アートシーン(2012年下半期)

2012年7月からの、展覧会その他美術に関するツイストを集約。
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sjo k. @sjo_k

国立新美術館の「与えられた形象―辰野登恵子/柴田敏雄」へ。大型の抽象(油彩)を中心にした辰野と、ダムや法面など、マッシヴな土木構造物の写真を中心にした柴田の作品が交互に並ぶ構成。この二作家を合わせて展示した意図は正直なところ私には伝わらなかったが、以下のような思考の種にはなった。

2012-08-27 21:37:32
sjo k. @sjo_k

自然の中に屹立する巨大な土木建造物。「あるはずのない/かったものがある」。そしてその背後には、必ずそれを「あらしめた」人間の作為がある。それゆえ私は、その風景に決定的な「人間」性―それが他ならぬ人間によってのみ存在せしめられるという事実―を感得し、立ち眩み、戦慄し、心動かされる。

2012-08-27 21:37:55
sjo k. @sjo_k

一方、抽象画を描くというのは、「(そもそも)ないものをあらしめる」という行為に他ならない。したがってその行為を貫徹するためには、一個の人間の膨大な精神量(敷衍すれば、「感情量」あるいは「理性量」)が要求されるはずである。それゆえ、抽象画にもやはり圧倒的な「人間」性があるのだ。

2012-08-27 21:38:11
sjo k. @sjo_k

だが果たして土木構造物の「人間」性と、抽象画の「人間」性を同じものと考えるのは適切だろうか? この問いにはまだうまく答えられないが、ともかく、それらの「人間」性と、「アート」なるもの、あるいは「アート」という行為の本質が密接に結びついているとは言えるのではないか、と思った。

2012-08-27 21:38:26
sjo k. @sjo_k

東京都写真美術館の「自然の鉛筆」「田村彰英 夢の光」「鋤田正義展」、郷さくら美術館東京の「現代日本画の精華 Part2」、パルコミュージアムの「鋤田正義写真展」、ギャラリーTOMの「ぼくたちのつくったもの―全国盲ろう学校生徒作品の30年」へ。非常に「効率的」に回った。

2012-09-08 19:51:40
sjo k. @sjo_k

郷さくら美術館。「現代日本画」と銘打った展示なのだが、(さしあたり、<いまあるもの・様式に対するアンチ>という意味において)「現代」性を見出せるような印象的な作品は、残念ながらなかった。先に練馬区立で見た船田玉樹のアヴァンギャルド時代(戦前!)の日本画の方が、よほど「現代」的。

2012-09-08 19:51:56
sjo k. @sjo_k

ギャラリーTOM。目が見えない/見えづらい児童・生徒の立体作品の展示。番の女性と少し話したのだが、近年、この領域の裾野はどんどん狭くなっているそうだ。見せる(ことをメシの種にできる)枠組みが細れば、創る(ことを教え・伝える)枠組みも必然的に細る。何とも言えぬ気分で、作品に触れた。

2012-09-08 19:52:16
sjo k. @sjo_k

写真美術館とパルコミュージアムの鋤田正義展。ロックやパンク周辺のカルチャーに明るければ、もっと楽しめるんだろうな、という感想。小泉今日子が信じられないくらい可愛くて、沢田研二が信じられないくらいセクシーだった。時の流れというのは本当に恐ろしい。←なんかすごく余計なこと言ってる!

2012-09-08 19:52:41
sjo k. @sjo_k

写真美術館の「田村彰英 夢の光」。8×10という、かなり大判のカメラ(タチハラワイドアングル)を使って撮られた写真群に、目を見張る。白と黒の間をほとんど無限に細分化しているのではないかと思わせる階調感と、光と影の間をまったく関係しない二つの世界に断ち切るようなコントラスト。

2012-09-08 19:53:08
sjo k. @sjo_k

それを「大判の威力」だけで済ますわけにはいかないだろう。そこで、写真を撮る作家の影が写り込んでいる一枚(「江戸川区南小岩」)に目が止まる。私はそこに、作家の光を捉える能力と執念を見た。ここで作家は、自分が写り込んででも、滅多に現れない「最高の光」を収めることを選んだのではないか。

2012-09-08 19:53:32
sjo k. @sjo_k

写真美術館の「自然の鉛筆」。電車のホームに立ちつくす男が、徐々に光を放ち始め、それがやがて銀河に変わっていく、という、ほとんどジョークとしか言いようのない<宇宙誕生>の物語を6枚組の小さな写真で表現した、ドゥェイン・マイケルズ「人間の条件」に、まずはニヤリとさせられる。

2012-09-08 19:54:05
sjo k. @sjo_k

それから、ルイジ・ギッリ「モランディのアトリエ」に引き付けられる。写実絵画に対してよく投げかけられる反応に「写真みたい」というのがあるが、これは逆に、「絵みたい」な写真。(当方の悪趣味で)嬉々として話をこじらせるならば、「写真みたいな絵みたいな写真」。実に心地よい混乱である。

2012-09-08 19:54:56
sjo k. @sjo_k

何枚かの、真っ直ぐこちらを見つめるポートレイトに目が止まる。その被写体は、大まかには、1)カメラ/レンズを見ている、2)撮影者を見ている、のどちらかだろう。そのどちらなのかを考え、被写体と撮影者それぞれの思いや意志を想像するのが、ポートレイト鑑賞の楽しみ方の一つだ、と気付く。

2012-09-08 19:55:14
sjo k. @sjo_k

その点に関係して興味深かったのは、ロバート・フランク「映画の初日、ハリウッド」。(おそらく)こちらを真っ直ぐ見据えている(おそらく)女優の視線を、撮影者は「はずす」。つまり、フォーカスをその女優の顔ではなく、背後の観客に置いているのだ。この「視線のドラマ」は、まさに劇的である。

2012-09-08 19:56:08
sjo k. @sjo_k

藤野・名倉地区の「芸術の道」を歩く。20年以上前の「ふるさと芸術村構想」によって作られた30点以上の野外環境アート…と聞くと、なんだかアレな感じだが(笑、コンテンツはいいし、メンテナンスも丁寧にされていて、結構楽しんだ。ただ、日差しの強い季節に行くのは、素人にはおすすめできない。

2012-09-09 16:39:07
sjo k. @sjo_k

オペラシティアートギャラリーの「寺尾勝広・新木友行・湯元光男 アトリエインカーブ3人展」へ。驚くほどの好展示だった。観終わったあと迷うことなく図録を買いに向かった展覧会は、けっこう久しぶりの気がする。会期が10日しかない(そして今日が最終日)のが、本当にもったいない。

2012-09-23 17:24:35
sjo k. @sjo_k

とりわけウワーッとなったのは、ボクシングやプロレスのワンシーンを、独特の描線と着彩で大胆に表現してみせる新木の作品群。(変な表現だが、)鳥肌が引きも切らなかった。寺尾の、黒の厚紙を格子状に切り抜いた作品群にも惹かれる。とりわけ、鉄板焼き屋を描いた作品には、興奮と感動を覚えた。

2012-09-23 17:27:38
sjo k. @sjo_k

3作家に共通しているのは、モチーフが非常に具体的かつ日常的であること、そして、そのモチーフを、真っ直ぐで単純な、しかし爆発的な密度の「創造力」によって、何段も上の世界に「跳ね上げ」ていることだ、と思った。モチーフと「跳ね上げ」られた世界(≒作品)の高低差に「アート」の本質を見る。

2012-09-23 17:28:00
sjo k. @sjo_k

東郷青児美術館のジェームズ・アンソール展へ。アンソールの作品ではなく、ルーベンスの小型の油絵と銅版画に引き付けられる。彼の作品には(小型でも、モノトーンでも)、とにかく「みなぎっている」ものがある。躍動が、緊張感が、絶望が、暴力が、生命力が。こんなに凄かったんだ、ルーベンスって。

2012-09-29 20:15:37
sjo k. @sjo_k

府中市美術館のポール・デルヴォー展へ。ほとんどの作品は残念ながら退屈だった(わずかに、裸婦とその骸骨を並べて描いた一枚には、「骨こそ生命(の基礎)」という彼の思想に共鳴するものがあって、引きつけられた)のだが、展示の最後の最後、最晩年の3枚を前にした時、強い衝撃を受けた。

2012-10-07 18:46:00
sjo k. @sjo_k

私がそこに見たのは、視力や技量や野心を失った90歳の作家に最後に残された、ただ描く、という、感情量のない「透明な意志」の結晶であった。画業人生を通して追求してきたものがほぼ剥落し、しかしこのような形で「実り」、観る者を戦慄させる。つくづく美術とは、表現とは凄まじい営みだと思った。

2012-10-07 18:46:11
sjo k. @sjo_k

ちなみに、デルヴォー展のキャッチコピーは、「夢に、デルヴォー」なのだが、「夢に出る棒」と言ったら、フロイト的にはまちがいなく「男根」である。さらに余計な話だが、昨夜、死んだ親父が夢に出てきて、「すらいむないと」という名のアパートを見つけたので、そこで独り暮らしする、と話していた。

2012-10-07 18:51:01
sjo k. @sjo_k

三鷹市美術ギャラリーの依田洋一朗展へ。これは驚きの好展示。反復される動機、反復される色。憂いのあるベルベット生地の赤、怪しいアブサンの蛍光緑、深海のようなブラックライトの紫。まったくもって生気の失われた、モノクロの登場人物たち。偏愛的で他界感の強い画風に、完全に魅了された。

2012-10-14 18:32:07
sjo k. @sjo_k

依田の絵に私は「偏愛」を感じたのだが、一方で、その対象をあくまで突き放すような「冷たさ」も感じた。今、ここに平然としてある世界への興味が薄く、モノクロの銀幕のスターという「過去」を媒介にしてのみ、それと切り結び、濃厚で夢現不明瞭な世界を立ち上げる。繰り返そう。とにかく魅了された。

2012-10-14 18:32:17
sjo k. @sjo_k

依田は、まだ40歳だという。今後どのように展開する/しないのか、追いかけていくのが楽しみな作家を知ることができた。(ただ、展示の最後に並んでいた2012年の作品群は、正直なところ、それまでの作品よりも「強度」が落ちたように私には感じられた。いずれにせよ、今後も気にし続けたい。)

2012-10-14 18:32:34