マルクス研究者・佐々木隆治氏によるマルクスの「個人的所有」論

佐々木隆治は『マルクスの物象化論』で頭角を現した若手マルクス研究者です。今回のテーマは「個人的所有」。
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marx kenkyu @marukenkyu

この議論をみてる人もいるかもしれないので、資本論における個人的所有と、61−63草稿の個人的所有を示しておこう。

2012-02-08 21:31:32
marx kenkyu @marukenkyu

資本主義的生産様式に照応する資本主義的領有は、独立した個人的労働の必然的帰結 にほかならない私的所有の第一の否定をなす。だが、資本主義的生産は、自然の変態 を支配する宿命にしたがって、みずからそれ自身の否定を生み出す。それは否定の否定 である。

2012-02-08 21:33:26
marx kenkyu @marukenkyu

この否定は、労働者の私的所有を再建するのではなく、資本主義時代の獲得物 にもとづく、すなわち協業、および土地を含むあらゆる生産手段の共同占有にもとづく、 労働者の個人的所有を再建するのである。

2012-02-08 21:33:36
marx kenkyu @marukenkyu

資本家は、実際には労働者たちにたいして、彼らの結合、彼らの社会的統一 を代表しているにすぎない。だから、この対立的な形態がなくなれば、その結果生じるのは、労働者たちがこの生産手段を、私的諸個人としてではなく社会的に占有している、ということである。

2012-02-08 21:36:26
marx kenkyu @marukenkyu

資本主義的な所有とは、ただ、生産諸条件にたいする(したがって生産物にたいする、というのは生産物はたえず生産諸条件に変わっていくのだから)労働者たちのこのような社会的所有ーすなわち否定された個別的所有ーの対立的表現でしかないのである。

2012-02-08 21:38:45
marx kenkyu @marukenkyu

同時に明らかになるのは、このような転化は物質的生産諸力の一定の発展段階を必要とする、ということである。たとえば小農民にあっては、彼のわずかの耕地は彼のものである。それを自分の生産用具として所有することは、彼の労働にとっての必要な刺激であり条件である。

2012-02-08 21:39:33
marx kenkyu @marukenkyu

手工業の場合にも同様にそうである。大農業でも大工業でも、この労働と生産諸条件の所有とは、はじめて分離されなければならないのではなくて、それらは実際に分離されているのであって、

2012-02-08 21:40:31
marx kenkyu @marukenkyu

シスモンディが嘆いているこうした所有と 労働の分離は、生産諸条件を所有が社会的所有に転化するために避けることのできない通り道なのである。

2012-02-08 21:40:39
marx kenkyu @marukenkyu

個々の労働者が個々人として生産諸条件を所有している状態が再建されることがありうるとすれば、それはただ、生産力と大規模労働の発展とが解体されることによってでしかないのであろう。

2012-02-08 21:41:04
marx kenkyu @marukenkyu

この労働に対する資本家の他人所有が止揚されるこ とができるのは、ただ、彼の所有が変革されて、自立的個別性にある個別者ではない者の所有、つまりアソシエートした、社会的な個人の所有としての姿態をとることによってだ けである。

2012-02-08 21:42:25
marx kenkyu @marukenkyu

以上です。というわけで、両方とも生産手段を主題にしており、個人的所有もまた生産手段に関わることは明らかです。しかし、エンゲルスがここを生活手段の所有として解釈したために様々な誤解が生まれてきたわけです。

2012-02-08 21:46:16
marx kenkyu @marukenkyu

ただ、ここだけを読むと確かに誤解しやすいのも事実です。理解するポイントは、実質的包摂への抵抗として読むことです。実質的包摂によって労働における内容的自由が剥奪されますが、それに対する抵抗としてマルクスは教育を重視し、また、個人的所有を重視したのです。

2012-02-08 21:49:33