平沢唯じゃない

平沢進「私は平沢進だぞ、平沢唯じゃない」発言+αについてのまとめ。
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Susumu Hirasawa @hirasawa

1979 P-MODEL ワーナーブラザーズよりIN A MODEL ROOM 発射 1989 ソロ活動開始 1999 レコード会社を離れ「音楽産業廃棄物〜P-MODEL OR DIE」を発射。MP3配信。 2009 Twitter開始 「私は平沢進だ、唯じゃない」発言で世界が泣いた。以後ご覧の通り。 2019 ?

2018-09-23 21:04:54

 

その他補足事項

P-MODELと『けいおん!』主要メンバー比較

 平沢進(Vocal&Guitar) ⇔ 平沢唯(Vocal&Guitar)
 秋山勝彦(Bass) ⇔ 秋山澪(Bass)
 田井中貞利(Drums) ⇔ 田井中律(Drums)
 ことぶき光(Keyboard) ⇔ 琴吹紬(Keyboard)
 中野テルヲ(Bass&Keyboard) ⇔ 中野梓(Guitar)

※上記の5人のうち数人が同時期にメンバーだったことはあるが、平沢・秋山・田井中・ことぶき・中野という編成だったことはない。(最も近い編成としては凍結前の平沢・田井中・ことぶき・中野が挙げられる)

 

当時の状況について平沢氏がインタビューに答えたものがこちら。

【2009年12月16日 ASCII.jp】
「私は平沢進だぞ。平沢唯じゃない」 本人に聞いてみた
http://ascii.jp/elem/000/000/482/482115/

※「けいおん!」を知ったきっかけは知り合いのSP-2からの通報だった模様。

 

2019年BSP回=回追加公演編より引用

 まずですね、「黄金の10年周期」についてちょっと話したいと思います。

(中略)

 2009年ですね。もうかなり近づいて来ましたけども、この時はね、2009年はTwitterの開始年ですね。
 Twitterをどうして開始したかというと、こういうあの短い文章で自分のその、考えていることや、あるいは近況などを伝えると、インターネットの中で伝えるということに、なぜか思いつきまして、「HIRASAWA三行log」というのを自分のウェブサイトで、三行しか使ってはいけない、というのを毎日、ほぼ毎日更新していたんですね。
 で、それをやっているうちにTwitterというのが世の中に出てきて、「あ、なんだ、同じことじゃないか」と。で、思いまして、Twitterを始めました。

 ところがですね、やっぱりあの自分がやっている「HIRASAWA三行log」というのに比べて、Twitterというのはもっとなんか間口が広くて、なんでもない人が、自分のことを世間に向かって、要するに日記をさらけ出すような行為をすると。そういうもんの中に自分がこう入ってて一体何をやるんだかっていうのが分からなかったんですけれども。
 ま、ちょうどその時いたスタッフがですね、「まぁ、何でも分からなくても良いからやりましょうよ」ということで、やってみてだんだん今の形が出来てきたわけですね。
 Twitterの開始。で、それによって、えーと、まぁ、んー・・・平沢支持者が激増しまして、今の状態になるわけです。
 まず、フォロワーが2,000人に達したところで、これは上出来だろうと。平沢にしては2,000人のフォロワーなんて実はあってはならない数ではないかと思いながら、それでも止まらないので冗談じゃないと。私はそういう人間ではないと。万人受けする人間でもないし、それこそ趣味の違う人間に褒められても面白くないと、いうような感情を伴いながら、フォロワー減らしというのを何度か試みたんですが、無駄な抵抗に終わりまして、今に至る、ということであります。

 

他のメンバーの反応

 中野テルヲ⇒ライブで実の弟から中野梓フィギュアを差し入れされる。
 秋山勝彦⇒ブログで「田井中律のスティックを購入した」と報告。
 ことぶき光⇒USTREAMで「けいおん!」について言及。
 田井中貞利⇒情報なし。誰か田井中さんを見かけたら平沢さんに御一報ください(一度居留守であったと報告された後また行方不明扱いになったようです)。

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