【Shunyaliana】享受論、私たちが求めた、哲学【暇と退屈のユーティリティ】
- L_O_Nihilum
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そこで、「御宅が消費の前後何しているか=課題」と言った。そして、「そうだ、享受だ!そのための記述が必要なのか!」と言い出した私。
2012-06-21 22:24:23その間、黄金の傲慢王(傲慢であって然るべき、広汎な知識を背後に抱えた偉大な王であるが故、畏敬の念を以てこう呼びたい)の導きを得ながらも、いろんな本を読んでいた矢先、そのとなりで國分先生が、「享受」の話を発言した!こいつはテンションあがるw。
2012-06-21 22:26:03@youme2525 享受の中に、消費がある。消費は享受を孕む。しかるに、享受と消費とは、二項対立したれっきとした他者であり、故に消費中心主義という理論が成り立っていた。ま・さ・に・脱構築ッ!!
2012-06-21 22:27:18そこにやってきた、私たち。今こそ求められる、享受の世界!…「消費と享受は違う、なんて力強いメッセージだろう」・・・そんな言葉を、@Yuuhimawariさんより、戴いた。そんなに、力強いメッセージだったのだ、と、他人に感心してもらうことで改めて、僕は感じた。
2012-06-21 22:34:35今、これだけたくさんの人が、享受の記述を、哲学を、求めているんだなぁと、御宅でありながら、切に思うわけです。まぁ、まず第一には、そんなところ。
2012-06-21 22:35:14@L_O_Nihilum 人は誰でも自分の存在や自分が好きなものを他人に認めてもらいたいという欲求があります。創作という自己表現がそうした動機から生じるのであれば、享受というのはそうした作品を媒介としながら、人と人を情で結びつけるものであるのでしょう
2012-06-21 22:40:51@hadoron1203 その通りであると思います。ですから、享受について書くということは、ある側面では最終的に、人間関係、倫理、道徳(?)というか…そういった「かかわり」の思考に至っていくと思っています。まさに、「創作・提供・享受の基礎原理」と言ったところでしょうか。
2012-06-21 23:17:39@youme2525 今教理学の授業で道元禅師の話をやっていますが、道元の「有時」の話って有(存在)と時(時間)とかハイデガーと通底するそうな。修(修行)証(悟り)ってのはまさか…「反復(修)と差異(証)」?…なんちて。
2012-06-21 23:25:43