内藤朝雄さんの主張に関する考察

いじめ問題の論説での第一人者である内藤朝雄さんの言葉を引用してそこからいろいろなことを考えてみた。
6
木下秀明 @khideaki

内藤51:内藤さんは「私が知りたかったのは、あくまで「どんな秩序感覚の中で有平君は死んでしまったのか」という問題なのであって、いわば「兄ちゃん殺されて嬉しいか?」という発言が、どういう秩序の中で生まれるのかを調べたかっただけです」と語っている。この感覚は僕はよく分かる。

2012-07-15 21:18:45
木下秀明 @khideaki

内藤52:事件の真実が何かと言うことは解釈以上のことは出来ない。現実というのはそういうものだ。だから知り得ることは、社会がどのような存在だったのかという客観的事実の方だけだ。それを知った上で深く考えてその意味を見つけたいというのが内藤さんの学者としての志と言うことになるだろう。

2012-07-15 21:20:52
木下秀明 @khideaki

内藤53:人間は思ったり感じたりすることは各人で個性として違うものがある。それ自体は同じものにはならない。だが一般論を立てる限りにおいては論理的な了解点を持つことが出来る。それを共有することで、かえって他者の違いを理解することも出来るのではないか。それなしに連帯はないように感じる

2012-07-15 21:23:12
木下秀明 @khideaki

内藤54:内藤さんは利害対立をする敵と見なされて、誰からも話が聞けなかったようだ。現実の紛争には利害の対立があり、敵と味方がある。そこからは真実は見つからない。本当のリベラルならそのような利害を超えた真理の側面からものを見るべきだ。だが既存の左翼にはそれができない。

2012-07-15 21:25:37
木下秀明 @khideaki

内藤55:内藤朝雄さんの『<いじめ学>の時代』の第6章の「<欠如>を生み出す有害環境としての学校」からの数章の分析は素晴らしい。どうして今の学校に問題があるのかと言うことが論理的に理解できる。論理的に理解できるからこそ、その論理によって改革への希望も見えてくる。問題は環境なのだ。

2012-07-16 21:02:56
木下秀明 @khideaki

内藤56:いじめの現場では、子供たちがむかつき、いじめが楽しいと感じるような倒錯した感情がある。それがなぜ生まれてくるのか。個人的な要因ではなく、学校という環境のなせる技なのだ。キーワードは「欠如」であり、学校環境が「欠如」を感じる条件を強く持っていることが指摘されている。

2012-07-16 21:06:07
木下秀明 @khideaki

内藤57:欠如を誘発する要因として内藤さんは4つを指摘する。①「他人からの迫害」②「自由を奪われる拘束」③「ベタベタすることを強制されること、すなわち他人との心理的距離の不釣り合いな、あるいは強制的な密着」④「全能感とのすり替え的誤用」この4つが「何かが足りない」という欠如を生む

2012-07-16 21:13:18
木下秀明 @khideaki

内藤58:①から③までは、自分にとって嫌なことだ。それが自分の中の何かを邪魔することによって欠如を感じる。④は少し分かりにくい。欠如を埋める感情は実は充実感という前向きなものだ。それは迫害がなく自由が与えられ自分の感覚に素直に行動できれば得られる。だが全能感が充実感と間違えられる

2012-07-16 21:16:23
木下秀明 @khideaki

内藤59:全能感は他者を自由に操っているという感覚から生まれる。何でも言うことを聞く他者を得たとき人間は歪んだ幸福を得る。それは充実感とは似て非なるものだがこれが勘違いされる。この全能感がいじめに繋がることが多く欠如を感じている度合いが強ければこの誤用によって欠如を埋めようとする

2012-07-16 21:19:52
木下秀明 @khideaki

内藤60:内藤さんの次の指摘は正しいだけに暗澹たる気分になる。「4つすべてがそろっているという点では軍隊も同様ですが、③や④は学校ほどではありません。つまり学校とは、「軍隊-刑務所-宗教団体」の3つが統合された、類を見ない場所なのです。」学校に対してこのように理解するのは難しい。

2012-07-16 21:22:35
木下秀明 @khideaki

内藤61:教師は、学校がそこまで酷いものだとは思いたくないメンタリティを持っている。だが当の生徒にとっては、内藤さんが指摘する学校像が正しいものとして映っているのではないだろうか。次の言葉はちょっと長い引用になるが、学校に対する認識を深めるために味わってもらいたいものだ。

2012-07-16 21:25:37
木下秀明 @khideaki

内藤62:「学校、とりわけ日本の学校が奇怪なのは、本来見知らぬ間柄でしかない人々を集めては適当にクラス単位で振り分けて、朝から夕方まで一つの空間に押し込めてしまう点です。そしてその教室に集められたメンバーは、そこに集められたと言うだけの赤の他人なのに、まるで家族のように…(続く)

2012-07-16 21:27:54
木下秀明 @khideaki

内藤63:「…「仲良し」でいることが、無理強いされてしまいます。好きでもない相手とは精神的な距離を置き、差し障りのない範囲で付き合うというのは、一般社会では誰でもやっている当たり前のことです。しかしそれを、学校という場所は決して許さない仕組みになっています。そのような閉鎖空間で…

2012-07-16 21:29:38
木下秀明 @khideaki

内藤64:「…不自然にも仲良しでいることを強制された生徒たちの心理には、当然の帰結として、強烈な「ムカつき」や「苛立ち」が生まれます。そしてそのような場所では、もはや独立した個人として他人との精神的な距離を測る力も、次第に衰えていきます。本当は誰が好きなのか、嫌いなのかが…(続く

2012-07-16 21:33:01
木下秀明 @khideaki

内藤65:「…当人にも分からなくなり、その判断を場の空気に委ねてしまうのです。最終的には、もはや自分が誰なのか分からなくなっているのに近い状態です。平均的な市民が一生のうちで体験する中で、これほどまでに強烈に<欠如>を駆り立てられる環境というのは、学校以外に見つけるのは…(続く)

2012-07-16 21:35:35
木下秀明 @khideaki

内藤66:「…なかなか難しいことでしょう。いじめは学校だけでなく何処でも起こるものですが、特に学校で頻繁に、かつ極端ないじめが起こりやすいことについては、学校のこの特殊性が理解できれば、半ば納得出来るはずです。」学校に対するこの認識を共有すれば学校の改革へ進むことが出来る。

2012-07-16 21:37:50