@masanorinaitoさんの,同志社大学「アフガニスタンの和解と平和構築」に関する国際会議に関するツイート

とても印象に残ったのでまとめます.会議については, http://www.kyoto-np.co.jp/education/article/20120627000066 (消えるだろうけど…)
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masanorinaito @masanorinaito

懇親会の用意をしてくれた事務スタッフが、そうしてくれたのだが、何回か、おなじようなお客人をもてなした経験があればこその気遣いであった。

2012-07-05 02:39:51
masanorinaito @masanorinaito

懇親会のアレンジと会議の目的と何の関係がある、と思うなら、こういう会議はできない。もしこれが、高級ホテルで、たとえハラールだとしても銘々がフォークとナイフで食べるような食事だったら、空気は乾いていただろう。

2012-07-05 02:42:19
masanorinaito @masanorinaito

東京では、こういう会議ができないと、以前から私は思っていた。雑音が多すぎる。国立大学でもできなかった。タリバンは国立大学では来なかっただろう。京都の私学に移籍できたことが、今回の会議開催につながったことは間違いない。

2012-07-05 02:43:55
masanorinaito @masanorinaito

きのう、某国の大使が電話をしてきて、会議のプログラムを至急欲しいという。おそらく、本国から、事前に情報を得ていなかったことを叱責されたのだろう。必死だった。東京では、こういう会議ができないのは、この種の介入があるからである。

2012-07-05 02:51:47
masanorinaito @masanorinaito

今回、同志社大学の会議では、一切、政府関係者を招待していない。日本も外国もである。要請があっても入れないつもりだったが、東京で開催していたら、そんなことは不可能である。

2012-07-05 02:53:57
masanorinaito @masanorinaito

話が前後するが、会議の司会に敬虔なムスリムであるパレスチナ人の学生さんをお願いしたのには理由がある。私は、アフガニスタンのダリ語を離せない。アラビア語がとうに忘れてしまった。タリバン代表をはじめ、反政府側はみなアラビア語を解する。

2012-07-05 02:56:36
masanorinaito @masanorinaito

会議言語は英語にしたが、司会者は、アラビア語で丁重に礼を尽くして基調講演をする代表団を檀上に招いた。英語だけでは、そういう礼儀は尽くせなかったからである。それが、それほどの意味をもったか、私にはわからない。しかし、当事者に自分の声で語ってもらうことも、大変なことである。

2012-07-05 03:00:06
masanorinaito @masanorinaito

できるだけ、緊張をやわらげることを試みなければ、みな各々にリスクを背負って京都まで来てくれた基調講演者に対して申し訳ない。

2012-07-05 03:01:25
masanorinaito @masanorinaito

こういう会議のロジはおそろしく大変である。事務方は、膨大な経費の計算と書類作りにあたってくれている。事務スタッフは研究科長が指揮することはできない。事務長が指揮命令する。だからこそ、事務長にも事務スタッフにも会議の意義を話し続けてきた。

2012-07-05 03:09:29
masanorinaito @masanorinaito

教員が、事務は黙って仕事をしてくれればいい、という態度で接したら、こんな会議など絶対に実現できない。しかし、事務方に、聴く耳がなければ、こういう会議は、やはりできない。その点で、今回は非常に恵まれていた。

2012-07-05 03:11:54
masanorinaito @masanorinaito

若い事務スタッフまで、会議の内容や招聘された人物に関心をもってくれて質問してくれた。長い教員生活で、こういうスタッフを得たことは幸いである。

2012-07-05 03:13:07
masanorinaito @masanorinaito

タリバン代表団や他の代表たちを最初に大学に迎えたとき、茶菓でおもてなしするにあたって、彼らが何を食べてくれるだろうかと心を砕いてくれた。駄菓子の山盛りを出してくれたのだが、雷おこしとチロルチョコを召し上がったと報告したら喜んでくれた。

2012-07-05 03:16:44
masanorinaito @masanorinaito

前にカルザイ大統領が同志社大学を訪問したときにも、事務スタッフは同じよう心を尽くしてくれた。アフガンでの滞在経験のある院生さんが、「フルーツバスケットにきゅうりを」と進言したので、すかさずきゅうりを注文してくれた。

2012-07-05 03:18:58
masanorinaito @masanorinaito

中東では、きゅうりは暑い夏の盛りの水分補給のため、屋台でもきゅうりを売っている。私にも想像がついたのだが、それを即座に注文してくれるスタッフがいることは重要である。馬鹿馬鹿しいと一笑に付されたら、会議の、どこか一角が欠けるからである。

2012-07-05 03:24:38
masanorinaito @masanorinaito

もっと重要なことは、タリバン代表団であれ、ザイーフ師であれ、事務スタッフは誰一人として「危ない人間」視しなかったことである。ザイーフ師など、うちの事務室にはファンがいる。いかめしい顔をしているが、あいさつしたときの笑顔が実にカワイイと事務長は言う。

2012-07-05 03:28:49
masanorinaito @masanorinaito

これがもし、したり顔で、「先生、そんな人呼んで大丈夫ですか」などという事務方だったら、到底、こんな会議のロジは任せられない。「なんで、大学でこんなことできるんですか」だの「なんで同志社でできるんですか」などと聞いてきた人たちよりはるかに意義を理解してくれていた。

2012-07-05 03:31:33
masanorinaito @masanorinaito

つまらぬ政治的な修辞に惑わされずに、事柄の本質を見極めようとする態度は、教員であれ、学生さんであれ、事務スタッフであれ、およそ大学に関わる人間にとって、重要なことである。

2012-07-05 03:34:43
masanorinaito @masanorinaito

JICAの友人より。今日、ブラヒミ元国連事務総長特別代表が講演で、同志社大学でのアフガニスタンの和解と平和構築、国際会議に言及したとのこと。真意を理解してくれるならうれしい。

2012-07-06 00:39:37
masanorinaito @masanorinaito

しかし、すべての発端はハッサン先生が同志社を去られ、私が一橋を去って同志社に来たことだった。私は一橋を去る前に、同志社に移籍したら、アフガニスタンの和解と平和構築について、できることをしたいと願っていた。なぜだったのかは、遠い彼方に記憶が霞んでしまった。

2012-07-06 00:42:48
masanorinaito @masanorinaito

今思うと不思議だが、一橋を辞める前に、同志社大の国際連携担当副学長にお願いして東京のJICAに一緒に行き、アフガン担当のセクションで、同志社としてアフガンの平和構築と教育支援に力を入れたいと話した。私はアフガニスタンの専門家ではないから、何かに突き動かされていたとしか思えない。

2012-07-06 00:45:06
masanorinaito @masanorinaito

同志社に来た途端、カルザイ大統領が同志社に来るということになった。これも、こちらが招待したわけではなく、先方からの申し出だった。グローバル・スタディーズ研究科も、その年の4月にできたばかりで、大統領は6月に訪問した。

2012-07-06 00:47:00
masanorinaito @masanorinaito

せっかくだから、一年生全員が必修のグローバル・スタディーズ入門という講義を急きょ一か月アフガン問題に集中させた。学生さんをグループに分け、汚職、タリバンとの和解、麻薬、女性問題などについて調べてもらい、英語で質問する練習を重ねた。

2012-07-06 00:48:41
masanorinaito @masanorinaito

同僚の先生が司会をしたが、大統領に、スピーチは15分で切り上げ、後は学生との質疑応答にあてるよう頼んだ。大統領は約束通り15分でスピーチをやめ、45分間、学生と活発な議論をした。一人の学生が尋ねた。「対立の原因は宗教なのか?」

2012-07-06 00:50:20
masanorinaito @masanorinaito

大統領は答えた。「宗教ではない。欧米が国民国家の枠組みをアフガニスタンに押し付けていることが問題だ」私は意外な答えに、思わず大統領の顔を見た。前列の閣僚たちは、あ~、と嘆息しているようにみえた。大統領は「閣僚たちは同意しないかもしれないが」と付け加えた。

2012-07-06 00:52:05
masanorinaito @masanorinaito

カルザイは、事の本質を理解していると感じた。すでにこの時点で、彼は、アメリカとは異なる視点で自分の国を語っていた。タリバンについても非難をしなかった。アメリカが、「不朽の自由」作戦でアルカイダとともにタリバンを殲滅しようとしているときに、パシュトゥンの大統領は別の将来像をみていた

2012-07-06 00:54:18