『萬葉集』から読み解く伝・仁徳天皇陵被葬者について

教科書で習った方も多いと思う2番歌「やまとにはむらやまあれど~」(大和盆地にカモメが舞う例のアレです)の歌を解析してみました。
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じねん @jinensai

(01)正直ここ3週間ほど『萬葉集』とにらめっこで自家中毒起こしそうなので、ネタをアウトプットしていってみる。

2012-05-06 20:16:35
じねん @jinensai

(02)きっかけは例の野中寺銘文解読の途上「中宮天皇=中皇命=蘇我蝦夷」という仮説(「野中寺銘文の二倍年暦による解析」 http://t.co/b2nEomSi)にぶち当たってしまったからで、正直思考し続けるのがかなりしんどい。

2012-05-06 20:17:00
じねん @jinensai

(03)結論から言うと『萬葉集』の1番歌が蘇我馬子が伝・応神天皇陵で息子(蝦夷)を歌った歌、教科書でお馴染みの2番歌(やまとにはむらやまあれど云々)が建造中の伝・仁徳天皇陵に招かれた舒明天皇が、蘇我蝦夷(中皇命)に奉った歌ということになる。

2012-05-06 20:17:35
じねん @jinensai

(04)発想の順番として2番歌の不自然さがそもそもの始まりなのはお察しの通り。誰しも疑問に思うのは埴安の池を海に見立てた上にカモメまで飛ばしていることだ。いくら古代人の想像力が豊かだといってもこれはあんまりだろう。

2012-05-06 20:18:02
じねん @jinensai

(05)諸説紛々としているが、従来説は大和盆地の天香久山からの国見歌、九州王朝説に立つ古田武彦氏は鶴見岳から別府温泉を歌った歌という解釈をされている。しかし本当の問題は従来説も古田説も「叙景詩」(詠嘆を伴う)と解釈している点で共通していることだ。

2012-05-06 20:18:37
じねん @jinensai

(06)少し事態を俯瞰しよう。そこには『萬葉集』を近現代的な目線で、極論すると「ポエム」として見ようとする姿勢がうかがえる。私は実はそこが問題だと思っている。『萬葉集』の愛読者からすると門外漢に近い私の言い分など、たわごとかも知れないのだが。

2012-05-06 20:19:05
じねん @jinensai

(07)つまり、いくら素晴らしい情景を尊い身分の方が詠んだからといって『萬葉集』に載せられるものなのか?という根本的な疑問だ。その歌に外せないなんらかの事情や含意がなければおかしいのではないか?「ポエム」なだけなら載せる意味がない。

2012-05-06 20:19:30
じねん @jinensai

(08)「山常庭 村山有等 取與呂布 天乃香具山 騰立 國見乎為者 國原波 煙立龍 海原波 加萬目立多都 怜【立心偏+可】國曾 蜻嶋 八間跡能國者」が原文。国見歌は国の中枢圏域だろうし、鶴見岳から別府温泉の景勝ではなかろう。かといって奈良盆地ではそもそも海が無い。

2012-05-06 20:20:10
じねん @jinensai

(09)中枢圏域に山と海が揃っている場所はないか。実はある。巨大古墳が集中している河内・和泉。直近に「かもめ大橋」まである。 http://t.co/vD34UcMU

2012-05-06 20:21:02
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じねん @jinensai

(10)カモメはクリアできるとして、国原の「煙」とは何か。これも伝・仁徳天皇陵(どうやら「未完成」らしいが、それでも大林組の試算では一日2,000人稼動として建造まで15年8ヶ月掛かる)とした場合、連想はスムースに進む。陵に立ち並べる「埴輪」を登り窯で焼いている煙だ。

2012-05-06 20:23:02
じねん @jinensai

(11)従来「天乃香具山」を山と疑わなかった点に問題がある。神武天皇に夢のお告げで天香山の土で平瓮と嚴瓮を造って天神地祇を祭り敵を呪詛してヤマト征服に成功する故事があるが、平瓮と富本銭と水晶の地鎮具が実際に藤原宮(持統天皇代)から発掘されている。

2012-05-06 20:23:40
じねん @jinensai

(12)「天乃香具山」は支配の象徴ではないか。つまり伝・仁徳天皇陵を「天乃香具山」に見立て周囲の陪冢を「村山=群山」に見立てているのだ。至近に常陵郷(とこはか)の森を境内に持つ野々宮神社(火産霊命=火之迦具土神)もある。ここが「山常庭」ではないだろうか。

2012-05-06 20:24:27
じねん @jinensai

(13)そう考えてくると蘇我蝦夷が国中の民や百八十の部曲あるいは上宮の乳部の民を使役(上宮大娘姫王が憤慨)して生前から墓地の労役に使役した記事や大化の改新での「薄葬令」がすんなり納得できるのである。

2012-05-06 20:25:07
じねん @jinensai

(14)ここからはミステリ脳全開で推理するが、3番歌・2番歌が蘇我蝦夷を暗に歌ったものとすれば歌集の構成上1番歌は雄略天皇ではなく(あるいは雄略天皇に見立てた)蘇我馬子と類推できる。

2012-05-06 20:25:42
じねん @jinensai

(15)誉田山古墳(伝・応神天皇陵)は「恵我藻伏岡陵」とも呼ばれている。ちなみに1番歌は「籠毛與 美籠母乳 布久思毛與 美夫君志持 此岳尓 菜採須兒 家告閑 名告紗根 虚見津 山跡乃國者 押奈戸手 吾許曽居 師告(吉)名倍手 吾己曽座 我許背齒 告目 家呼毛名雄母」。

2012-05-06 20:26:09
じねん @jinensai

(16)読みは(異動あるけど一応)「こもよ みこもち ふくしもよ みぶくしもち このをかに なつますこ いへのらせ なのりさね そらみつ やまとのくには おしなべて われこそをれ しきなべて われこそをれ われにこそは のらめ いへをもなをも」。

2012-05-06 20:26:32
じねん @jinensai

(17)従来解釈は、雄略天皇が菜摘みにきた少女の籠や竹べらを誉めながら、この国は自分の治める国だと自慢しつつ家と名前を尋ねるという「ナンパ」歌とするものである。正直これも有り得ないだろう。なぜ歌集の「いの一番」に載せるのかわけがわからない。

2012-05-06 20:27:03
じねん @jinensai

(18)ざっくり言ってしまえばこの歌は「暗号」で含意がある。「ふくしも」とは「藻伏」であろう。「恵我」は歌で繰り返される「美」と「曽」をこの地名に付け足すことで「曽我恵美」となる。「此岳尓 菜採須兒」(恵我藻伏岡に名を詰めた児)=蘇我蝦夷だ。

2012-05-06 20:27:46
じねん @jinensai

(19)つまり「児」に歌いかけてるのは父=蘇我馬子であろう。また「吾己曽座 我許背齒」は「我」を背にすれば「曽我己座」(蘇我ここ(天皇の位)に座(い)まし)となる。この内容だからこそ(怨霊鎮魂として)第1番歌なのではないか?

2012-05-06 20:28:26
じねん @jinensai

(20)以上は「公然の秘密」だった可能性が高い。後年、藤原仲麻呂が「恵美押勝」を名乗るが、正式には「藤原恵美朝臣」というのが氏姓である。これは禅譲によって天皇位についた「蘇我蝦夷」へのリスペクトであろう。

2012-05-06 20:28:52
じねん @jinensai

(21)彼の息子の名前も「執弓(三男)」「朝【ケモノ偏+葛】(四男)」と『萬葉集』3番歌(中皇命=蘇我蝦夷)に材を採っているかのような命名をされている。これは偶然ではないだろう。

2012-05-06 20:29:22
じねん @jinensai

(22)とりあえず現状の考察では、こんな感じ。「扶桑」の暦と仏教(梁書記事)との兼ね合いで蘇我氏と東国・蝦夷との関わりも思考中だが、一旦中断して就職支援の方の勉強もしなくては…。続きはまたの機会に。

2012-05-06 20:29:48