律令制の軍団について

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お菓子っ子 @sweets_street

平安時代の軍制に関する文章を読んでるけど、律令制が武官を軽視しすぎな理由がいまいちわからないかも(´・ω・`) 軍団の司令官の軍毅に位階がないのは結構不可解

2012-06-06 20:49:51
お菓子っ子 @sweets_street

押領使や追捕使が正規の職にならなかった背景もいtみちわからないかも。武家政権以前の日本は軍事を豪族(後、武士)に投げすぎじゃないかなあと

2012-06-06 20:59:27
@bukrd405

@sweets_street 平安時代になると、外国の脅威がなくなったので軍事を豪族まかせにするようになったんですかね。あとは日本列島内の蝦夷ぐらいしか脅威がありませんからね。彼らは大和朝廷に比べれば弱体だったし。

2012-06-06 21:03:12
扶桑委員会 @fussoo_moe

@sweets_street 穢れ信仰のせいかと思ってましたが、違うんですかね。当時としては大事なことですし

2012-06-06 21:09:27
@bukrd405

@fussoo_moe @sweets_street 桓武朝あたりまでは穢れ意識というのはそれほど強くなかったように思えるのですが。大伴弟麻呂は坂上田村麻呂とともに蝦夷を討っていますから。大伴氏や紀氏のような武門の名門が姿を消したのはなぜなんでしょうね。

2012-06-06 21:19:31
宗田威 @soudai3

平安貴族の「穢れ」意識が大きいんじゃないでしょうか。 RT @sweets_street: 押領使や追捕使が正規の職にならなかった背景もいtみちわからないかも。武家政権以前の日本は軍事を豪族(後、武士)に投げすぎじゃないかなあと

2012-06-06 21:20:56
こーど・あんぐりまーら @skskmkh

@sweets_street 律令制の段階で、国家が統制できるのは国司レベルでした。のち、反乱鎮圧もおおむね国司任せになります。押領使などが登場する頃には、いわゆる律令制の崩壊段階にあり、海賊・群盗対策含めて軍事的なことは受領国司丸投げです。

2012-06-06 21:22:43
お菓子っ子 @sweets_street

@bukrd405 @fussoo_moe @soudai3 軍人が賤業扱いだった中国でも、武官の位階は高かったんですけどね。高級将官は文人官僚だったし(´・ω・`)

2012-06-06 21:24:19
こーど・あんぐりまーら @skskmkh

@sweets_street 「正規の職」という点では、律に軍事動員を禁じる規定があるため、一応の治安出動が可能であった国司による軍事動員を建前にしていたことが理由になるかと思います。丸投げという表現もそのあたりに関わり。

2012-06-06 21:27:51
お菓子っ子 @sweets_street

ありがとうございます。昨日ツイートしたんですが、唐の律令制なら郡司の大領・小領クラスも相当な高官のはずなんですが、それが豪族に丸投げなのも不思議でした。中央が弱くて国司レベルまでしか掌握できないとなると、納得できます @skskmkh

2012-06-06 21:30:21
お菓子っ子 @sweets_street

軍事動員禁止は初めて知りました。律令軍団は軍隊じゃなくて治安部隊なんですね。禁止された理由がなぜなのか気になります @skskmkh

2012-06-06 21:32:16
こーど・あんぐりまーら @skskmkh

@sweets_street 軍団は、中央から軍権を委任された(節刀ですね)将軍のもとに、数ヵ国の軍団から派遣された軍を結集する形で遠征軍を形成します。一方で、平時の軍団は、軍毅などの指揮下で治安維持機能を果たすことになっていました。戦時、平時の切り替えがあるのですね。

2012-06-06 21:39:12
司史生@2版制作中 @tsukasafumio

律令制の軍団というのは、元来は唐や新羅を外敵として整備された制度なんですよね。だから大半の軍団は、勅命による総動員を想定した地方予備軍で、平時の運用はあまり想定してなかったんじゃないかと思うのです。

2012-06-06 21:42:19
お菓子っ子 @sweets_street

ああ、なるほど。軍団は平時では治安維持専任で単独では軍事行動しない。戦時は臨時任命の将軍が数個軍団を指揮下に置くと。後漢が外征する時と近いですね。勉強になります。鎮守府将軍はどういう位置づけだったのでしょうか? @skskmkh

2012-06-06 21:44:49
司史生@2版制作中 @tsukasafumio

@skskmkh @sweets_street 常設の軍団は、どちらかというと兵力プール(下手すると土木作業員プール)の意味合いが強かったのかもしれませんねえ。

2012-06-06 21:45:00
こーど・あんぐりまーら @skskmkh

@sweets_street 建前上は軍権は天皇大権として兵部省管轄でしたが、実質は豪族に依存しています。郡司は、任命の際に中央に召集されて天皇によって任命される儀式があったように、律令政府の構造として伝統的支配力に依存していて、再構成できていないのですね。

2012-06-06 21:45:39
ふゅ〜りあす @tebasaki_s

なんか初期のアメリカっぽい感じがします。 QT @tsukasafumio 律令制の軍団というのは、元来は唐や新羅を外敵として整備された制度なんですよね。だから大半の軍団は、勅命による総動員を想定した地方予備軍で、平時の運用はあまり想定してなかったんじゃないかと思うのです。

2012-06-06 21:46:31
お菓子っ子 @sweets_street

盗賊討伐とかは考えてなかったんでしょうか? RT @tsukasafumio: 律令制の軍団というのは、元来は唐や新羅を外敵として整備された制度なんですよね。だから大半の軍団は、勅命による総動員を想定した地方予備軍で、平時の運用はあまり想定してなかったんじゃないかと思うのです。

2012-06-06 21:46:56
宗田威 @soudai3

RT @skskmkh: @sweets_street 軍団は、中央から軍権を委任された(節刀ですね)将軍のもとに、数ヵ国の軍団から派遣された軍を結集する形で遠征軍を形成します。一方で、平時の軍団は、軍毅などの指揮下で治安維持機能を果たすことになっていました。戦時、平時の切り替えがあるのですね。

2012-06-06 21:47:01
こーど・あんぐりまーら @skskmkh

ツイート慣れしていないので冗長になるのは御免あれ。

2012-06-06 21:48:03
お菓子っ子 @sweets_street

宋の廂軍がまさにそういう目的で人を大勢抱えてましたね。ほぼ土木工事要員 RT @tsukasafumio: @skskmkh 常設の軍団は、どちらかというと兵力プール(下手すると土木作業員プール)の意味合いが強かったのかもしれませんねえ。

2012-06-06 21:49:21
お菓子っ子 @sweets_street

RT @skskmkh: @sweets_street 建前上は軍権は天皇大権として兵部省管轄でしたが、実質は豪族に依存しています。郡司は、任命の際に中央に召集されて天皇によって任命される儀式があったように、律令政府の構造として伝統的支配力に依存していて、再構成できていないのですね。

2012-06-06 21:49:41
スグル・サトー @SatoSuguru

RT @skskmkh: @sweets_street 建前上は軍権は天皇大権として兵部省管轄でしたが、実質は豪族に依存しています。郡司は、任命の際に中央に召集されて天皇によって任命される儀式があったように、律令政府の構造として伝統的支配力に依存していて、再構成できていないのですね。

2012-06-06 21:53:08
お菓子っ子 @sweets_street

結局、豪族の私兵に依存してたんですね。国衙軍と構成はあまり変わらなくて、動員や指揮の権限が中央が任命した将軍じゃなくて、国司が任命した押領使・追捕使にあるという違いなんでしょうね(´・ω・`) @skskmkh

2012-06-06 21:53:46
こーど・あんぐりまーら @skskmkh

@sweets_street 鎮守府は陸奥に置かれていましたが、陸奥出羽は蝦夷の勢力がつよく、そもそも特別に国司に軍権がありました。しかし軍事的必要性(関東などからの援軍や、同一将軍の継続性、さらには国境を越えた戦闘)に対応するため鎮守府将軍が常置されます(続く)

2012-06-06 21:54:44