東北の地名の歴史

タイトルどうりです
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@bukrd405

古代東北の住民を指す「蝦夷」(エミシ)という言葉は、「人」「自分」を意味する「エンヂュ」「エンチウ」「エムチュ」という古アイヌ語からきたとか、弓術に優れた弓師=ユミシからとか、ヒゲが多いからエビに譬えたとか、諸説あるが、はっきりしない。

2012-06-11 20:41:38
@bukrd405

ただし「蝦夷」という漢字については、その音の「カイ」からきたという説が有力である。

2012-06-11 20:42:01
@bukrd405

「みちのく」は、今でこそ東北地方全体の代名詞のようにいわれているが、厳密には陸奥国のみを指していた。大化の改新(645)の後に大和朝廷によって区分され、最終的には今の福島県、宮城県、岩手県、青森県、そして秋田県北東部が「みちのく」となった。

2012-06-12 13:50:59
@bukrd405

おおまかにいえば東北地方の太平洋側一帯である。この言葉自体は、五畿七道の一つであった「東山道」の「奥」という意味である。東山道は、現在は死語になってしまったが、都から東北地方に向かう栃木県までの幹線道路のことで、その道筋の国々の統括名称でもあった。

2012-06-12 13:53:38
@bukrd405

つまり、福島から先が「道奥国」で「みちのくのくに」ということであった。しばらくして、この「道」の字が「陸」という字に変わり、「道奥国」から「陸奥国」と表記されるようになる。陸には道という意味があり、また海を越えた北海道は含まないという意識があったのかもしれない。

2012-06-12 13:55:46
@bukrd405

で、「陸奥」と書くようになってから、さらに今度はこれを「むつ」と呼ぶようになった。陸は、その発音から「六」(むっつ)に通じるためである。そうなるとわざわざ「みちのく」と長ったらしく呼ばなくなる。ちなみに「州」も国と同じ意味に使われたので、陸奥国は「奥州」とも記された。

2012-06-12 13:59:27
@bukrd405

日本海側は出羽国である。名目上は明治時代になっても、「みちのく」は陸奥国であって、出羽国とははっきりと区別されていた。今でも秋田県では不用意に「みちのく」を使うと「違う、出羽国だ」と怒る人もいるそうである。

2012-06-12 14:01:41
ギャン@この世の美少女は全て褐色でいいんじゃね? @kurentu

@bukrd405 それ言う人はもう鬼籍に入っちゃったんじゃないかな?@秋田県民

2012-06-12 14:02:55
@bukrd405

坂上田村麻呂の蝦夷征討後、最後まで抵抗を続けた北上川中流域は6つの郡(北から岩手、紫波、稗貫、和賀、江刺、胆沢)に分けられ、「奥六郡」と呼ばれるようになる。朝廷の支配下に置かれた蝦夷たちは俘囚と呼ばれ、日本各地に強制移住させられた者もいたが、

2012-06-12 14:06:13
@bukrd405

(承前)陸奥・出羽にとどまった俘囚は交易なども自由に行うことができたと考えられている。とはいえ、反乱がなかったわけではなく、878年には秋田北部で「出羽元慶の乱」が勃発する。これは秋田川(雄物川)以北の独立運動で、結局は制圧されてしまったのだが、それからの約100年間、

2012-06-12 14:08:38
@bukrd405

(承前)11世紀に起こった前九年合戦まで、中央の編んだ文献には蝦夷の動静はあまりみられなくなる。

2012-06-12 14:13:04
@bukrd405

坂上田村麻呂の化身と伝わる岩手県花巻市・成島毘沙門堂の《兜跋毘沙門天立像》(画像)http://t.co/WUotNmaY

2012-06-12 14:17:55
@bukrd405

@jonathanohn @kurentu 何度もまとめありがとうございます。情報ソースは『芸術新潮』2011年10月号です。

2012-06-12 23:00:18