日本における技術論主体の建築論の限界 に関する議論
プログラム論の再定義に関する、初期バンハムの論考、『第一機械時代~』には出てこないけど、かなり現代的には重要な気がする。改めて読んでみて。CPなどのアイディアや、(昨今ふたたびのさばる)社工的なアプローチと建築表現との関係への批判もそれなしには理解が難しいかも。
2012-07-09 00:02:02こないだのシンポ(Ust)の重鎮発言を聴いて感じた怖さとは....地道な研究に対する畏怖の意味と、逆にネガティブな意味と両方。後者の理由のひとつはバンハムが懐疑的にみていたような美学・詩性を欠いたエンジニアリングとかテクノロジーへの「建築的」フェティシズムの罠に→
2012-07-09 00:27:27すっぽりはまっている感じがしたこと(バンハム的に言わなくてもそれは「建築」ではない)。まー、素朴な技術信奉さえも主流になりえるほど欧米に遅れをとってた時代的なものもあるのだろうが(特に、鉄骨のプロファイルが欧では既に何百種類もあった頃に、日本にはたった一つしかまだなかったとか)→
2012-07-09 00:31:07その中で平良さんが「建築芸術論」?の必要性をあえて訴えてたのは印象的だった。もうひとつの「怖さ」の理由は、その建築の生産技術研究が主軸となった「研究」が、いまだ大部分で日本の(矮小化を含む)「建築」概念としてまかり通ってること。組織事務所の論理なんか、ほとんどそれだ。
2012-07-09 00:37:18彼らは、ハウスメーカーのプレファブと、自分たちのプレファブとの違いを説明する言語をもっと洗練させて欲しかった。(と偉そうに言えんが・胃炎が)
2012-07-09 00:43:35美学っていっても、美学研究者が後付けで見出すような意味のものじゃなくて、作る・モノを生む上での当事者(この場合建築家)の論理の問題ね。そのへんは、うちの母校はあちら(奇しくも重鎮のひとりが元凶っていってる)のガッコーより頑張ってると思うな。
2012-07-09 00:49:15どなたか、そろそろ、というかもう3,40年遅いかもだが、その辺の議論(技術論主体の建築論の限界)の落とし前、ちゃんとつけるべきでしょう。フォルマリズムもそうだけど。
2012-07-09 00:54:51うーん技術論批判が変な形にバブル期の建築からんでしまって日本では議論無用の風潮にRT @hkohno_abbr: どなたか(技術論主体の建築論の限界)の落とし前、ちゃんとつけるべきでしょう。
2012-07-09 00:58:43ちなみに、「形式主義」って訳されることもあるフォルマリズムだけど、ほかにexternalism とかmethodismって単語も、そしてacademism も「形式主義」と訳されることがあるね。
2012-07-09 00:58:55内田先生の「在来木造は在来木造なりに生産合理性がある」という70年代以降の学術的転回はけっこう近代批判のコア論理の一つだったりするな。
2012-07-09 01:00:32美学とか空間の詩性にバブル関係ないんですけどねぇ RT @YOSHIMASAKATAYA うーん技術論批判が変な形にバブル期の建築からんでしまって日本では議論無用の風潮にRT @hkohno_abbr: どなたか(技術論主体の建築論の限界)の落とし前、ちゃんとつけるべきでしょう。
2012-07-09 01:03:11@mattsu テクトニック・カルチャーみたいなものへの理解・関心自体も最近は「一過的」なものでしかなかったのか?みたいな疑念はありますね、この国に関しては。廣瀬さんは美学を持ってらしたと思いますよ。Uさんはわかりませんね、正直(聞いてて一番辛かったw)。
2012-07-09 01:06:20まったくもって空間論やテクトニックカルチャってバブルとかと関係ないのですが、バブル崩壊後以降の日本の建築界は空間を論じ合う気風がますます低下したように感じます。どちらかというと良い子競争みたいな変なモード。
2012-07-09 01:06:45@hkohno_abbr まず、なぜフォルマリズムがプライマリーな問題たりうるのか、その背景を意識してないことが問題なんでしょうね。
2012-07-09 01:09:06あのころ、篠原さんが磯崎さんに反論した精神(「機能主義」と「シンボリズム」に関して)のほうが、よほど背筋が伸びるね、自分としては(>さっきのバブル期云々の話)
2012-07-09 01:09:25そうかもしれません。RT @naohikohino まず、なぜフォルマリズムがプライマリーな問題たりうるのか、その背景を意識してないことが問題なんでしょうね
2012-07-09 01:10:51それはあるかな... RT @YOSHIMASAKATAYA まったくもって空間論やテクトニックカルチャってバブルとかと関係ないのですが、バブル崩壊後以降の日本の建築界は空間を論じ合う気風がますます低下したように感じます。どちらかというと良い子競争みたいな変なモード。
2012-07-09 01:12:30篠原さんは「日本に空間論はなかった」って仰ってますね 。その自省から猛烈に身を削って考えられたわけで。技術オタク全員にそういう精神を持って欲しいとは言わないけど、少なくとも認識くらいはして欲しい。
2012-07-09 01:14:13内田先生の興味ってある種60年代までに工業的成果を建築に導入する論理は完成した感じがある。70年代以降は日本のバナキュラーな建築がいかなる生産合理性を持ってああいう姿になったのかとか、建築経済学研究のほうがコアだからなあ。建築家としての内田先生は70年代以降キレ味ましてるけどね。
2012-07-09 01:15:37いやー、どうですかね。生産の問題と「日本の(建築概念の?)原点」みたいなものと結びつけるって言っても、「真壁と大壁」の話だけじゃねぇ。空間論には程遠い。システム工学の話と何が違うんですか。
2012-07-09 01:20:47堀口捨己先生とか森田慶一先生みたいな分離派世代って空間論を輸入したいけど観念論で終わった感があった。むしろその後の太田博太郎先生とかはその問題を回避して技術論でブレイクスルーした感じ。丹下先生は観念論も技術論も実制作物も素晴らしいのですがその中間論としての空間論を体系化しなかった
2012-07-09 01:21:04@YOSHIMASAKATAYA 太田先生についてはほぼ同感ですね(作品としてそれを思考したか?という意味ではわかりません)。
2012-07-09 01:24:53逆に、ふわふわした感性論で「空間」って安易に使うケンチクカも多いからね、わからないでもない>バブル以降の議論の低迷
2012-07-09 01:28:33凄く説明しにくいんだけど、丹下先生、吉武先生、内田先生ってみなさん造形力素晴らしいんだけども、ある種「空間論や美的倫理感は語りえないんじゃないか」という価値観で通底している感じもある。立原道造がいた時代の建築学科の学生として「美は自分の心の中にのみある」というロマン主義なんだろう
2012-07-09 01:28:48