百合男子(作品名ではなく広い意味で)についてのとある見解のまとめ
- ransuisato
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『百合男子』はその存在自体がシスヘテ男子という強者である点では作品自体がセクマイや女性全体に対して上から目線という構図。そこを作者がどう主人公や他の登場人物を動かして作品自体の構造の問題を変えられるかが鍵になってくると思う。今後の展開で私が注目するのはそこ。
2012-07-12 22:24:391990年代の腐女子論争はゲイからの「男性同性愛を不当に搾取している」という申し立てから始まったわけだけど、あの論争がなければゲイとビアンが、やおいと百合が非対称であることにすら気付けなかったかもしれません。
2012-07-12 22:36:21NHKで百合男子が取り上げられたそうですし、わたしなりの百合ヲタ男性の見解を申し述べておきます。わたしは、その多くが腐男子予備軍でもあると思っています。百合に続いて女装子(女形)が流行り、やがてショタ(稚児)やおい・BL(衆道)へ至るのは、極めて自然な成り行きだと思うからです。
2012-07-14 21:40:03先日、異性愛規範に縛られた批評家は「美貌を謳われながら愛した男に振り向いてもらえない」サロメへ感情移入する三島由紀夫やオスカー・ワイルドの態度を理解できずに形而上的解釈をこねくりまわす、という笑い話を読んだのだけれど、これと同じようなことが百合ヲタ男性にも言えると思います。
2012-07-14 21:45:132000年頃にいわゆる泣きゲーが流行り、自身が「傷つける性」であることを忌避するようになった男性オタクは、欲望の対象であった"無垢な"美少女キャラへ同一化することで、もはや自分たちを守ってくれるものではなく、断罪されるものでしかなくなったマチズムを内面へ押しやり始めました。
2012-07-14 21:50:11時を同じく、泣きゲーに文学的価値を見出そうとする動きがオタクたちの間で広がります。みなさまよくご存知の東浩紀さん周辺が始めたアニメ・漫画語りがそれで、彼らはファロスを可視的な"暴力"から不可視的な"考察"へと先祖返りさせつつ、美少女キャラという新たな身体イメージを獲得します。
2012-07-14 21:55:12その一例が、戦闘美少女ものの隆盛。ファリックガールは「毛皮を着たヴィーナス」、つまりマゾヒスト男性にとっての女王様に相当します。ドゥルーズが言うには、マゾヒズムは父権への郷愁にほかならないが、彼はホモフォビアを発揮して鞭打つ父を排除し、それを母の姿に転化するのだそうです。
2012-07-14 22:00:09以前もツイートした切腹ナルシシズム、たとえば三島由紀夫の例がまさにそれですが、マゾヒズムの根底には国や正義のため自己犠牲を払うことへの陶酔感があります。やがて快楽へ至るための受難、その受動性はやおいにおける"受け"と同質であり、オタクはその地平を目指しているように思います。
2012-07-14 22:05:49大義のために全てを犠牲にした切嗣も基本的には同じでしょう。愉悦とは、地に墜ちたイカロスのように"身を堕とす"ことで享受するもの、すなわち"受け"になるということ。 <飛行の発想にとらわれているうちは、その男は少年期を抜け切ってないんだって(西炯子「空がこんなに青いとは」)>
2012-07-14 22:10:26バタイユによれば、エロティシズムとはタブーを侵犯したいという欲望です。そして、人にとっての最大のタブーは死です。先日「見るなのタブー」を引き合いに出しましたが、オルフェウスやイザナギの侵犯したタブーが、パートナーたちの死にまつわるものだったことは言うまでもありません。
2012-07-14 22:16:12家父長制がほぼ崩壊した現代においても、男性優位社会を支え続ける屋台骨は異性愛規範にほかならない。そこでのタブーは"受け"になること。それを侵犯したいという欲望は、自らの身体イメージを攻めに欲望される客体とすることで、快楽の主体である受けになろうとする欲望に連結されます。
2012-07-14 22:20:20男という性から逃れたいという動機で"男ではありえないもの"として百合を求めると、"男であるためには不要なもの"としての女性像を規定した抑圧の再生産に加担してしまう恐れがあります。実態としては、異性愛規範に安住したままフェティシズムのひとつとして消費している人が多そうですが。
2012-07-14 22:25:12百合→女装男子→ショタ・やおい・BLというプロセスを経て、男性たちがホモエロティシズムを通して両性具有化すること。それは、もしかするとホモフォビアとミソジニーに下支えされる"男という虚妄の産物"を解体するための糸口になるかもしれません。もちろん、まだまだ道のりは遠いですが。
2012-07-14 22:30:09@chibinova 恐れ入ります、らんすいさんのまとめから拝見させていただきましたm(_ _)m 「実態としては、異性愛規範に安住したままフェティシズムのひとつとして消費している人が多そう」というのは何から感じられましたか? 私としてはこの認識にはギャップを感じますので…><
2012-07-15 00:09:57@hiiragi501 反応ありがとうございます!わたし個人が主にネット上で観測した主観的な印象に過ぎませんので、これを呼び水にいろいろな立場からの表明を拝聴できればなぁと希望しております。
2012-07-15 01:16:01@chibinova そうなのですねー(*´∀`) ワタシも見てる範囲は広くないですが、百合男子は自身の性別故に「男性性」「異性愛規範」といったものを特に息苦しく感じてみえる方が多いと思います(当方もそうです)
2012-07-15 07:19:03@chibinova 現実の「そういったもの」からの逃避の場所として百合を求めている部分(あくまで部分。それが全てではないです)はあるのかなと。また、ここは重要ですが、男性の百合愛好は自身の性別や自身の願望、と言ったものからは切り離されているのかなと感じます(特に後者)
2012-07-15 07:19:18@chibinova つまり、「女性への同質化」や「女性像の押し付け」といったものは百合男子の百合愛好には見られないです。ただし、これはディープな百合好きさんについて言えることなので、ライトな百合好きさんについては分からないですが…σ(^_^;)
2012-07-15 07:26:04@hiiragi501 なるほど、だいたい把握しました。ありがとうございます~。現代の日本において、自分の性が社会の特権的階級であり、それにふさわしい性役割を期待されることを煩わしく感じる男性がいてもなんの不思議もないと思います。もはやそういう時代ではなくなろうとしているので。
2012-07-15 22:12:36@hiiragi501 しかし男性の性役割に最適化された社会では、男性がその階級から降りることはできても、女性はできません。それが性の非対称性を作り出していると思います。オネエキャラが世間にそれなりに受け入れられるのに対し、オナベキャラが受け入れられることはまずありえない。
2012-07-15 22:13:12@hiiragi501 百合が女という性に固定されたファンタジーである以上、つねに「女という性とは」という問いを読み手へ投げかけてきます。それへ男性読者がどう応えていくのか。それはまだ形になってはいませんが、男性自身による問題提起にまで繋げていけることを期待したいです。
2012-07-15 22:14:50