- futaba_AFB
- 11876
- 1
- 2
- 0
とりあえず、イギリス空軍はどういう風な道をたどって戦略爆撃を志向するようになったのか、とりあえずイギリス空軍がどうやって誕生したかは手前味噌ですがこちらのまとめを http://t.co/zSZgwV7b
2012-06-02 21:10:17陸軍が敵対国と地上戦を進めている間に、敵対国の産業基盤を空から破壊し継戦能力をそぎ落とし、更に敵国民への爆撃によって敵国民の士気をくじき戦争を有利に進めようと考えます。
2012-06-02 21:15:09さらにイギリスが単独で仮想敵のドイツと陸戦を行うことは考えにくく、大陸での同盟軍を支援するための戦術機とドイツ本国をへし折るための戦略爆撃機の整備を進めようと計画を進めます。
2012-06-02 21:17:54戦術機の系譜はライサンダーとかが開発されるきっかけになったと記憶しています。あとは岡部いさくさんの世界の駄っ作機に載っていたと思うのですが機関銃をいっぱい乗せた掃射機みたいなのもあったような http://t.co/3OimdsVi
2012-06-02 21:26:29もう一つの戦略爆撃用には1932年にイギリス空軍が3種類の双発爆撃機の開発をスタートさせ、これがウェリントン、ホイットレー、ハンプデンとこれら三機が第二次世界大戦初期のイギリス空軍の主力爆撃機になります。 http://t.co/imBz2JOH
2012-06-02 21:32:42これらの三機は本格的な戦略爆撃機に向けての試作機みたいな色合いがあったそうですが(米軍にとってのB-10ポジションでしょうか)中でもウェリントンは特に活躍したそうで、その構造も鳥かごみたいで少し変わっています。 http://t.co/qO2rukLx
2012-06-02 21:40:161935年頃からイギリス空軍は4発爆撃機の開発を始めスターリング、マンチェスター、ハリファックス、ウォーイックの4種を開発するのですが、これらはWW2の開戦までには間に合わず、開戦時は先ほどの3機がイギリス空軍の打撃力としてドイツと対峙することになります。
2012-06-02 21:42:55ここでイギリス空軍がWW2で使った主な爆撃機はほとんど出揃うのですが(ランカスターはマンチェスターの信頼性向上版みたいな出自なので)これらの機体はイギリス空軍の爆撃機の80%が戦略爆撃機となるまで隆盛することになります。
2012-06-02 21:46:20まぁココらへんはイギリス空軍の性向だけが原因ではなくて、アメリカと双方製造する飛行機の割り当てを決めていたりするので、アメリカがいたからイギリスは戦略爆撃機の運用に集中することができたとも言えるのですけどね
2012-06-02 21:47:46話は飛ばしてイギリス空軍が夜間爆撃を中心に戦略爆撃をすることになったのかを書いてみると
2012-06-02 21:49:23とりま政治家さんあたりを追っていくと、戦争が始まったけど、大規模化はしないよねぇ~、気がついたらフランスがロードローラーされちゃったよファッキン、ロンドンに爆弾落としやがってファッキン、都市爆撃自重してたけど少しでもベルリンやったるわいファッキン
2012-06-02 22:06:38都市への爆撃が自重されていたのは人道的な理由もありましたが、同時にお互いに都市への報復爆撃の連鎖を恐れて空気を呼んでいたのがバトル・オブ・ブリテンでどちらかがぶっ倒れるまで張り倒さないと戦争は終わらないというのが決定づけられたからと言えるのではないでしょうか
2012-06-02 22:09:16でこれらの考えは1940年10月にイギリスの戦時内閣で「できるだけ早い時期にドイツに対して可能な限り強い反撃を行う」という方針を固めるに至ったそうです。とはいえまだ本格的な4発爆撃機は配備が進んでいないので、イギリス空軍が持っていた打撃力は後に比べるとかなり限定的なものでしたが
2012-06-02 22:11:25もう少し空軍視点で時系列をたどってみると開戦からフランス戦までは1.フランスへの戦闘機やらの派遣2.イギリス周辺の海上哨戒3.ドイツ海軍基地の艦船への攻撃 4.ドイツへのビラまき 5.ドイツの港湾への機雷敷設と戦争を不用意に拡大しないため空気を読んだ作戦を展開していたようです。
2012-06-02 22:15:491939年12月18日にはウェリントン22機によるキール軍港への爆撃機が行われるのですが15機が未帰還となりこの作戦の被害の衝撃がイギリスが夜間爆撃に固執する直接の原因になります。(このあとも何度か昼間爆撃を行いますが)
2012-06-02 22:20:22バトル・オブ・ブリテンを何とかしのぎきり1940年も終わりの頃イギリス空軍は1941年一杯を新しい新型の4発爆撃機のための準備期間とすることにして、41年1月には初めての四発爆撃機による飛行中隊が出撃可能となり2月にはオランダの精油工場に対して初めての四発爆撃機による爆撃を行い
2012-06-02 22:27:048月には中止していた昼間爆撃を再開するが大損害を被りこれを境にドイツへの昼間爆撃は殆ど行われなくなります。
2012-06-02 22:28:18というわけで41年になるとイギリス空軍は夜間爆撃を徐々に本格的にするわけですが、航法や照準の難しさから命中率の低下が問題となり、その対策のためイギリス空軍は広い範囲を爆撃目標にして点の目標から面一体を破壊する作戦にシフトしていきます。
2012-06-02 22:31:07面一帯への攻撃は一般市民も巻き込んだほうが爆撃への恐怖を植え付けられて、敵国民への士気をくじけるから一石二鳥だよね!という考えもあったようで、これがのちのドレスデンなどにエスカレートした原因の一つのようです。
2012-06-02 22:34:251942年になるとイギリス空軍本国爆撃航空団の司令官にアーサー・ハリスが就任しハリスはいくつかの基本方針を掲げて徹底させますが中でも大規模爆撃による地域徹底破壊がWW2でのイギリス空軍の戦略爆撃の方向性を決定づけたといえると思います。
2012-06-02 22:37:52ハリスが主張した地域徹底破壊は大型爆撃機を使った大編隊による都市への夜間爆撃でそれにより工業、経済、輸送、市民生活全てを無差別爆撃により根こそぎ破壊することで、そのために彼は1000機爆撃をスローガンに掲げ実行します。
2012-06-02 22:42:04その効果は置いておくにして、壊滅した都市はチャーチルを満足させ、イギリス空軍の中で爆撃航空団が大きく躍進することとなりその拡充が至急進められることになります。そういう意味ではドイツ空軍と同じように戦略爆撃がイギリス空軍の組織としての独立性の根拠になったのでしょうね
2012-06-02 22:45:59イギリス空軍がどう言う風に戦略爆撃をしていったのかはこれで大雑把にわかると思うので、次はアメリカ側での話と米英の衝突をちゃっちゃと書いて終わりにしちゃいましょう
2012-06-02 22:52:16