建築雑誌「建築写真小史」関連ツイート

『建築雑誌展 2010-11』 会期:2011年12月15日(木)- 21日(水) 会場:建築会館ギャラリー 開館時間:10:00 – 19:00(入場無料) トークセッション:各日17:00 – 19:00(無料) http://jabs201011.wordpress.com/ 続きを読む
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おかざき乾じろ @kenjirookazaki

写真家に甘えてはならない、ということ。

2010-07-02 00:00:44
おかざき乾じろ @kenjirookazaki

著名な写真家 にとってもらっている、建築はだいたい、甘えがある。(その逆も真か)。ところでぼくは建築雑誌というものをまだ見ていないのでした。

2010-07-02 00:02:02
Jun Hashimoto @has20090827

僕はむしろ逆なんじゃないか、と思っているんですけど・・って、引きずり込まれてるなあ。 @naohikohino ・・日本の建築写真は、建築写真でありすぎる、という問題意識を持たなかったのかもしれない。・・

2010-07-02 00:02:07
日埜直彦 @naohikohino

@20090827 結果として建築写真になっちゃっているうちは、それは言えないことじゃないでしょうか。

2010-07-02 00:03:31
おかざき乾じろ @kenjirookazaki

ぼくの考えではは、すぐれた写真をとる人は写真家とよばれてしまうような人ではなく、写真 と 家の間の距離がとれている人。つまり 写真から、作家性(様式、スタイル)を消せる人。こういう人は家をとれる。これは建築家でも同じ。建築 と 家 の間の距離を離せる人がすぐれた建築家。

2010-07-02 00:05:58
Jun Hashimoto @has20090827

相互依存的であることに対しては意識的だったのではないか、と言う意味ですが・・・。 @naohikohino 結果として建築写真になっちゃっている・・

2010-07-02 00:07:16
おかざき乾じろ @kenjirookazaki

建築 と 家 とのあいだを離せる。この場合は 作家性、のみならず、住み手の個性というものも含む。この間の離れ方(相互批判の距離)で、建築自身の価値が確保される。

2010-07-02 00:07:40
Jun Hashimoto @has20090827

一方で、建築写真に限らず、最初はそういうふうに生まれてくるんじゃないか、友言えるわけで・・・ RT @naohikohino 結果として建築写真になっちゃっているうちは、それは言えないことじゃないでしょうか。

2010-07-02 00:10:17
Takeshi YAMAGISHI @TakeshiYAMAGISH

RT @kenjirookazaki: 建築と写真の関係のみならず、複数のメディアの関係は相補的であってはならず、相互に批判的(反省的)に働かなければならない。いやときに破壊的でなければならない。破壊的に働くときというのは、実は、双方が互いに相手に依存(相補的なものであると勘違いし)互いの欠陥を隠蔽しようとするとき。

2010-07-02 00:13:33
おかざき乾じろ @kenjirookazaki

一方で写真をメディア、技術として考えれば写真家というのは存在しない。建築家というのも存在しない。料理研究家が料理の写真をとる。もちろん彼は料理写真家ではない。同じく、劇作家はみずから劇場を設計できるもの(出なければ歌舞伎の舞台などもできなかった)。画家とは自ら絵具を作るもの。

2010-07-02 00:13:33
日埜直彦 @naohikohino

@20090827 なるほど。その意味では意識的かつ職業的使命的にそれを引受けているでしょうね。でもそれが過剰になったときに何が起こるか、という問題です。単なる癒着とかではなく、もはや写真じゃないという危機です。

2010-07-02 00:15:08
日埜直彦 @naohikohino

@20090827 やはり西沢さんの言葉が一番的確ですね。僕の言ってるのは蛇足かもしれません。

2010-07-02 00:16:53
おかざき乾じろ @kenjirookazaki

市販の絵の具を買うだけで自分で絵の具を作らない(せめて調整、特注もしない)画家は信用できない。つまり自分の使う道具は自分で調整し、作る。これが専門家。だから劇場建築家はかならず演劇人であり、工場設計者はエンジニアである、豆腐屋建築は豆腐屋が設計してきた。

2010-07-02 00:18:05
おかざき乾じろ @kenjirookazaki

代わりに自伝を書いてくれるライターという職があり、建築家、写真家はやや近い。次の段階に、対象への批判を含め(普遍化し)書ける人ならば伝記作家あるいは歴史家といえるだろう。つまり、最低でも、建築批判(批評)が(でき)なければ建築写真家はありえない。演劇批判がなければ劇場建築家もない

2010-07-02 00:28:55
おかざき乾じろ @kenjirookazaki

建築批評(批判)も劇場批評(批判)もないところに建築写真も劇場建築もない。劇場建築写真などもっと存在せず。つまり建築写真家が写真家にはできず(そして建築家でもないのであれば)最低でも建築批評家あるいは建築史家でなければならない。文字を使わず写真で語る、そうでない建築写真家は眉唾。

2010-07-02 00:35:18
おかざき乾じろ @kenjirookazaki

たいがいは建築をつくった本人が撮影したほうがうまいに決まっている。工房はだいたいそれを使う人が設計したほうがいい工房になるのと同じ。

2010-07-02 00:37:01
おかざき乾じろ @kenjirookazaki

追補。批評としてしか、写真(家)が自立しえないならば、自明だけれども、その写真は依頼ではなく、自費で対象が探され撮影される必要がある。(つまり職業的な建築写真は、ただの写真屋さん=代筆と同じ)。建築写真家が可能であれば、写真を売るのではなく、写真で語ることでのみ専門性を確保する。

2010-07-02 00:50:05
@IdenovRuidex

建築家の撮る建築写真のこと, 菊池宏さんがなんて書いてらしたか, 誰か覚えていらっしゃいませんか

2010-07-02 00:58:56
中谷礼仁NorihitoNAKATANI @rhenin

2001年宇宙の旅、狂ったHALにそのまま操縦任せたらどうなっていたんだろう。HAL自分が進化したかったんだよな。

2010-07-02 01:15:25
中谷礼仁NorihitoNAKATANI @rhenin

人間がねたましかったんだよ。かわいそうなHAL

2010-07-02 01:19:24
中谷礼仁NorihitoNAKATANI @rhenin

@kenjirookazaki 見るどころか、存分に書いていただける種類の号もでてくるですよ。きっと。

2010-07-02 02:45:48
ri_to_ki @ri_to_ki

@naohikohino それはあったり前のことではないのか?

2010-07-02 08:24:15
中谷礼仁NorihitoNAKATANI @rhenin

写真は絵画に近くないというのはわかるが、詩に近いという「詩」的な表現については、より緻密な分析を聴いてみたいところである。という手紙を投げ瓶した。

2010-07-02 08:49:59
中谷礼仁NorihitoNAKATANI @rhenin

その効果が着実なものに育ち、解凍されることを願うばかりです。

2010-07-02 08:58:26
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