- yaoki_dokidoki
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きのうの丸コピーしよう。 大熊さんの論は、二点もったいないと思うところがある。ひとつは構成、もうひとつは題材のとりかただ。
2012-05-13 21:17:47@yaoki_dokidoki: 結論から見れば、この論は現代における「青年の喪失」にたいする批判となっている。この場合、過去の「青年」と現代の「青年」を対比させて論じることが、結論まで読者をみちびくわかりやすさになるとおもう。
2012-05-13 21:18:35現代の「青年」あるいは若者に、野心・意志がないと主張するならば、構成としては冒頭にその結論のための導入パートをおいたほうがわかりやすいと思います。
2012-05-13 21:23:39それから、本文の構成を「青年の成立」→「青年の喪失」→「批判と提案」のように分けたとすると、「青年の成立」で検討したのと同じくらいのていねいさが「青年の喪失」パートにも割いてあるほうが読み応えのあるものになるだろうなと思いました。
2012-05-13 21:29:23このパートでは、「新聞の紙面に青年という文字が登場する頻出度が年々下がっている」「海外青年協力隊の合格者数が、今までは1300人台であったのに対し、1100人台に減少している」(『辺境私論』、p.7)と指摘することで、「青年の喪失」が示されています。
2012-05-13 21:32:53ここに、ぼくは論の流れのずれを感じました。というのは、前半の論の面白さは、歴史的な「青年」ということばの成立と、それの意味するものについての考察が主となっていたからです。また、導入においても「そもそもの(青年の)本質はなんだろうか。それは『青年』という言葉そのものに
2012-05-13 21:37:37つづき。「それは『青年』という言葉そのものにあるのではないだろうか」(『辺境私論』、p.4)とあり、表題にもあるような「言葉から読み取る青年の本質」について考えていることが示されています。
2012-05-13 21:39:41「青年の喪失として最も象徴的な出来事であると思われるのが、NHKの『青年の主張』コンクールが、平成2年に『青春メッセージ』として改称されたことだろう。それまでは、当該年度に成人を迎える視聴者に対し主張をするというものであったが、それが廃され、自由にアピールできるという内容に
2012-05-13 21:43:34つづき。「変更され改称に至る」(『辺境私論』、p.8)このような事実の指摘の面白さは、前半のパートで行われたことをひきついで、ことばの変遷に注目して現代の青年について考えているからです。
2012-05-13 21:46:14以上が構成について。もう一点の題材の取り方については、「青年」という広く漠然とした対象を論の中心に置いたのが大変ではなかったかということです。
2012-05-13 21:56:22テーマが「青年」だとしても、「青年」ということば全体を論の対象にするには、前半で大熊さんががんばって書かれているように、歴史的・実証的な検討や、統計的な検討が必要になるかとおもいます。そうしなければ、そもそも結論がただ漠然としたことをいってることに過ぎない、ということになるから。
2012-05-13 21:59:22なので、The Smiths やThe Stone RosesやNirvanaの歌詞をとりあげたかなんさん、国木田独歩の「少年の悲哀」をとりあげた松永修さん、志村貴子『青い花』をとりあげた藤田慶さんのように、あるていど具体的な「表現」をとった対象をとりあげているほうが、
2012-05-13 22:04:39現代の青年の喪失という大熊美憂さんの主題は描きやすかったのではないかとおもいます。具体的には、「私たち、平成に生きるティーンエイジャー、『若者』は毎日を無気力に生きてないか」(『辺境私論』、p.8)という主張の根拠になるような批評や小説や歌詞、物語や制度といったものを、
2012-05-13 22:11:07こういうこともやってるんだ。面白い。 / “昭和16年国民学校国語科教科書「ヨミカタ 一」研究 第2回/田中恒輝 | 辺境私論” http://t.co/RnCzRpM9
2012-05-13 22:57:29