激論!音楽批評とは? -高橋健太郎 vs. 微熱王子-
- gogonyanta
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その通りです。それは全ての批評行為が持つアンビバレントな側面です。 QT @komtarr もしその切り口で話をするなら相当その人自体がクソおもしろいか、文章自体が面白くないとコンテンツとして成立しない。しかし、そのコンテンツとして成立させると元の題材の音楽が関係なくなってしまう
2012-05-09 21:45:13@kentarotakahash 「娯楽」ですか。それは音楽とは離れて独自のコンテンツとしての「娯楽」という認識でいいのでしょうか。「音楽にまつわる娯楽」みたいな感じですか?
2012-05-09 21:51:22はい、それは時代を遡ると「渋谷陽一理論」というのがありまして、渋谷さんは自分が音楽について書くという行為は音楽家が音楽するのと同等の行為であるとしたんですね。QT @komtarr 「娯楽」ですか。それは音楽とは離れて独自のコンテンツとしての「娯楽」という認識でいいのでしょうか。
2012-05-09 21:59:05僕はその頃はそれに反対の立場でした。音楽あって初めて音楽について書ける。自分の書くものは、音楽消費者へのガイドで良いと思った。「暮しの手帖」でいいと当時、書いたことがあるようです。が、時を経て、渋谷派に転向。 @komtarr
2012-05-09 22:00:06@kentarotakahash 転向されたきっかけみたいなものはあったんでしょうか?「音楽消費者へのガイド」ではなく、「ライティングとは表現行為である」という方向に向かうきっかけや事件などあったんでしょうか?
2012-05-09 22:10:14この話は一昨年の2月19日に書いています。「暮しの手帳」派で、ロッキオン的な自分探しのための音楽批評に批判的だった僕がなぜ、渋谷陽一派に転向したか。08:48:34から09:24:25まで。今はまた違う考えもあるけれど。 http://t.co/C71FHDe8 @komtarr
2012-05-09 22:12:55@kentarotakahash 今読み終わりました。サンプリングといういわば「引用」行為が批評性をすでに兼ね備えているもので、文章などもそうなってゆく(というか自然にそうなっている)、自らが進んで表現者になることが、批評活動に結果としてつながっていく・・・ということでしょうか。
2012-05-09 23:27:33@komtarr 当時の感覚としては、そういう中で変わっていきました。音楽家が過去の音楽に対する批評行為の中から別の音楽を生み出すのと同じように、音楽批評も批評という行為を通じて、一つのエンターテイメントに到達したい、そこをめざさないと同時代の音楽に反応していることにならないと。
2012-05-09 23:32:28@komtarr ただ、それは20年も前のことで、今はまた、違う感覚もあります。それについて書くのは、これはまた大変です。
2012-05-09 23:33:38@kentarotakahash なるほど。現状の音楽と連動させて考えてみると確かに今では違う感覚になるとは思います。個人的には「暮しの手帖」的なスタンスも今は求められているような気もします。ただ、音楽だけのリファレンスではなく、もっと他ジャンルのものなども巻き込む総合誌的な。
2012-05-10 00:25:11再び安東三氏。
個人的に、高橋健太郎さんの主張は、ある種の「適当なこと書いて許されると思ってる人」に、都合の良い解釈を許す言い方をしているような気はしたな。著作を拝読してないのであれだけど、多分そういうことを言っているわけではないだろうと思うけれど。
2012-05-09 21:33:29微熱王子さんの怒りは、高橋さん自身に向けられたものなのか、それともそういう誤解を与える言い回しに向けられたものなのかはわからないけれど、そういう意味では、至極まっとうなものではあると思いましたよ。
2012-05-09 21:34:51追ってみた感じ、キモになってるのはこの二つかな。高橋さんは「面白いことを言える」というとき、どういうのが「面白い」かを説明すればいいと思うし、微熱さんは「きちんと語る」の「きちんと」が、一体どういうことなのか言えばいいと思うんだけれども。
2012-05-09 21:41:51外野3
例えばよくありがちな鬱っぽいオルタナバンドを聞いて使われてるエフェクターや編曲が気になる人がいればその作った人の人柄が気になる人もいるだろ どちらもれっきとした音楽好き
2012-05-09 21:44:12