2012年5月8日

共同正犯のまとめ

かわえもんさん(@kawacancan)が共同正犯の考え方をまとめてくれました!
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かわえもん @coconut_like

俺は難しい言葉を知らないから、平易な表現しか出来ない。まぁそれで事足りるか。AがBを殺した。Aは殺人罪(要件充足)。でもCさんが関与していた。共犯の可能性あり。じゃあCさんの罪責は? まずCさんの行為態様が問題。Cさんも一緒になって殺害行為してたら当然共同正犯。

2012-05-08 03:48:26
かわえもん @coconut_like

昨日の続き。じゃあCさんが殺害行為を行っていなければ? では正犯にはなりませんね。…そうは問屋が卸さない。自ら手を下さずに人を殺すことは有り得るし、むしろ場合によっては一方的な利用関係だってある。じゃあ自ら実行行為自体をせずとも、正犯になる関与形態が存在しますね。それはどんなの?

2012-05-08 10:46:50
かわえもん @coconut_like

そこで、一方的な利用関係があるような場合。特に被利用者に逆らう余地がないような場合(いわゆる道具性?)。こういう場合は、たとえ被利用者が外形的・直接的には犯罪を行っても、実質的にはその者をいわば道具として利用した背後の者が、間接的に犯罪を実現したといえる。つまり間接正犯となる。

2012-05-08 10:53:04
かわえもん @coconut_like

これに対し、実行者には自由意思が存在する場合。結論を先取りすれば、共同正犯になるのはどんな場合か。ここでは通常の論証形態に拘らず、出来るだけ平易な表現を使って考える。まず、大きく分けて2つに分ける。現場にいたのか、いなかったのか。当然ながら一般的感覚として、前者の方が正犯っぽい。

2012-05-08 10:59:55
かわえもん @coconut_like

ただまぁ、だからといって後者も正犯性が認められない、と一律的に言い切るのも早計な感じもする。じゃあ順番に考えよう。まず前者。前提として、実行行為はしていない。ではどんな関与があるか。例えば、被害者を拘束する・凶器を調達する・指示をする・見張りをする…等々。なかなか形式的分類は困難

2012-05-08 11:03:49
かわえもん @coconut_like

とはいえ、どちらかというと実行行為への関連性・直接性が大きい関与行為ほど正犯性が認められそうな気がする。まさに「共同して犯罪を実行した」といえそうだから。その意味では客観的な行為態様、関与形態という物理的寄与の程度によって正犯性が認められるか判断できそうでもあるようなないような。

2012-05-08 11:10:47
かわえもん @coconut_like

でも、それだけじゃあ不十分。何故なら、具体的状況下では単に同じ行為であるからといって、常に同じ意味内容と評価されるのはおかしいから。これは既にここまで話を振り分けてる時点でそう言えるはず。武器を調達するにも、誰の主導で選び、手に入れ、運び、渡したのかで異なるはず。

2012-05-08 11:16:21
かわえもん @coconut_like

だとすれば、客観的(物理的)寄与で足りないなら、主観的(心理的)寄与の面に着目するのは自明。そうだとすれば、主観的にはどのように寄与することが正犯性を認めることになりうるのか。これについては、2つの意味がある気がする。つまりは、本人と実行者という寄与する対象かなぁと思う。

2012-05-08 11:21:14
かわえもん @coconut_like

本人としては、他人の犯罪を手伝った(わされた)だけで、正犯です、と言われるのは何か釈然としない。違法性の程度も相対的に下がらないと変に思える。だったら、やはり本人に自己の犯罪を実現する意思(=正犯意思?)が必要に思える。

2012-05-08 11:25:41
かわえもん @coconut_like

それに加えて、相手に対して、「俺も一緒にやってやるぜー」と言って背中を押すことで、勇気づけ、実行者(共犯)の犯罪へ踏みきるという心理面の強化をする働きもある。場合のよっては、その働きかけが無ければ迷うところ、あるからこそ実行者も「よっしゃーやったるでー」ってなりうる。これも重要。

2012-05-08 11:30:31
かわえもん @coconut_like

これらを斟酌すると、正犯性を認める上では、まず関与・行為態様をみて物理的寄与がどんなもんか、そしてそれに際して心理的寄与はどういう働きがあったかを相関的に見る必要があるんじゃないかと思う。そして吟味した結果、他者を介して自己の犯罪を実現したといえたら共同正犯かなぁと。

2012-05-08 11:34:19
かわえもん @coconut_like

だったら、先に分類した現場にいるかどうかは、さしたる問題ではなく結局先の2つの側面を相関的に見て判断されるんじゃないかなぁ。で、狭義の共犯かは結局それらを見たときに、所詮は他人の犯罪に関与した(させられた)程度か、と言えたら良いのかな、と。

2012-05-08 11:38:20
かわえもん @coconut_like

例えば、同じように実行者に「殺せよ」と言っただけでも関係性によって心理的寄与の程度は違う。対等であれば、するかしないかは実行者次第の要素が強いんだから、仮に言った本人が問われても教唆じゃないか? 逆に上下関係が厳しい又は金銭授受の約束の関係であれば実行者への心理的寄与は大きい。

2012-05-08 11:42:48
かわえもん @coconut_like

ただ、後者のように金銭授受があるような場合、それは同時に物理的寄与とも評価しうる考え方もあるかもしれない。でも、私見としてはここでの物理的寄与はあくまで犯罪の実行行為に関連する意味で考えている。金銭授受自体は殺人の動機や踏みきる要因であって、人を死に至らしめる要因ではないからだ。

2012-05-08 11:46:03
かわえもん @coconut_like

とりあえずこういう感じでイメージしているが、正直共犯についての勉強はまだ不十分だと自覚しているので、もっともっと勉強しないと。何かまだ書きたかったけど、眠いし腹へったので忘れた~~また今度のところだ~食堂へゴー

2012-05-08 11:48:09

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