「マンガ」の定義で、最も大枠のものは「コマの連続とフキダシの使用で物語る形式」だと認識しています。あとは@iwa_joseくんにパス。もうちょっと具体的に言ってほしい……。RT @richoutan すいませんが素人に現行の定義を教えて戴けませんでしょうか。
2012-07-12 22:18:44種の定義は常に見直され続けています。これは学問の役目の一つです。マンガも定義が合わなくなれば再定義し続けなくてはならないのではありませんか?
2012-07-12 22:21:07研究対象の定義が曖昧では研究成果に対する評価も曖昧に成りはしないでしょうか?研究者は同業者に良い意味で大変に厳しいと聞きますが、そこが甘ければ学問自体が甘くなったりはしないのでしょうか。
2012-07-12 22:24:26@GoITO @richoutan 原稿の定義となるとそういうことになりますが、この場合、一コマ漫画や絵と文章が別たれた形式(岡本一平の漫画小説など)が外れてしまうんですよね。定義という行為がどうしてもそういう排除を生まざるを得ないわけですが。
2012-07-12 22:27:14定義を性急に求めず、検討し続けることが「厳しさ」と考えられているのでは。RT @richoutan 研究対象の定義が曖昧では研究成果に対する評価も曖昧に成りはしないでしょうか? (…)そこが甘ければ学問自体が甘くなったりはしないのでしょうか。
2012-07-12 22:27:50オレみたいな野武士よりも、@iwa_joseくんら、学問的なディシプリンを身につけたひとが答えることだと思うが「定義を自明視せず検討し続けること」が人文系の学問の「作法」になっている面はある。人々が対象を「どのように扱ってきたか」が学問の対象となるので、自然科学と大きく異なる。
2012-07-12 22:30:21ひとつの「仮説」としては、従前から言ってるように、日本においては「主に長大なページ数を用い、複雑な物語を語る形式」がマンガの中核にあると認識されるようになったのが60年代以降、というものがある。RT @richoutan ではみなさんのマンガ感収集から生まれる仮説に期待します。
2012-07-12 22:35:48もう少し強い言い方をすると、「人々」のマンガ観は、それが誰であれ、また程度の差こそあれ、応分の「排除」を伴う。逆にそこで何が「排除」されているかを見ようというとらえ方もある。@richoutan
2012-07-12 22:37:02@richoutan @GoITO 否定的ではないです。定義によって整理できることも明らかにできることもあります。同時にそこには自ずと限界もある。有益だからこそついつい万能だと思ってしまわないよう注意しないと危ういという感覚ですね。
2012-07-12 22:38:36ところがこれは、観察に先だって明確な「定義」を設定しようとすると、上手くいかないものだったりする。「長大なページ数」とは何ページ以上か、という定義づけは困難だし、またその定義論争は観察(ここには、人々のマンガ観も含まれる)と並行してしか成立しえないと考える。@richoutan
2012-07-12 22:38:48次の本に書きますよ。というか、すでに「まえがき」パートの下書きには書いたことをいまツイートしたわけで。RT @richoutan それ論文に書きなね。私が調査報告書くのと同じくらいプロとして要求される仕事ですから。
2012-07-12 22:40:00@GoITO 長編と短編の境の変化ということかな。ページ数の設定を数年ごとに変える必要があれば変えればいいと思う。とりあえず数字を出してみるというのは意味のない事かな?
2012-07-12 22:42:29意味はある。数値的な指標を得る書誌的な観察は可能。RT @richoutan 長編と短編の境の変化ということかな。ページ数の設定を数年ごとに変える必要があれば変えればいいと思う。とりあえず数字を出してみるというのは意味のない事かな?
2012-07-12 22:45:12