社会的問題に関与したら科学は単に科学ではいられない

渡邊先生のツイートをまとめました。
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渡邊芳之 @ynabe39

科学的証明において「仮説が棄却される」ということが「ないと証明された」わけでなく「あるという証明ができなかった」ことであることは科学者なら誰でも理解していることだ。しかしそれとは独立に「ないという証明」が可能なわけではないので,仮説の棄却は「ない」と実質的に同義である。

2012-05-17 13:36:25
渡邊芳之 @ynabe39

じっさい「科学的に証明されていない」という言葉は多くの場合「ない」と同義に使われるし「科学的に証明されていないリスク」を心配することは(ありもしないものに脅える)「非科学的な態度」とされる。

2012-05-17 13:42:16
渡邊芳之 @ynabe39

そこで科学者が「科学的に証明されていないというのはあるという証拠がないということで,ないと言っているわけではありません」というのは「正しい」のだが,科学者じゃない人がそのように受け取ってくれる可能性は著しく低いと思う。

2012-05-17 13:44:14
渡邊芳之 @ynabe39

極端な話,科学者が「科学的に証明されていない」と言ったために無視されたリスクがあとになって大きな被害を生じさせたときに,科学者が「私はあるとはいえないと言っただけで,ないと言った覚えはありません」といったら人々は「そうですよね」といって許すだろうか。

2012-05-17 13:49:01
渡邊芳之 @ynabe39

ただこれは「科学の問題」というより「政治の問題」だともいえる。「科学的に証明されない」を「ない」と考えて対策しないのも「ないとはいえない」と考えて対策するのも,科学よりむしろ政治の判断だからだ。

2012-05-17 13:53:38
渡邊芳之 @ynabe39

ただそのときに「一般の人々」はそうした政治的判断の根拠になった「科学」もその政治的判断の結果責任の一端を担うべきだと考えることが多いだろうと思う。しばらく前から何人もの人が書いている「社会的問題に関与したら科学は単に科学ではいられない」というのはそういうことだと思う。

2012-05-17 13:55:48
渡邊芳之 @ynabe39

「でも,絶対にないとは言えないでしょう?」というのに勝てる科学などない。

2012-05-17 14:00:39
渡邊芳之 @ynabe39

じっさいどんなことだって絶対にないとは言えないのだから。

2012-05-17 14:01:08
渡邊芳之 @ynabe39

古典物理学ならともかくとくに人間の健康に関する疫学的な知識はすべて確率論だというのも話をややこしくする。「著しく確率の低いリスク」は科学的政治的には無視されるが「それで死ぬ人がひとりもいない」と証明されたわけではない。「そのひとりが自分や家族だったら」という不安は否定できない。

2012-05-17 14:11:21
渡邊芳之 @ynabe39

そのレベルの「著しく低い確率」はすべて無視されるなら宝くじなど買う人は誰もいなくなる。

2012-05-17 14:11:55
渡邊芳之 @ynabe39

「極小の確率」に反応して行動することが宝くじやギャンブルや保険では推奨されるのに健康不安や社会的リスクについては批判され攻撃されるのも科学の問題というよりおそらく政治的な問題なのだろうと思う。

2012-05-17 14:23:49
渡邊芳之 @ynabe39

「放射脳」を批判する暇にその人たちに売りつける保険でも企画したほうがいいのではないだろうか。「極小のリスク」に反応する人たちというのは保険業の最良の顧客だろう。まあ保険業者がそれをやらないのは「多大な支払いが生じるリスク」も「極小」ながらあるからだろうが。

2012-05-17 14:26:51