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tomo san @cnvvlty
新聞紙面を賑わせている国会事故調報告は、原発は「科学」に基づききちんとやれば管理できると宣言した。SPEEDI免罪に象徴的だが、原子力ムラのコアである体制内科学の「文化、技術、学術部隊(マスコミ、文科省、原子力学会)」の責任を一切問わず。見事な作文である。
tomo san @cnvvlty
フクシマを「人災」だとすることは、なにもありがたいお言葉ではない。体制内科学技術を免罪する方便に過ぎない。科学には技術には罪はないと。しかも、人災としながら、個々の責任を問うことはよろしくないとまで付言。いたれりつくせりの国会事故調報告。
tomo san @cnvvlty
ああ、誤解されそう(汗)・・・国会事故調報告をまるでダメとは思いません。ただ、前のTWは「致命的欠陥」として指摘したまで。良い面は、マスコミ等がヨイショ済みでしょうw
tomo san @cnvvlty
国会事故調報告のおかげで、文科省の「核の平和利用」推進学術宣伝予算(多方面かつ膨大)と放射能教育という名の洗脳予算は、完全無傷に。大飯原発が本格稼働し、国民が次第に「仕方がない」とか「科学に基づいてきちんとやれば大丈夫だろう」と思ってくれれば、原子力ムラの再起体制も完璧。
tomo san @cnvvlty
「学術(体制内科学)」を問わないと脱原発は必ず後戻りする。例えば、滝川事件に連座して京大教官の職を解かれた民主的法学者の代表的存在、末川博(後に立命館大学長)でさえ、朝鮮戦争休戦直後、1953年の『改造』11月号でこう述べている> http://t.co/1KQ3LZMm
tomo san @cnvvlty
国会事故調報告が「虜(とりこ)」という文学的表現を打ち出したが、それをいうなら、まずもって「学術(体制内科学)」への底なしの虜になった、原子力学会、東京大学をはじめとする研究機関、個々の研究者の責任を問わずして、なんの意味があろうか!
tomo san @cnvvlty
国会事故調報告はいわば、一種の「東京裁判」か。真の戦争責任をあいまいにし、次の戦争(当時は冷戦、朝鮮戦争etc)の準備を可能にする布石となる危険性さえある。高度なイデオロギー戦争の時代において、企業や政治や法制度の問題と同レベルで、文化・学術の責任を問わずに済ますのは詐欺に近い。
tomo san @cnvvlty
国会事故調報告についてのマスコミの同調報道にはあきれ果てた。もうこの際、「誤解」覚悟^^
tomo san @cnvvlty
体制内科学の虜にならない姿勢とは、たとえばこういうことなのだと思う。 「書評 山本義隆『磁力と重力の発見』を読む」http://t.co/3QekMAsU (最首塾)
tomo san @cnvvlty
補1)日本原子力学会創立50周年記念式典で元会長成合英樹は「日本原子力学会の歴史」と題して講演し、「2009年は、原子力と学会にとって「新発展期」の始まりである。専門家集団としての学会が重要な役割を果たし、原子力の利用が一層安全に進む時代へと向かう。」と述べた。
tomo san @cnvvlty
補2)そのわずか1年半後のフクシマ原発震災は、日本原子力学会の学知の程度を明らかにしたが、その低レベルの人材には、実は大阪大学出身者が多い。菊池正士の尽力によるところが大と思われる。
tomo san @cnvvlty
補3)日本における核の平和利用(とりわけ原発)は、産業としては、戦後米国の核政策の変更に伴って発展させられたのは事実だが、それを即座に受容できる下地が戦争中の日本においてすでに準備されていたことを忘れてはならない。
tomo san @cnvvlty
補4)戦後東京大学原子核研究所の設立に尽力し初代所長に就任した菊池正士は、ウラン濃縮、高速増殖炉の開発について周囲から「すさまじい」と評されるほど熱心だったと伝えられている。その菊池は真珠湾攻撃の前後、専門研究に没頭するだけでなく、大衆への啓発活動も熱心に行っていた。
tomo san @cnvvlty
補5)『科学朝日』などへの寄稿にとどまらず、真珠湾攻撃の翌年、1942年には「物理学の内容を専門外の人に間違いのないように理解していただく」(序文)ために『物質の構造』を出版した。同書は、古典物理学から量子物理学までの概観と、原子、原子核、放射性元素の構造の2部構成であるが、
tomo san @cnvvlty
補6)『物質の構造』の主眼は、一般読者に、放射性元素や放射線、中性子線についての理解を広める点にあった。帝国陸軍が、菊池と仁科芳雄に命じて原爆製造の可否を検討させたのはその少しあとのことである。
tomo san @cnvvlty
補7)幸いして両名は、原爆の開発は困難であるとの結論に達し、陸軍も諦めたようであった。以後菊池はレーダーの性能向上やレーザー光線(?)の殺傷能力研究などで陸軍に貢献したが、もし、原爆開発が可能と判断されていたならば、国産原爆第一号の開発者は菊池正士であったに違いない。
tomo san @cnvvlty
補のその1は以上の7TWで一区切り^^ 明日時間があれば、補のその2をつぶやきたい。ここで、いったい何の「補」なのかと、いぶかしく思われる方もあろうが、追ってまとめるので、しばしご容赦をw
tomo san @cnvvlty
補のその2のサワリだけつぶやいて寝ますw 真珠湾攻撃直後に行われた「近代の超克」という座談会のことを知っている人は、ちょっと驚くだろうか。実は、雑誌「文学界」に2号に渡って掲載されたその座談会に、一人だけ物理学者が出席している。菊池正士である。
tomo san @cnvvlty
「科学的」なんとか、と科学的といわれるとなにかありがたいものであるかのように思い込む習慣を、人類はいつころ身につけたのか・・・古来、卑しい身分の者(職人)たちが担っていた「科学と技術」が、16世紀頃、産業に嫁入りしたあたりからかな?
tomo san @cnvvlty
田中正造1909年11月の日記から「水は自由に高きより低くに行かんのみ。たとえ国会できめても、法律理屈威信〜と威張っても、水は法律理屈の下に屈服せぬ。水は人類に左右されるものではない。水は誠に神の如きもので、人類誠にへぼな人類なぞのきめた事に服従はしない。」
tomo san @cnvvlty
@buu34 私はいま、『物質の構造』(41年刊)の著者菊池正士(東京大学原子核研究所初代所長)が「近代の超克」座談会(42年)に出席していたことに気づき、1942年に遡る作業中です。フクシマについて戦後のいわゆる「民主主義科学」の原罪性を感じています。
tomo san @cnvvlty
高木仁三郎が抜けていた(大汗 RT @自分: 日本における「反科学論」の系譜、探索中^^  柳宗悦、広重徹、中山茂、吉岡斉、柴谷篤弘、星野芳郎、宇井純、生越忠、伊東俊太郎、廣松渉、山崎正勝、最首悟、山本義隆・・・(汗
tomo san @cnvvlty
一方、新潟日報は http://t.co/PWRw8vyM は水俣の教訓を忘れようなアホな作文! 逆だろう!学者先生があり得ないとしていた胎児性水俣病は、一人の妊婦が「何だかよく分からないが、怖い」と言い続けたことで判明したのだ。生活者の感覚はけっして「負の連想」などではない!
tomo san @cnvvlty
「何だかよく分からないが、怖い」という生活感覚を、後ろ向きだと思っているとしたら、とんでもない無知である。「原発は絶対安全だ」という感覚を東大教授や阪大教授などが首を揃えて護持してきたことを忘れたか!? 生活者は科学などに媚びる必要はない。ましてや根拠の無い威圧など度し難い無知!
tomo san @cnvvlty
開沼博が『フクシマ論』で国内植民地主義としての原子力ムラを説くのに「失敗」した一番の原因は、彼が意図的に「彼の原子力ムラ」から東京大学を除外した一点にある。開沼博よ、足下の職場闘争を放棄して、印税稼ぎをするのは恥ずかしいことだぞ。
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