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2012年6月15日

笠井潔 @kiyoshikasai 先生による日本の60年代から80年代精神世界の概観について

笠井潔 @kiyoshikasai 先生による日本の60年代から80年代精神世界の概観についてまとめました。
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笠井潔 @kiyoshikasai

@kotobahadaiji 学生運動をやっていたころ、まわりに神秘思想に関心があるような人間はいませんでした。戸田徹という親友が、唯一の例外かな。しかし党派運動の外では、いろいろあったことがだんだんわかってきた。たとえば津村喬のような人がいることも。

2012-06-14 04:17:03
笠井潔 @kiyoshikasai

70年代後半からの精神世界ブームは、一方で津村喬、他方で武田崇元が火付け役だったと思います。この点で、60年代の新左翼運動と80年代の精神世界ブームには歴史的脈絡がある。人民寺院の例からもわかるように、アメリカでは事態はもっと歴然としています。

2012-06-14 04:22:04
笠井潔 @kiyoshikasai

60年代→80年代の流れにポストモダンな切断線を入れたのは、中沢新一の『チベットとのモーツァルト』でしょうが、これも津村喬にあったものを拡大した要素が大きい。そもそも中沢が依拠したドゥルーズにしても、フランスの68年の思想なわけだし。

2012-06-14 04:25:29
笠井潔 @kiyoshikasai

細かいことはどうでもいいんですが、80年代の精神世界派の若者は、どうして60年代という由来を忘却したのか。先日は、この点に即したツイートでした。

2012-06-14 04:29:02
笠井潔 @kiyoshikasai

「もっと昔のことを勉強しろ」と説教しているように思われるのは心外ですが、80年代という時代の自己完結性というか、歴史意識の稀薄性はなんなのでしょうね。

2012-06-14 04:31:05
笠井潔 @kiyoshikasai

日本の近代は「欧米に追いつけ」でやってきたわけで、遂にアメリカに経済戦争で勝利したと思いこんだ瞬間、日本人の頭の中で歴史は終わったのかもしれません。

2012-06-14 04:33:19
笠井潔 @kiyoshikasai

80年代の「ジュリアナ」派と精神世界派は、年長世代からは、共通するところもあるように見えます。いずれも「生の意味」にこだわる点で。「ジュリアナ」派は中間的で、むしろ暴走族と精神世界派に分けたほうが適切かも知れません。  

2012-06-14 04:37:15
笠井潔 @kiyoshikasai

こうなると階級的背景が見えやすくなる。暴走族はワーキングクラス、オタクカルチャーとも親和性が高い精神世界派はミドルクラスの若者文化。

2012-06-14 04:38:28
笠井潔 @kiyoshikasai

いずれも、瞬間的な意味の爆発(コリン・ウイルソン風に言うと価値体験、至高体験)を求めたわけです。全共闘も同じこと。そして60年代は連合赤軍、80年代はオウムという袋小路に行き着いてしまう。

2012-06-14 04:46:42
笠井潔 @kiyoshikasai

こうした歴史的経験を全体として再考することが、21世紀の今日でも、むしろ今日だから必要なのではないかということです。

2012-06-14 04:48:25
笠井潔 @kiyoshikasai

@KanaShimadzu 全体性への執着は20世紀のビョーキだと、アドルノは批判しているわけで、それもわからないではない。だったら全体性とはいわないで、多様性の海に身を投げだした方がいい、という感じになるのかもしれません。60年代とか80年代とか通史的に序列化する必要はない。

2012-06-14 05:05:10
笠井潔 @kiyoshikasai

なにしろ『悪霊』のキリーロフに自分を見たという、文字通りの中二体験からはじまった人間だから、60年代は政治派で神秘派だった。70年代の一時期はディスコに入り浸っていた。暴走族とは党派が違うが、峠族をやって時期もある。一巡りして、これからはまた政治派に戻るような気もしている。

2012-06-14 05:24:59

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