- toshihiro36
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冒頭のVTR
<ナレーション> あの日から2度目の梅雨を迎えた被災地。しかし復興は進んでいません。震災で失業した人たちは今、さらなる苦境に立たされています。町の基幹産業・水産業で30年間働いてきた男性です。この男性の家族は、震災で全員が職を失いました。
2012-06-23 06:24:47<ナレーション> 男性は国から支払われる失業給付を受けながら、水産業の仕事を1年以上探し続けてきました。しかし希望はかなわず、50歳を超え全く違う仕事に就くため苦闘しています。 さらに深刻なのが、失業給付のない自営業者です。この女性は津波で自宅と経営していた美容室を失いました。
2012-06-23 06:29:43<ナレーション> 収入を絶たれた上多額の借金を背負い、自力で再建しなければなりません。行政による救済制度はありますが、ほとんど使えません。失業状態が続くなか、仕事を探す気力を失う人すら出ています。震災まで漁船の乗組員などの仕事をしていた45歳の男性。なかなか仕事が見つかりません。
2012-06-23 06:35:26<ナレーション> 知り合いの紹介でようやく始めた荷役作業。過酷な労働を連日続け、体をこわしました。震災で失業した人たちは今どうしているのか。その半年間を見つめました。
2012-06-23 06:40:34ここから本編です
<ナレーション> 4月、宮城県石巻市にあるハローワーク、開門前から多くの人がつめかけていました。震災で失業した人たちに、国から支払われてきた失業給付。被災地ではその期限切れが始まっているのです。その数12000人。
2012-06-23 06:46:14<ナレーション> 失業給付切れを間近に控えた男性がいます。末永政次さん、57歳です。震災で水産加工会社の職を失って以来、ずっと職探しを続けていました。 末永さんが30年間働いてきた水産加工会社です。震災前、末永さんはこの工場で、魚の冷凍加工の現場責任者を務めていました。
2012-06-23 06:54:53末永:寂しいね、寂しい。寂しいし、むなしい気持ちだね。長年親しんで働いてきた職場だし、ことさらそう思うのかもしれないけど。
2012-06-23 07:01:08<ナレーション> 自宅も全壊した末永さん、仮設住宅で暮らしています。震災前は息子と同居していましたが、手狭なため別々の仮設住宅に住むことになりました。この日、瓦礫の中から見つかった、数少ない写真を見せてくれました。
2012-06-23 07:59:30<ナレーション> 仕事中、カメラに笑顔で応える末永さん。会社は水産の町・石巻でも有数の大企業でした。当時、月収は手取りで20万円あまりになりました。
2012-06-23 08:24:06末永:笑って写ってるっていうのは、作り笑いではなくて、好きな職業だったからなんだよね。だから仕事してても…負担がかからなかったもんね。日々、楽しみだったんだよね。
2012-06-23 08:27:34<ナレーション> 生活の基盤を築いた末永さん、2人の子供にも恵まれました。水産業の仕事一筋で、子供たちを社会人になるまで育て上げました。しかし震災で家族全員が失業、新たな職にはつけていません。
2012-06-23 08:34:08<ナレーション> 全国屈指の大漁港を誇り、水産業で栄えてきた石巻。1年経ってもその復興はほとんど進んでいません。 末永さんは水産業への再就職をあきらめ、新たな仕事につこうとしています。4月から通い始めたのは、水道配管工になるための職業訓練。57歳になって初めての経験です。
2012-06-23 08:37:59<ナレーション> 訓練期間は3ヶ月、失業給付が切れる夏までに再就職のメドをつけたいと考えています。 小さい頃から海に親しんできた末永さんの子供たち、長男・行世さんも父親と同じ水産業につきました。しかし震災で行世さんの勤めていた水産加工会社は倒産、解雇を言い渡されました。
2012-06-23 08:44:00<ナレーション> 今年4月に失業給付が切れた行世さんは、新たな仕事を始めました。始めたのは引越しの手伝いや家具の取り付け・窓ふきなど、あらゆる困りごとを請け負う仕事です。この日、仮設住宅のお年寄りから初めて声がかかりました。
2012-06-23 08:50:57<ナレーション> 「高い場所の荷物か取れる梯子が欲しい」という依頼でした。行世さんは、この日持っていた踏み台を無料で渡しました。 行世さんは父親とは別の仮設住宅で暮らしています。妻の容子さんと娘の3人家族です。
2012-06-23 08:54:51<ナレーション> これまでとは全く畑違いの仕事を始めた行世さん。しかし収入はほとんどなく、今は貯金を取り崩して生活しています。
2012-06-23 08:56:42行世:水産業に戻ろうとしても戻れないというのが、だぶん現状だと思うんだよね。水産業が復興するまでの間に、何かしないと生きられないので。最終、水産業が大きく広がったら、その場に戻りたいというのは確かにありますね。海の仕事で食べていけたら一番だよね。面白いよね。
2012-06-23 09:01:17<ナレーション> 新しい仕事を初めて1ヶ月、行世さんは軌道に乗せようと走り回っていました。この日、初めて大口の仕事が舞い込んできました。津波で壊れた家の修理です。行世さんは被災地の復興にかかわる仕事は、今後需要があるとみています。
2012-06-23 09:09:03<ナレーション> この日の作業代は3万円、材料費を差し引くと利益は1万円です。行世さんは失業した2人の仲間とともに仕事をしています。これまでの利益は2ヶ月でおよそ28万円、ギリギリの経営です。失業給付も切れ、行世さんはこの仕事で妻と娘を養っていかなければなりません。
2012-06-23 09:12:18