山本七平botまとめ/「社会的通念」が存在しない環境で狂う「事実」と「判断」
- yamamoto7hei
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26】光化学スモッグで窓があけられないのは大変に困るが、しかしその昔、郊外にあった私の家では、真夏にどんなに暑くとも畑に肥料がまかれると「黄害スモッグ」で窓があけられなかった。
2012-06-18 22:59:4627】周囲ことごとく畑であり「肥料をやってはならん」などという権利はだれにもないから、これ以外に方法がない。しかも当時は冷房はないから、炉に入れられたようになってしまう。排気ガスは確かにこまるが、何町もつづく肥車の列をすり抜けて登校するのもなかなか大変であった。
2012-06-18 23:28:0428】「田舎の香水」などといっても今では意味が通じまいが…郊外から着飾ったお嬢さんがパーティーなどに出てくると香水の如くに異臭をふりまくことは少しも珍しくなかった。何しろ全日本の田畑にことごとく人糞がまかれるから「西洋人はバタ臭く、日本人はアレ臭い」といわれたものである。
2012-06-19 00:28:5929】ピクニック…が盛んになったのは、人糞利用の率の低下と比例しているのではないかと思う。更に「肥料会社に勤めていると世の誤解があって娘が嫁に行けないから転職した」などといっても、今では一体それがどういう事なのか理解できないであろう。勿論、こういう偏見…はどうでもよい事だが(続
2012-06-19 00:59:2430】続>それよりも何より恐ろしいのは回虫の蔓延であった。水銀中毒の恐怖がなかったかわりに回虫への恐怖があり、公害で日本人は滅亡するという話はなかったが「結核亡国」と並んで「回虫亡国」「脚気亡国」という一種の「滅亡教」的発想は当時もあって「死のう団」などという団体まであった。
2012-06-19 01:27:0331】また、日本軍の最大の敵は敵軍でなく、結核・回虫・脚気だといわれていた。子供がひきつけを起せば反射的に人々はその原因を「虫」だと考え「虫切り・虫封じ」という職業があって…また新聞・雑誌を開けば必ず大きなスペースで「虫下し」の広告があり、気味の悪い回虫の絵が入っていた。
2012-06-19 01:57:5232】回虫卵は風でもとんで来るといわれ、神経質な母親はその為に子供にマスクをかけさせたそうである。従ってこの事への神経質ぶりは到底今の汚染魚への状態の比ではないであろう。回虫は胃壁を破って移動して肺や脳に入り、時には眼球の後ろに入って失明さすなどともいわれて人々は恐怖した。
2012-06-19 02:28:2233】体内の虫を殺す駆虫薬は一種の「毒」らしく、軍隊のそれは人によっては翌朝太陽が黄色く見えるといわれ…回虫卵は絶えずロからとび込んで来るから、つい駆虫薬を連用する。女性が連用すると不妊症になるなどともいわれた。こういう事全て、一時期の魚への恐怖ぐらい根拠の無い事かも知れない。
2012-06-19 03:28:2334】しかし人々が恐怖したのは事実であった。生野菜にも一種の恐怖があった。陸軍は「禁ナマモノ」の世界である。今では、水銀を連想しながらトロを食べている人はあっても、回虫への恐怖を頭の片隅におきつつ生野菜を食べている人はいないであろう。それだけ「黄害は遠くなりにけり」である。
2012-06-19 04:38:1035】しかし、公害を克服するという事は、すっかり忘れてしまったこの黄害に戻る事ではないであろうし、人糞を畑に戻すという循環が、回生卵の拡大的再循環を巻き起し、それがどれほど日本人を苦しめつづけたかも、忘れるべきでないであろう。
2012-06-19 04:59:2136】餓死直前となると、この回虫の有無と脚気の有無は実に大きく作用した。「ガ島は餓島」にはじまる日本軍の飢えとの戦いは、一面、回虫との戦いであり、それはいわば「黄害」との戦いでもあったわけである。ジャングルでは「虫(回虫)がつくとシラミもつかん」といわれた。
2012-06-19 05:27:3337】回虫のいる人間には本当にシラミもつかなかったか、と問われれば、この実態は、私には確信できないが、虫のいる人間は、シラミも敬遠するほど衰弱がひどかったとはいえたであろう。回虫さえなければ、もっともっと多くの人が、生きてジャングルから出てきたであろう。
2012-06-19 05:58:3538】尚武集団(十四方面軍)の大部分は餓死であると、アメリカの戦史にも記されている。大体、戦勝国の戦史は、相手が餓死しても、大激戦の結果絶滅したように書きたがるものだが、それがこうはっきり書かざるを得なかったことが、その実情を示している。
2012-06-19 07:27:5939】しかしその餓死の現場にあった者がもう一つの原因をあげれば、回虫すなわち黄害である。何しろ最低の食糧を同じように分配しても、回虫がいる者はそれが自分の養いにならず、いわば虫に横取りされてしまう。
2012-06-19 07:57:5440】そこで同じように食べながら普通人には見られない異常な飢餓感があるから、たえずイライラし、また自分の養いにならぬからぐんぐん衰弱し…骨と皮になって性格まで一変していく。「虫が毒素を出すからだ」などともいわれた。口から虫をはき出すようになればもうだめだともいわれた。
2012-06-19 11:57:0641】不思議な事に虫がつく体質とつかない体質とがあった。同じように生活していても、全く回虫がつかない人もいるのである。私も幸い「虫がつかない」体質であった。戦後しばらくたって収容所である軍医さんが一心に「駆虫薬をのんで回虫が出たという経験があるかないか」を聞いて回っていた。
2012-06-19 12:43:4642】この軍医さんの話によると、何しろ生き残って収容所までたどりついた人間は、殆ど全てが「虫のいた経験のない」人間だったそうである。「虫の好かんヤツが生き残ったわけですなあ」といって彼は笑ったが、綿密な統計をとっても、おそらく同じ結果が出たであろう。
2012-06-19 13:56:5643】飢えの他にマラリア、アメーバ赤痢、熱帯潰瘍で、四十度の高熱を出しながら、血のまじった鼻汁のようなものを肛門から流し続けたり、体にウジがわいたりしても、回虫がなければ何とか生きのびる事も可能だった訳である。そうなると飢えに次いで我々を苦しめたのは実は「黄害」だった訳である。
2012-06-19 14:26:4544】人がいかに化学肥料を非難し、中国の人糞使用を賛美しても、私は、黄害時代の再来はまっぴらである。そのことの賛美自体が、その人が「黄害」の苦しみを知らぬ「良き時代」の生れであることを示しているにすぎない。
2012-06-19 14:59:2145】というのは黄害の最大の被害者は農民であって、その害は今まで記したことで尽きているのではないからである。私は武市氏とは逆に、中国の農民が一日も早く黄害から脱却できるように願っている。周恩来首相も、おそらくそれを願っているであろう。
2012-06-19 15:27:0746】公害の克服は、絶対に黄害や黄害時代を賛美しても、美化しても解決はしない。というのはそれも結局は、「女形らしきもの発見……」の世界を知らぬ者の事実と関係なき虚妄の一判断にすぎないからである。
2012-06-19 15:57:13