NHK・クローズアップ現代「あなたの町は守れるか~消防団の危機~」書き起こし・ほぼ完全版 #nhk
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冒頭のVTR
<ナレーション> 大津波が東北を襲った去年3月11日、多くの人が高台へと避難するなか危険な地域にとどまったのが消防団でした。住民の避難誘導や水門閉鎖、津波に襲われる直前まで活動を続けたのです。多くの住民を救った一方、254人の消防団員が犠牲になりました。
2012-05-16 20:17:57<ナレーション> 震災から1年、消防団は新たな危機に直面しています。NHKでは最も被害の大きかった、宮城県内のすべての消防団にアンケート調査を実施。地域を守ることすらできない危機的な状況に陥っている実態が浮かび上がってきました。
2012-05-16 20:23:09ここからスタジオです
国谷:こんばんは、クローズアップ現代です。海岸近くに住む住民に高台への避難を呼び掛けている最中に、津波に巻き込まれ犠牲になった消防団員。寝たきりの高齢者が暮らす家に向かい、避難を手伝っていたところに津波が来て亡くなった団員。
2012-05-16 20:29:05国谷:去年の3月11日、大地震発生から津波到達までのわずかな時間に、避難誘導や救助、水門の閉鎖など任務に懸命にあたっていた消防団員254人が犠牲になりました。このうちの9割近くの方が20代から50代、一家の大黒柱といえる人々です。
2012-05-16 20:34:23国谷:消防団と消防署、消防署で働く職員は消火・救急・救助など専門的な訓練を受けたプロ。一方消防団の団員の多くが他に仕事を持つ一般市民です。地域防災の要と位置付けられている消防団も少なくなく、消火や救助に加え災害時の避難誘導や水門操作、高齢者の避難の手助けなど多くの任務に当ります。
2012-05-16 20:42:04国谷:災害時、刻々と状況が変化する中で危険性を伴う任務を実質的にボランティアとして地域で行っている消防団員。今後発生する恐れのある巨大地震や津波・大雨などの災害で、消防団による細やかな防災活動が求められることになるのですが、東日本大震災で254人もの方が亡くなったという事実は、
2012-05-16 20:48:04国谷:地域防災が抱える課題・団員の安全確保に向けた課題など、これまで見過ごされてきた大きな課題を浮き彫りにしたのです。そして東日本大震災のあと存続の危機に立たされている消防団も出てきています。まずはじめになぜこれほど多くの消防団員が大震災で犠牲になったのか、ご覧ください。
2012-05-16 20:52:11VTRが流れます
<ナレーション>いったいどのような状況で消防団員は犠牲になったのか。NHKが宮城県内の被災した全ての消防団に実施したアンケートです。明らかになってきたのは、さまざまな任務をまっとうするため危険な地域にとどまらざるを得なかった消防団員の姿でした。
2012-05-16 20:59:29<ナレーション> 宮城県東松島市東名地区。去年3月11日、建物の7割が津波に流され、180人が犠牲になりました。この地区の防災を担っていた東松島市の消防団。29人のうち2人が活動中に亡くなりました。この消防団のアンケートです。
2012-05-16 21:04:34<ナレーション> 連絡手段が途絶え、団員同士の意思疎通ができないまま危険な地域で活動を続けていました。地震発生当時、団員の7割はサラリーマンのため地区の外で仕事をしていました。分団長だった櫻井光悦さんです。20キロ離れた仕事先から、急いで町に戻ろうとしていました。
2012-05-16 21:11:16<ナレーション> 災害のとき、唯一の連絡手段だったのが携帯電話でした。櫻井さんは(携帯がつながらないので)状況の確認も、団員への指示もできませんでした。
2012-05-16 21:15:17櫻井:どうしようもないというか、なんぼ焦ってもだめな状態だったからね。とにかく現場に入るしかない。入ってみなけりゃ何もわからない。全然把握できなかった。
2012-05-16 21:18:22<ナレーション> このとき東名地区にいた団員は29人のうち4人。2人は海辺近くの住民の避難誘導に当たり、2人が水門の閉鎖に向かいました。高波を防ぐため、地区には2基の水門が設置誠意されていました。消防団はその管理を市から委託されていたのです。
2012-05-16 21:23:26斎藤裕さんです。地震直後、すぐに水門に駆けつけました。本来、水門は自動操作ですが停電のため機械は動きませんでした。斎藤さんはすぐに水門の上へと昇りました。手動で水門の閉鎖に取りかかったのです。防災無線は故障し、携帯電話も通じません。
2012-05-16 21:30:00斎藤:これ何回まわしても、いくらも下がらないんですよ。実際あの時も50分ぐらいですか、ずっと回しっぱなしにしていたんですけれど…実際に下がったのが10センチか15センチぐらいでしたね。
2012-05-16 21:35:23<ナレーション> 東名地区を目指していた櫻井光悦さん、ラジオで予想を上回る津波の情報を耳にしていました。 他の地域にはすでに大津波が押し寄せていました。櫻井さんが東名地区に戻ってきたのは、地震から50分後のことでした。
2012-05-16 21:40:45<ナレーション> 防災無線の故障で多くの住民が危険を知らず、避難していませんでした。 このとき櫻井さんを含む5人の団員が戻り、9人の団員が活動していました。しかしお互いに連絡がとれず、活動は大混乱に陥っていました。
2012-05-16 21:44:54<ナレーション> 櫻井さんは危険な地域にとどまり、住民に危険が迫っていることを叫び続けました。その直後、大津波は瞬く間に地域を覆い尽くしました。水門にしがみつき、奇跡的に助かった齋藤さん。作業を投げ出すわけにはいかなかったといいます。
2012-05-17 06:24:35齋藤:この場で逃げ出したっていう、放棄して私だけ避難してしまったら…地域の人たちに「何だよ消防団、中途半端で逃げていった」って言われるのも嫌だった。
2012-05-17 06:28:13