SuzuTamaki

歴史とか原理といった言葉は随分とイデオローグな語彙ではあ る。命名に不必要な政治的主張や価値判断を加えてはならない 、という観点からはあまりいい命名とは言えない。

2010-06-15 04:18:35
珠洲 環 @SuzuTamaki

しかしまあ、我々は歴史的に誤解され蔑ろにされてきた功利主 義概念を原理に立ち戻って救おうとする立場であり、悪しき歴 史主義者に対する正義の原理主義者である!というような動機 もあるのでまあ、そういう気分に則った適切な(しかし非公共 的な)命名かもしれないw

2010-06-15 04:21:14
珠洲 環 @SuzuTamaki

功利主義の脱構築……いや、なんでもないです。

2010-06-15 04:21:46
珠洲 環 @SuzuTamaki

ちなみに(存在論的)脱構築は、この場合で言えば、歴史的功 利主義に対して原理的功利主義を提出すること、ではなくて、 歴史的功利主義に対する原理的功利主義がありうることを確認 し、この対立の存在を暴き出すこと、なんだよね。微妙な差異 だけれど。

2010-06-15 04:24:04
珠洲 環 @SuzuTamaki

@totojuni_sanche 原理的功利主義が唯一服する功利性原理は「善とは快楽(幸福)である」というテーゼなので、いわゆる「純粋な利他的行為」も、自己福利最大化の手段でしかないと解される他ありません。自己福利以外の善は(歴史的功利主義にも)ありえません。

2010-06-15 04:28:07
珠洲 環 @SuzuTamaki

@totojuni_sanche もちろん歴史的功利主義における「純粋な利他的行為」は、最大多数の「自己福利」の合計を最大化するという意味で(やはり道具主義的に)価値を持ちます。

2010-06-15 04:31:57
ととじゅに @totojuni_s

@SuzuTamaki そうなると、原理的功利主義概念に於いては福利概念自体が量化されうるものだということになるのかな。福利の内容が可塑性を持っていれば、純粋な利他性―究極的な自己犠牲としての自発的な殉死など―も、自己福利として記述可能になる………とか。

2010-06-15 06:27:36
珠洲 環 @SuzuTamaki

@totojuni_sanche 原理的功利主義に限らず一般的に功利主義というものは、福利概念の量化から始まりました。「最大多数の最大幸福」とは幸福が数えられ比較されうるもの、という前提から言われた言葉です。 *Tw*

2010-06-15 09:16:09
珠洲 環 @SuzuTamaki

@totojuni_sanche もちろん、幸福の数量化は批判も多く、その反省から、個々人の選好(望む対象のアドホックな序列)が多様であることを前提とした選好功利主義という立場もあります。安藤氏は選好功利主義には批判的でしょうが、私はこちらに共感を示します。 *Tw*

2010-06-15 09:17:57
珠洲 環 @SuzuTamaki

@totojuni_sanche なにはともあれ、歴史的功利主義にも、原理的功利主義にも、幸福(福利)を量化できるとする立場とできないとする立場とがあります。また、自発的な殉死ももちろん自己福利として記述可能だと思います。 *Tw*

2010-06-15 09:19:34
珠洲 環 @SuzuTamaki

@totojuni_sanche ちなみに記述という言葉は何を意味するのでしょう。統治者が法制度への記述を行う場合、自殺や殉死を推奨する規範は結果的に幸福を減少させるおそれがあるので、功利主義的に考えて記述をためらう場合が多いでしょう。 *Tw*

2010-06-15 09:21:32
珠洲 環 @SuzuTamaki

@totojuni_sanche 歴史的功利主義(公共的功利主義?)における個人道徳的功利主義の場合も、他者の(自分の死による)不幸を避けるため積極的には求めないでしょう。原理的功利主義(私的功利主義?)におけるそれであれば記述することに特に問題はないと思われます *Tw*

2010-06-15 09:22:50
珠洲 環 @SuzuTamaki

@totojuni_sanche 平尾氏は、功利性原理からだけであれば自殺も容認されざるをえないと述べています。彼の目的は功利性原理に基礎を置いた一般倫理の構築(歴史的功利主義に近い?)にあるので、最終的には功利主義的に自殺は許されないものとしますが。 *Tw*

2010-06-15 09:24:48