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平野悠 @yu_hirano
もう、25年も前、わたしゃ、ドミニカのサントドミンゴで日本レストランを経営していた。その時教育リーグでドミニカに来ていた若き山本昌は何度も寿司を食べに来ていた。若かったな。青年山本昌。それから大活躍。素晴らしい。 @GendaiYoko 山本昌投手今年45歳現役。
平野悠 @yu_hirano
ドミニカ閑話そのー1 暇なもんで・・・それでさ、わたしゃ、世界放浪の旅(5年で84カ国制覇)を辞めて、ドミニカに永住を決意したんだ。それでレストランと貿易会社作ってさ。そうしたら広島カープがキャンプ来るという。阿南さんが来た。「平野さんよろしくキャンプ地を探してください」って・・
平野悠 @yu_hirano
ドミニカ閑話そのー2もう25年も前の話さ。世界放浪の旅やっていてそれに飽きてしまって、でも日本が嫌いで帰国したくなかった。ちょうと暴威が大ブレイクした頃だ。更には新宿ロフトがブレイクしていて「ロフトに出なければロッカーじゃない」なんて言われたちょっとの時代。メレンゲにはまっていた
平野悠 @yu_hirano
ドミニカ閑話その3 隣は世界最貧国のハイチ。バスで行けた。当時のドミニカは「カリブ海最後の楽園」と言われた。海はどこまでも蒼く、メレンゲ(サルサとは違うのですよ)の強烈なリズムは私を虜にした。「この国に住むしかない」って思って、女中雇ってプールとテニスコートのあるフラットに住んだ
平野悠 @yu_hirano
そんなことはないよ。相手は大企業だ。それでここには音楽関係者が多いので、一言言わせて貰えば、メレンゲのステップは世界有数に難しいと言われている。わたしゃ、5年かけてマスターしたけど今は踊れない。@oreberry おおお、平野さんがいなければカープアカデミーはなかった!?てことは
平野悠 @yu_hirano
ドミニカ閑話その4 なぜカリブの島国に永住を決意したかって?そりゃ〜海は綺麗、安全(あくまでも他の中米諸国に比べてだが)隣の島はレゲエのジャマイカ、カリプソのキューバ、陸続きのハイチはブードゥーとそれは毎日ラテン音楽漬けだった***は最高の質。物価は安い、姉ちゃんはオープン(笑
平野悠 @yu_hirano
ドミニカ閑話その5 当時(25年前)はアメリカはカーター民主党政権。アメリカの中庭でドミニカは与党と野党がちゃんといて政権交代していた。カーター大喜び。でもね中米の政権交代って凄いんだ。テクノクラート(官僚)なんていないから、政権変わると役所から全てなくなる。電話や机さえも・・。
平野悠 @yu_hirano
ドミニカ閑話その6 選挙はみんな必死選挙で自分が応援する政党が権力握ると美味しい話がたくさんある。公務員になれる。だから選挙戦は死人まで出る。わたしゃ、選挙債権買った(1万ドル)でもその大統領候補は負けた。権力の仕返しは凄い。もしその候補が勝っていたら私のドミニカ撤退もなかった?
平野悠 @yu_hirano
ドミニカ閑話その7 公用語は南米スペイン語。レストランのオーナーとなると拳銃をポケットに入れて外出しろとドミニカ人マネージャーは言う。銃は簡単に買えた。でも現地では金持ちと思われている。時折ピストルをポッケから出してみんなに見せる。「俺は武装している」って思われることが重要なのだ
平野悠 @yu_hirano
ドミニカ閑話その8 もう25年も前の話だ。私40歳。独身。(ロフト4件を売った金はあったから小金持ち)カリブの島国に世界放浪の末たどり着いて、このすてきな島で骨を埋めようと思った。(永住の決意)ドミニカしかない特有の音楽メレンゲろカリブ海の紺碧の海にはまってこの国を選んだ。
平野悠 @yu_hirano
ドミニカ閑話その9 当時カリブ海諸国には日本レストランがなかった。世界では寿司、天ぷらは一つの金持ちのステータスだった。ドミニカにはアメリカで成功した金持ちが沢山住んでいる。先ずはこの国の首都に日本レストランを作るった。日本から板前を連れて来た。店の場所も一等地が見つかった
平野悠 @yu_hirano
ドミニカ閑話その10 その頃私は生まれて初めて女中を雇った。マリサ(21歳)門番に連れてこられた時身体はガリガリに痩せ、着ている者は全く貧相だった。住み込みで月7000千円。週一日の休みと条件は簡単に決まった。彼女の目はうつろだった。誰も信用していない目をしていた。
平野悠 @yu_hirano
ドミニカ閑話その11 当時のドミニカの日本人社会は「女中からいかに物を盗まれないように防衛するか」が共通の認識だった。私は簡単な契約を済ませると「私についておいで」と言って車に彼女を乗せてダウンタウンに向かった。私は200ペソ(約6千円)をあげて「好きな物を買いなさい」と言った。
平野悠 @yu_hirano
ドミニカ閑話その11 私の申し出にマリサは明らかに戸惑っていた「あの〜下着も買ってもいいですか?」とおずおず私に聞いてきた「勿論好きな物を買っていいよ」と私は言った。冷えたココナツジュース飲みラジオから流れる激しいメレンゲのリズムの中彼女を待った。このリズムが俺を狂わせたと思った
平野悠 @yu_hirano
ドミニカ閑話その12 1時間も経っただろうか?彼女は沢山の笑顔と大きな荷物を持って帰って来た。私の心は複雑だった。金持ちの私と極貧の彼女。いい気になっている自分。なぜか悲しかった。帰りの車では一言も話せなかった。コロンブスの銅像を右に折れてキラキラするカリブ海を見ながらフラットに
平野悠 @yu_hirano
ドミニカ閑話その13 フラットに着いた。ふと彼女を見ると彼女の目から涙が溢れていた。その涙はまるでカリブ海の真珠のようだった。「私、今まで多くの金持ちに雇われてきた。でも初対面でこんな事されたのは初めて」私はいいことをしたのかどうか判断がつかなかった。二人は無言で部屋に入った。
平野悠 @yu_hirano
ドミニカ閑話その14 それから私は彼女を徹底的に一切の差別なしに「同居人」として接した。彼女は元気になった。彼女と映画もディスコも一緒に行った。彼女は私の素晴らしいスペイン語のスラングの教師だった。小さな閉塞的日本人商社会で「平野さんは女中と出来ている・恥だ!」という評判が立った
平野悠 @yu_hirano
ドミニカ閑話その15 話はまだまだ続くのだが・・・面白いのかな?話を急ごう!それから4年、マリサ(女中)は私の部屋から1ペソも盗むことはなかった。そして日本から連れてきた板前(藤井サンスケ・元バナナリアンズボーカル)の自殺やオイルショックでレストランや貿易会社が赤字に転落した。
平野悠 @yu_hirano
ドミニカ閑話その〜16 もうドミニカの話は終わりかと言うメールが来た。今更25年も前のカリブ海の話をしても仕方がないか?でも書き始めてしまった・・・余談だが、ドミニカは当時人口600万。面積は四国をちょっと大きくした感じ。隣はハイチ。人種は大半がスペインとの混血のカラード。途上国
平野悠 @yu_hirano
ドミニカ閑話その〜17 中南米(当時)の労組のストライキって凄いんだ。ある日私の会社に通知が来た「〜にゼネストをやる。参加不参加は自由だ。その日貴社が営業して何が起ころうと責任は持てない」ストライキ当日は道路に釘がばらまかれ、下町では警官隊と労働者の衝突が起きていた。
平野悠 @yu_hirano
ドミニカ閑話その〜18 そうだテーマはマリサ(女中)の話だ。全てを任していた日本人板前(サンスケ)の自殺によって私は、消耗し、ドミニカでの仕事を全て放り投げて毎日ギャンブル(カジノ)と酒ばかり飲んでいた。もう私はドミニカから撤退するしかなかった。マリサに少ないが退職金をあげた。
平野悠 @yu_hirano
ドミニカ閑話その〜19 会社のドミニカ撤退が決まると、私のドミニカの自称「アミーゴ達」はドミニカの数少ない財産を要求し始めた。どうでも良かった私は彼らに全部あげることにした。誰の見送りも受けず一人サントドミンゴの空港からNYに向かった。NYで一週間滞在したその時事件は起こった
平野悠 @yu_hirano
ドミニカ閑話その〜20 自称私のアミーゴからの電話だった。「マリサが私のフラットの部屋から家具類を全部盗んで逃げた。今秘密警察に行方を追わせしている」と言う。私はマリサに拍手を送った。「逃げろ!マリサ!捕まるな!」と心から思った。マリサは私の悲しみを完璧に理解してくれていたのだ。
平野悠 @yu_hirano
ドミニカ閑話その最終回 NYから日本に帰った。しばらくしてマリサが秘密警察に捕まったと言う知らせが届いた。私は嘆願書を外務大臣(私の知人)に送ったが、返事はなかった。一昨年ドミニカを訪れた私はマリサの家を訪ねた。彼女の行方は解らないと年老いた母親は言った。(終わり)

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