コミュニケーションの話
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また、その人があたらしく街を再建しようとも一度失われてしまったものたちは絶対に帰ってこないからです。そういう前提に立つと、僕は原理的に人間にはあらゆることに対して責任を取ることが出来るほどの能力は備わっていないと考えざるを得ないというか。(続く)
2010-06-14 15:48:24人間はそんなに優れた存在ではないのではないか、責任という概念に耐えられるような主体というものがそもそも幻想なのではないか、という疑念を抱かざるを得ません。だから埋め合わせに何かすることは無論必要ですし、要請されてしかるべきなのですが、結局「原理としての責任」みたいなものに(続く)
2010-06-14 15:50:30@simada_net そう考えると、「責任を取る」と言われている概念も、実は損失補填の問題ではなくてコミュニケーションの問題だ、と言うことができそうですね。というかたぶん本丸はそっちで。
2010-06-14 15:51:05@simada_net さらに言えば、現実の埋め合わせは「誰か埋め合わせできる人が埋め合わせれば、それでいい」という気もするんですよね。社会的には無責任だ!という返事が返ってくるだろうパターンですが、自動車損害保険ってまさにそういうシステムだろうと。
2010-06-14 15:52:43耐えうるほど人間は強靭な存在ではないのではないか。(ちなみに個人が「原理としての責任」に耐えうると仮定したのが近代と言う時代、そしてその根拠になったのが「理性≒論理性」だと考えています)
2010-06-14 15:52:56@simada_net そうすると元の話に戻すと、「思想を転換しました」ということも、実際に思想が転換されているかどうかは「実はほとんど(全く?)関係なく」、コミュニケーションで「その話を信じてもらえるかどうか」がすべて、ということになりますよね……。
2010-06-14 15:54:21@simada_net というか思想はそもそもコミュニケーションを介してしか見える化できないものだから、結局本丸はコミュニケーションということか……。しかも、大きな物語の時代と違って、現代は瞬間芸でわかりやすく咀嚼済みのコミュニケーションしか通らない時代。
2010-06-14 15:55:49@akami_orihime そういう、実は本丸がコミュニケーションというのは、全く正しいと思います。そしてそれは「人間は良いことをなす」のではなく「人間は’まだマシ’なことしかできない」という諦念の下に現実的に行われることなので、
2010-06-14 15:56:04「お前は一度ああ言った」とか「一貫性が・・・(日本の場合は限りなく、"いままでこうしていたから”という現状肯定に近い)」とかにこだわって、現実を良い方向に向けないのなら意味がないんですよね。こんな僕ですからハンス=ヨナスというユダヤの学者の『責任と言う原理』が全く理解不能でしたw
2010-06-14 15:58:35多様性をどう担保するか、という観点から見ると、すべての価値付けがコミュニケーション能力を通じてしか行われない状況というのはあまり良くない気がする。コミュニケーションという評価関数を通じた価値付けしか行われない、ということは、評価自体の性質がコミュニケーションの性質に依存する。
2010-06-14 16:00:38@akami_orihime あるアメリカの学者が「思想史的対立は結局、性格の対立にすぎなかった」と言ったりしていますw僕はそれが真実じゃないかと思います。異なる性格類型同士でずっとディスコミュにケーションを続けてきた、みたいな。無論互いに良い影響を与え合ったこともあるはずですが
2010-06-14 16:01:06@akami_orihime 僕はコミュニケーションの仕方が、主に「思想」「批評」と呼ばれることに従事しておられる方々の界隈では「言語・論理によるコミュニケーション」に限定されているのが問題だと思います。
2010-06-14 16:04:14@akami_orihime これは正に多様性の問題で、多様性といいながら批評界隈ではロゴスの一極支配が続いている。だから僕はそうした支配を一度突き放すためにもソシュール・記号論そして構造主義でいけばいいのではないか(続く)
2010-06-14 16:06:18@simada_net 確かにそういう側面はあるんですよね……。ただ、言語・論理のみをコミュニケーション手段として使うという「縛り」をかけることで、コミュニケーションにかかるコストを削減している、という側面はあるはずです。身内だけなら身内の語法が通用するから楽、というよくある話。
2010-06-14 16:06:37そして態度としてはプラグマティズムと臨床真理の知で「理性支配」に陥りがちな世の中をなんとか風通しよくするしかないのではないか、みたいに考えている、という感じでしょうか。
2010-06-14 16:07:36@akami_orihime 身内の話しがわかる、というのは言語だけの力ではないかも知れない、と僕は思います。言語に還元できない部分は大きいはずで、それらを単純な論理性、ルールみたいなもので済まそうとする家庭が多いのも確かですが。
2010-06-14 16:11:28結局論理性って「AならばB」という「条件」の問題になってしまって、それで子供まで、というか親密さの問題まで測ろうとする。それ以外にものさしを持っていない、ということはとてもまずい状態に思います。
2010-06-14 16:13:14@akami_orihime さて、買い物に行かなくては行けないので今日はこの辺で。こちらの不躾な物言いにも拘らずお話しにお付き合いて感謝します。それでは!
2010-06-14 16:14:38口蹄疫が初期に広まった酪農家で責任を感じて自殺した人がいるかも、という話をアメリカ人としたら「その人は自殺する前になんで精神科医の元でセラピーを受けないのか?」と言われた。そうか、一人で抱え込んでしまうから自殺してしまうのかと思った。相談出来る人がいることが大事。
2010-06-14 16:52:15「仮に口蹄疫だろうが、鳥インフルエンザだろうがそういうのが広まった原因が自分だと分かってもアメリカ人なら"絶対"自殺したりしないよ!なんで1度の失敗で死ななきゃならないんだよ!」とも言ってた。日本人もこれくらいの開き直りが必要だと思った。
2010-06-14 16:54:53@HAL_J アメリカ人は、たとえ口蹄疫が「誰かが原因だ」と分かっていても、(やるべき処分を済ませれば?)再起を許す仕掛け・メンタリティがあるように思えますが。日本にはそんなものは定着していませんから、失敗したら自殺するしかない、という状況があるのです。
2010-06-14 16:57:14日本でも広めましょう。このアメリカの価値観を広めましょう。RT @akami_orihime アメリカ人は、たとえ口蹄疫が「誰かが原因だ」と分かっていても、(やるべき処分を済ませれば?)再起を許す仕掛け・メンタリティがあるように思えますが。日本にはそんなものは定着していませんから
2010-06-14 16:59:22