読み方について雑考
たとえば歌詞であるかっこいいフレーズを思いついたとするじゃないか。そこで「何かっこつけてんだよバーカw」って頭の中の冷えた部分が答えたりね。
2010-07-02 05:07:54たぶんに性格的なものだろうけども。頭の中の自己高揚的な部分と醒めた部分は常に対立するよなあ。創作者v.s.編集者、あるいは作家v.s.批評家。ポジティヴに考えれば正・反・合の過程なのかねえ。あるいは自我v.s.超自我?
2010-07-02 05:15:00フロイトは別に好きでも嫌いでもない(パイオニアとして尊敬はする)けど、門外漢が精神分析うんぬんかんぬん言い出すのは非常に嫌で。批評理論で精神分析を用いたものがあるけど、頓珍漢というか、すごい嫌悪感を覚える。
2010-07-02 05:22:48たとえばさ、店屋物の料理に不必要以上に調味料でドバドバ味付けしてさ、「おいしいからいいじゃないか」みたいな感じ? そりゃあんたの勝手だろうけどさあ…
2010-07-02 05:27:50作品解釈において必要以上の作者還元主義とか心還元主義とかって生理的に耐えられないんだよなあ。"下種の勘繰り"以外のなにものでもない気がするもの。
2010-07-02 05:35:30それが学問としての文学への不信感につながってて、結局そっちの方向には進まなかった。大学の教養でもほとんど文学系の授業とってないし。
2010-07-02 05:35:41読み方が無限にあるからこそどういう読み方をするか=読み方の必然性が問題になるわけで。作品がサイレントな部分についてはいくらでも恣意的な解釈が可能だから。
2010-07-02 05:48:06ある読み方を提供するには前提(パラダイム?)を導入する必要がある。重要なのは前提の妥当性・必然性。なぜそう読む必要があるのか?
2010-07-02 05:51:35国語教育の「たったひとつの正しい読み方」に対するアンチテーゼとしての「どう読んでも正しい」。でも、議論の位相が違うのさね。前者はパブリックについてのテーゼだけど、後者はプライベートに対するもの。プライベートとパブリックを混同したらまずいよ。
2010-07-02 06:00:30なんか、国語の問題の解答に対して作者が「俺はそんな意味で書いてない」とか言った(らしい)、っていうのを国語教育への批判?で持ち出してくる場合があるけど、まったくナンセンスだよなあ。違う「つもり」で書いたのにそう「読め」ないのであれば、それは作者の力量不足ってことじゃないの?
2010-07-02 06:11:08ある「つもり」で書いたことと、そう「読め」るってことはまったく別次元の問題だからねえ。そう読まれたいのならそう「読め」るように書いておかないと駄目じゃない?
2010-07-02 06:14:20まあ先の批判もどきも、個別の事例(ある○○)についての言及なら正当な批判だった、ってことはありえるかも(問題作成者の読み方が誤ってたとか)。でも全体(任意の○○)を批判するにはあまりにチープで弱い議論ってのは間違いない。
2010-07-02 06:19:46プライベートなのか、パブリックなのか。パブリックな議論をするには少なくとも一般性のある読み方が必要。すなわち、妥当な前提と必然性のある読み方。
2010-07-02 06:28:55「俺はこれをこう読んだ(感想)」は恒真たり得る。しかし「これはこう読める・読むべきだ(批評)」は偽たる可能性がある。後者については充分な議論が必要。感想と批評を混同しないこと。以上。
2010-07-02 06:35:03