アートシーン(2012年下半期)

2012年7月からの、展覧会その他美術に関するツイストを集約。
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sjo k. @sjo_k

世田谷美術館の松本竣介展へも。印象的な作品はあまりなかったのだが、作家が疎開先の息子に宛てた手紙や、息子の書いた絵(線描)を模写し着彩した作品に、言い様のない「あたたかさ」を感じ、同時に、親なる存在・立場の「重さ」について考えさせられた。夕食は、息子が所望した餃子を作った。

2012-12-09 00:07:04
sjo k. @sjo_k

府中市美術館の「虹の彼方」(前期)へ。これは佳展。mamoru、斎藤ちさと、池田晶紀、三田村光土里と、印象的な作家がすずなりになっていた。本展は1月16日から展示を大幅に入れ替えた後期展に入る。前期展の半券を持っていると、入館料は半額。http://t.co/dCmETqRx

2012-12-16 15:58:32
sjo k. @sjo_k

高所にフックで吊るした氷から融け落ちた水滴が卓上のガラス瓶に落ちる音や、扇風機の風であおられた鉄製のハンガーが触れ合って鳴らす音を聴かせるmamoruの作品は、先月頭に東京都現代で見た、ブルシエ=ムジュノの「クリナメン」を想起させる、<日常に現れる脱日常>を使った表現。

2012-12-16 15:59:39
sjo k. @sjo_k

ただし、ブルシエ=ムジュノの作品が、陶器の皿がぶつかって響く音を、大掛かりな装置で増幅してみせることによって、日常に現れる脱日常を固定化していたのに対し、mamoruは日常に現れる脱日常の存在に対する観者の意識を喚起させるのみで、それを固定化まではしていない、と感じた。

2012-12-16 15:59:51
sjo k. @sjo_k

斎藤ちさとの都市風景や花にレンズ直近の水滴を写し込む写真群。風景や花に合焦した写真は、ぼんやり写る水滴が、撮影する主体の存在を知らしめる。水滴に合焦した写真では、風景や花が大きくボケて、水滴が撮影者の精神活動の象徴のように見えてくる。とにかく、水滴は主体性の強調装置、と読んだ。

2012-12-16 16:00:08
sjo k. @sjo_k

三田村光土里の作品は、誤解を恐れずに言うと、「ガラクタ部屋」のインスタレーション。私は一般的に、この手の猥雑な作品に惹かれることはあまりないのだが、三田村は、イメージを氾濫させながらも、意味を拡散させないように上手く統御しているように思えた。手練れだな、という印象。

2012-12-16 16:00:30
sjo k. @sjo_k

そして、最も長い時間をかけて見たのは、池田晶紀の写真。すごいセンスの人だ、と思った。適切な場所を選び、見事に小道具を配置し、最高の光をあてる、セッティング作りのセンス。さりげないポーズ付けや、良い表情を逃さない眼力で、人物を魅力的につかまえるセンス。思わず嫉妬してしまうくらい。

2012-12-16 16:00:39
sjo k. @sjo_k

スパイラルガーデンの「石本藤雄展 布と陶」へ。白眉は、直径30cmあまりの皿状の陶と、花びらのような立体的な陶の作品群。グググッ!と引き付けられ、何周も何周も見て回った。そして、写真を撮ってもよいとのことだったので、いろんな角度・アングルから、喰らい付くように撮りまくった。

2012-12-22 18:59:41
sjo k. @sjo_k

それらの作品群から私が得たのは確かに「快」の感情であった。テクスチャ・色・造形。観念上は切り分けて考えられるはずの「要素」が、石本の陶では渾然一体となって一つの「世界」、か、「宇宙」を創り出しており、しかもそれが、直径たかだか30cmちょっとの物体に凝縮されているのだ。圧倒的。

2012-12-22 19:00:00
sjo k. @sjo_k

松濤美術館の「シャガールのタピスリー展」へも。シャガールの絵を(もちろん本人の公認と信頼の下に)タピスリーとして「再制作」してきたイヴェット・コキール=プランスの作品を中心とした展覧会(シャガール本人の作品も〔多くが小型だが〕ある)。これも佳展だった(しかも入館料300円!)。

2012-12-22 19:01:13
sjo k. @sjo_k

シャガールはもともと「こってり」した、「過剰」方向の作家だと思うのだが、タピスリーという手法は、材料である糸の質感や物体性の強さ、技法の物理的帰結による作品の大型化によって、その「こってり」さをさらに濃厚なものにする。「ドーピングしたシャガール」を観る、という感じだった。

2012-12-22 19:01:29
sjo k. @sjo_k

東郷青児美術館の所蔵品展へ。息子と行ったので、鑑賞というより「教育」の場に。基本的には、静かにする、絵に触らない、の厳守で手一杯。だが、元永定正の『いろ、いきてる!』の絵本と原画には少し(私は大いに)興味を示した。その他私がもっとじっくり観たかった(笑)のは、櫃田伸也と田中稔之。

2012-12-24 07:50:40
sjo k. @sjo_k

武蔵野市立吉祥寺美術館の中ザワヒデキ展へ。「単色の分割」と題された2枚の真っ赤な作品を前に、抽象絵画における<作為の痕跡>(が伝達する「身体性」)の意味について考えさせられる。創作する身体とは「具象」そのものであり、その痕跡を作品に表出するという行為は、反/脱抽象への契機を孕む。

2012-12-25 22:50:19
sjo k. @sjo_k

吉祥寺美術館、常設の浜口陽三記念室では、さくらんぼをモチーフにした3枚のメゾチントに引き付けられる。濃紺の深い闇に浮かび、あるいは沈むさくらんぼ。叙情性や象徴性が生まれる寸前の「際」にあって、しかしかろうじて<描写>の側に踏み止まっている。そのきわどさが魅力的だったのだと思う。

2012-12-25 22:50:28
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