山本七平botまとめ/「社会的通念」が存在しない環境で狂う「事実」と「判断」

山本七平著『ある異常体験者の偏見』/鉄格子と自動小銃/175頁以降より抜粋引用
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山本七平bot @yamamoto7hei

1】言うまでもない事だが、客観的な事実とそれに対する各人の判断は全く別である。「事実とは何か」「それは私の判断である」といいうるのは厳密にいえば幼児だけ、両者を混同し易いのは大体高校生迄で、少なくとも一人前の人間は、両者は別だという事を知っている筈である<『ある異常体験者の偏見』

2012-06-18 10:26:46
山本七平bot @yamamoto7hei

2】従って「アパリの地獄船(註:山本七平が捕虜として乗せられた船のこと)」といっても、これは船倉に入れられ、飢え、食物を支給されなかったという非常に特異な状態におかれた人間の判断であって、客観的な事実はまた別であろう。

2012-06-18 10:56:47
山本七平bot @yamamoto7hei

3】だが人間は異常な肉体的・精神的状態で異常な場所におかれ、外部との連絡を遮断されてしまうと、単に判断が狂うだけでなく「判断」と「事実」とは別だという事すらわからなくなるのである。

2012-06-18 11:26:40
山本七平bot @yamamoto7hei

4】これは当時の我々にも「南京大虐殺」の「まぼろし」の中の実在事件、山田旅団における中国人捕虜の暴動にも見られる事だが、こういう場合恐ろしい事は、ある一人間の判断が、一つの客観的な事実のように皆に受けとられ、皆それを事実と信じ込んで、その結果、その「架空の事実」に対抗する為(続

2012-06-18 11:57:00
山本七平bot @yamamoto7hei

5】続>何かのきっかけで、爆発的な、そして現実的には全く無意味な行動へと人々がかり立てられる事であろう。一人間の判断が、一見疑う余地ない客観的な事実に転化してしまうという非常に興味深い例は、最近のミンダナオの「幻の日本兵」によく現われている。

2012-06-18 12:26:50
山本七平bot @yamamoto7hei

6】三木漱三さんがビラアン族のタオさんを実弟の虜二さんだと判断したのは、もちろんそう判断すべき根拠があったからであろう。そして朝日新聞の記者がこの漱三さんの判断を自己の判断とし、その自己の判断を事実にしてしまった。

2012-06-18 12:56:47
山本七平bot @yamamoto7hei

7】ついでこの「朝日」の「判断=事実」をほぼ全新聞が自己の「判断=事実」とし、それを読んだ全日本人にとってタオさん=虜二さんは、ほぼ動かすべからざる事実になってしまった。

2012-06-18 13:26:40
山本七平bot @yamamoto7hei

8】もっともフィリピンに本当にくわしく、この国の庶民の考え方や行動の型を知リ、彼らのいう「兄弟」とか「従兄弟」とかいう言葉が、日本人のそれとは全く別な「意味内容」も持つ事を知る者は~略~「ウチのオトウチャン偉インダゾー」ぐらいの意味だがなぁ、ぐらいの事は考えているかも知れない。

2012-06-18 13:56:47
山本七平bot @yamamoto7hei

9】しかしおそらくそういう人は例外であろう。従って、ある一時期、全日本人にとって、彼は「虜二さん」であった。だがどれだけ多くの人がどう判別しようと、彼が「タオさん」であるという事実は、初めから終りまでもちろん何の変化もない。

2012-06-18 14:26:44
山本七平bot @yamamoto7hei

10】「事実」は判断とは関係ないから、判断によっては左右されない。そしてここに今まで何回も述べてきた問題があるわけである。軍人的断言法で判断を規制され、単一の判断しか許されないと、「タオさんを虜二さんと見よ」という絶対的命令を下されたに等しい状態になってしまうわけである。

2012-06-18 14:56:52
山本七平bot @yamamoto7hei

11】この場合、問題が非常に単純なケースだから、それがはっきりわかるわけだが、ほかの場合はこの関係がちょっとわからないわけである。こういう事は…哲学の時間に「認識論」とか「判断論」とかいう講義で私も教えられた筈…しかし大体、私のような怠け学生には~略~何一つ判ってはいなかった。

2012-06-18 15:26:52
山本七平bot @yamamoto7hei

12】そして戦場で「なるほど『事実』と『判断』とは無関係だ」と悟らざるを得なくなって、今度はまた「哲学などというものは、明けても暮れても異民族と戦争をしていた民族が生み出したのではないか」という妙な妄想にとりつかれるようになった。

2012-06-18 15:56:51
山本七平bot @yamamoto7hei

13】そしてこの点でも「日本語では戦争はできない」とつくづく感じたわけである。簡単にいえば、我々は「社会的通念」というものを信じていれば、それで生きていける社会にいるわけである。従って「世の中なぞ絶対に信じない」という人は本当には存在しないわけである。

2012-06-18 16:26:44
山本七平bot @yamamoto7hei

14】なぜなら、そういう言葉をロにする人は、その言葉が相手に通ずる事を、絶対に疑っていないし、この言葉には、皆が信じている「世の中」すなわち社会的通念が確固として存在している事を前提にしているからである。

2012-06-18 16:56:42
山本七平bot @yamamoto7hei

15】ところが「戦場という『世の中』」は何一つこういうものはない。特に分断され寸断されてジャングルにこもった小集団などには、基準とすべき通念などは全くなくなっている。こうならなくとも、戦場では「社会的通念」がないから通常の社会で使われている言葉が、使えなくなってしまうのである。

2012-06-18 17:26:39
山本七平bot @yamamoto7hei

16】世の中が信じられないとは本当はこういう事であろう。…我々は「女の人が来た」という。これに対して「いやその言葉は正しくない。君が見たのは一つの形象であり『女の人』というのは君の判断にすぎない。相手は女装した男性かも知れぬ。君がどう判断しようと相手の実体はそれと関係なく存在する

2012-06-18 17:57:06
山本七平bot @yamamoto7hei

17】また『来た』というのは君の推定であって、そう思った瞬間、相手は回れ右をして行ってしまうかも知れぬ。従って、そういう不正確な言葉は使うべきでない」などといえば、全く閑人の無意味な屁理屈である。

2012-06-18 18:27:04
山本七平bot @yamamoto7hei

18】しかし戦場では否応なしに、そういう言い方にならざるを得ないので、ここに本当に「世の中が信じられない」状態の言葉が発生するのである。先日Aさんが遊びに来た。彼は時々戦争映画を見たり、戦争小説を読んだりして憤慨する。

2012-06-18 18:57:00
山本七平bot @yamamoto7hei

19】憤慨するぐらいなら見たり読んだりしなければよいのだが、彼の場合は、憤慨するのが一種の道楽になっているような面もある。もっともこういう道楽の人は案外多い。何でも彼が見た映画(だったと思う)では「敵が来た」と報告する場面があったのだそうである。

2012-06-18 19:27:30
山本七平bot @yamamoto7hei

20】「バカにしてやがる、そんな報告する訳ネージャネーカ」と…彼は憤慨した。確かに…こういう場合は「敵影らしきもの発見、当地へ向けて進撃中の模様」という。確かに彼が見たのは一つの形象であり、彼はその形象を一応「敵影」らしいと判断し、こちらへ来ると推定したにすぎない訳である。

2012-06-18 19:58:00
山本七平bot @yamamoto7hei

21】そして対象はこの判断とは関係がないから、味方かも知れないし、別方向へ行くのかも知れない。しかし、だからといって一般の社会で「女の人が来た」といわずに「女影らしきもの発見、当方へむけて歩行中と判断さる」などといえば、それは逆に頭がおかしいと判断されることになろう。

2012-06-18 20:31:36
山本七平bot @yamamoto7hei

22】そしてそのことは逆に「事実」と「判断」とを峻別しなければ生きて行けない世界とはどんな世界なのか、さらに現実にその世界に生きるとは、一体どういう状態なのかが、今の人には全く理解できなくなったことを示しているといえよう。

2012-06-18 20:58:20
山本七平bot @yamamoto7hei

23】しかし少なくとも外国で何かを判断する場合、又外国を判断する場合は、この心構えが必要であろう。事実別種の生活形態は非常に理解し難いものである。「幻の日本兵」事件の原因にも明らかにそれがあるが、同じ日本人の僅か三十年前の生活形態すら、今ではもう理解できなくなっているようである

2012-06-18 21:27:50
山本七平bot @yamamoto7hei

24】例えば…武市英雄氏が「中国の農民は、日本の農民よりも物事をよく知っている…」として、人糞利用の例をあげている。勿論、こう明言された以上、中国の農民と日本の農民を徹底的に比較研究した上での対比であろう。そうでなければ、日本の農民への実に失礼な断定といわねばならない。

2012-06-18 21:58:52
山本七平bot @yamamoto7hei

25】しかしその短いパラグラフを読んでいるうちに、私のように人生の半分を人糞利用の世界で生きていた人間には、瞬間的に「公害」ならぬ「黄害」の世界が実感としてよみがえってくるので、何ともいえぬ奇妙な気持になってしまうのである。

2012-06-18 22:32:59