最近の哲學者で、ちやんと「わかる」言葉でポストモダンも語らうとして呉れたのは、中村雄二郎だけだと思ふのですが、中村さんの本も、讀んで案外詰らないものが多いですね。
2010-07-01 18:13:28あと、日本人なんかは當り前のやうに思つてゐますけれども、「魂の平穩」と云ふ奴、これも曲者でして、宗教的な感情として認識してゐる人が多いのですが、處世術レヴェルで考へた方がいいやうな場合の方が遙かに多いです。「斯うすると樂に生きられる」みたいな。
2010-07-01 18:17:36@nozakitakehide しかし「わかる」というのは難しいですよ。私は野嵜さんがポストモダンを「わかる」必要はないと思いますが。私は基本的に誰にとっても必要なものなど「ない」という考えです。ニヒリスティックかなとも思うんですが、やはりそれは事実そうだと思います。
2010-07-01 18:17:42たとえば宗教的な信仰は、持つ人は持つけども、持てない人はどうしたって持てないと思います。哲学や文学にもそういうものはあるように思いますね。
2010-07-01 18:19:18キリスト教でも佛教でも、日本人の信者は直ぐに「魂の平穩」に行つてしまふのですが、そりや嘘です。キリスト教なんかはどつちかと言ふと、この世で魂に平穩なんてありはしない、と云ふ立場です。日蓮宗なんかは最う熱血ですね。何だかよくわからんですが。
2010-07-01 18:19:19@wtnbt 「私は基本的に誰にとっても必要なものなど「ない」という考えです。」――ニヒリズム以前に、現代の日本人にとつては「常識」的ではないですか。そこで私は激しく抵抗を試みるんです。
2010-07-01 18:21:20と言ふか、ニヒリズムについては、やつぱり私は唐木順三の本とか、創文社邊が昔良く出してゐたその手の本とか、さう云つたものをベースに考へますね。渡邊さんと私とでは、同じ用語で全然違ふ觀念を考へてゐるから……。
2010-07-01 18:22:57そもそも「ポストモダン」つて言葉自體が、日本人にとつて異國的なまゝなんですよ。「近代以降」みたいに漢字になつてゐるだけで増しなんですが、さう云ふ「日本化」が一切行はれてゐない。
2010-07-01 18:24:15福田恆存が「反近代の思想」と言つたのですが、そこまでは大變良く解る。限界がある事も含めて、筑摩の『反近代の思想』と云ふ本で紹介されてゐる文獻は、理解できるんです。
2010-07-01 18:25:50後に福田さんは「反近代の思想」では駄目で、「超近代の思想」が必要であると述べたさうですが、それもまだ解る。ポストモダンになると最うまるでわからない。
2010-07-01 18:26:48イギリスではエリオットの邊で一度、クラシシズムが勢力を持つて、キリスト教が復權して來るんです。同時に、エリオットの影響下、明かに現代的な詩やら思想やらがどんどん出て來る――そこがイギリスらしいのですが、何うもその邊、日本人には人氣が出なかつたらしい。
2010-07-01 18:28:31デリダもフーコーもフランスの人です。フランスは近代化で可なり畸形的な、或は急進的な經過を辿つてゐます。革命以來、フランスの社會はあつちからこつちへと極端に振れ易いのですが、思想でもさうした落著かない傾向があり、ポストモダンなんかでもやつぱり變な急進性があるやうに思ひます。
2010-07-01 18:32:22イギリスは割と落著いてゐるのですけれども、日本人には「老成」した部分だけが興味の對象になり易いです。
2010-07-01 18:33:37結局、日本人は外國の思想を學ぶにしても、「學びたいもの」しか學ばうとしないわけで、日本人にとつて御馴染みの概念を諸外國の思想の中に見出して、安心してゐるだけの事が多いです。
2010-07-01 18:34:40