チェルノブィリから福島へ(悲劇の認識とその逆説的作用)

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直立演人 @royterek

原発の問題。率直に言って、過去に対して自分は責任はあまりないと思っている。だが、未来に対しての責任は十二分にあると思っている。

2012-06-05 22:53:48
直立演人 @royterek

実のところ、自分の周りにもチェルノブィリ関係の支援や情報拡散の活動に従事している人は少なからずいた。外国語学部のロシア語学科に在籍していたので、そういう知人や友人は珍しくなかったが、私は一切コミットしなかった。そのこと自体に責任はほとんど感じていない。今から挽回すればいいと思う。

2012-06-05 23:47:58
直立演人 @royterek

改めて振り返って恐るべきことに気づく。友人や知人の一部がコミットしていたチェルノブリィ関係の活動は、当時の私にとって、日本国内に乱立されつつあった原発に対する反対運動とはどうしても結び付かなかったのである。チェルノブィリのような事故が日本で起きるはずがないと信じ込んでいたからだ。

2012-06-05 23:55:21
直立演人 @royterek

しかも積極的にそう信じ込んでいたからというよりは、日本でチェルノブィリのような事故が起こり得るか否かという問いすら自分の頭にはなかった。なにしろ私も一ファンである中島みゆきですら原発のCMに曲を提供していたぐらいなのだから。それほどまでに原発推進体制のプロパガンダは凄まじかった。

2012-06-06 00:02:57
直立演人 @royterek

単純に、当時のチェルノブィリ関係の活動は、救援活動のようなものとしてしか捉えていなかった。それどころか、チェルノブイリ自体、アウシュヴィッツやヒロシマ・ナガサキのような人類史上最悪の事件の一つとして認識してはいたものの、再び起こり得るような問題とは全く認識していなかったのである。

2012-06-06 00:15:13
直立演人 @royterek

日本では、圧倒的多数の人々の認識はそんなところではなかったかと思う。そういった、今からすればあまりにもナイーヴな認識だったからと言って、当時の一般的認識を倫理的に咎めることは行き過ぎだろう。しかし、そうした認識上の盲点が3・11以降の世界では決してゆるされないことだけはたしかだ。

2012-06-06 00:21:58
直立演人 @royterek

3・11以前の日本で形成されたチェルノブィリ認識は、3・11以降の私たちの意識にも少なからず影響している。チェルノブィリがアウシュヴィッツやヒロシマのような人類史上最悪の悲劇の一種として認識されてきたとすれば、福島の悲劇はむしろ相対的にマシな悲劇として認識され語られる傾向がある。

2012-06-06 01:57:22
直立演人 @royterek

福島は何重もの意味で悲劇的である。チェルノブィリとつねに比較されねばならぬ運命にあると同時に/にもかかわらず、往々にしてチェルノブィリよりは相対的にマシな悲劇として扱われる「幸運」のおかげで、それ相応の悲劇として認識されないという悲劇にこの先もずっと苦しまねばならぬという意味で。

2012-06-06 02:05:33