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すばらしい深夜のやりとり
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@muto1988

以前、目を通したもののよく理解できなかった千葉雅也氏の「誤配と変形——デリダ vs マラブーの構図:東浩紀『存在論的、郵便的』の後で」を読み返している。精読を要求してくる文体というのがあるように思うが、これはそれではないか。さて。

2010-07-09 09:34:10
@muto1988

千葉雅也「誤配と変形——デリダ vs マラブーの構図:東浩紀『存在論的、郵便的』の後で」http://bit.ly/bfpF9H

2010-07-09 09:34:30
@muto1988

親しい友人が僕の部屋にあるデリダの本を見て揶揄するに「の割に君は歓待と友愛の精神に欠けるよね」、と。ふと、思い出したが、うむ。

2010-07-09 09:37:11
@muto1988

千葉雅也「ガタリへのオマージュ──解離、可塑性、共立平面」http://bit.ly/cszJyx

2010-07-09 09:39:26
@muto1988

「ドゥルーズ+ガタリは、解離したn個の項が、決して一者‐全体へと回収されずに「離接的綜合」をなすと考えたのである」か、が、ヒュームにおいて人間的自然は「一者-全体」ではなかったか。D+Gは、では、そこに神秘主義への傾きを見、それを克服しようとした、のか?

2010-07-09 09:41:01
千葉雅也 Masaya Chiba @masayachiba

@muto1988 今日は来てくれてありがとうございました。じっくり議論できてとても勉強になりました。僕は一者‐全体の措定をあっさり斥けてしまうというスタンスでやってきたので、人間的自然の一者‐全体性の粘り強い主張には、あらためて考えさせられるものがありました。

2010-07-10 02:37:57
@muto1988

@masayachiba !こちらからお礼を、と思っていてところ先にお声かけいただき、恐縮です!千葉さんの問いかけを通して、議論が整理され、また自分の勉強不足をきちんと認識することができました。cont.

2010-07-10 02:40:20
@muto1988

@masayachiba アバウトな議論ではなく、きちんと千葉さんのコメントに応答できるよう、勉強したいと思います。今日は本当にありがとうございました。『文学界』での連載も楽しみにしております。来週もよろしくお願いします!どうぞ、体調を崩されませんように。

2010-07-10 02:41:06
千葉雅也 Masaya Chiba @masayachiba

@muto1988 こちらこそあらためて自分のスタンスを揺さぶられてとても刺激的でした。不躾なツッコミを連発してしまい、失礼いたしました。とにかく僕は、真正面から、お互いがどういう哲学を欲望しているのかを話し合うのが好きなのです。欲望と無縁の中立的真理はないと思っていますから。

2010-07-10 02:44:20
@muto1988

@masayachiba 自らの欲望については、千葉さんとお別れした後、刺激を受け考え、自分の死後の世界にある種の遺産のようなものを残したい、という奇妙な欲望のあることや、生活の諸場面における決定的な受動性の感覚等に思い至るところがありました。cont.

2010-07-10 02:50:17
千葉雅也 Masaya Chiba @masayachiba

@muto1988 それから、中島隆博が書いた奇妙な入門書『哲学』(岩波書店)を読むことをお薦めします。入門書の体裁ではありますが、中島流の開かれた哲学観を呈示している書物です。それから『事典 哲学の木』(講談社)に含まれる中島執筆の項目。独特ですよ。僕の重要な背景です。

2010-07-10 02:51:14
@muto1988

@masayachiba ある種、応答を避けてしまった、その欲望について、是非、次にお会いする際にはお話できたらと思います!

2010-07-10 02:51:25
千葉雅也 Masaya Chiba @masayachiba

@muto1988 そうですね、来週のゼミでは、「哲学をめぐる欲望とは?」をテーマにしましょう。

2010-07-10 02:53:08
@muto1988

@masayachiba ありがとうございます。是非、参照したいと思います。『哲学の木』はトランスアディクションでも参照していらっしゃったように記憶しております。cont.

2010-07-10 02:53:23
@muto1988

@masayachiba 中島先生の中国哲学、これを西洋哲学の外部、と読んで良ければ、この外部への眼差しと、千葉さんの外部への(私からみれば)執拗なまでの、ある種の執念、といったものがどう重なり、どう異なるのか、理解したいと思いました。

2010-07-10 02:54:29
@muto1988

@masayachiba ゼミの場で発表するとなると少しひねった表現をしないといけませんね.... 一週間、どのような応答ができるか、考えてみたいと思います。何にせよ、楽しみです!/お疲れさまです、おやすみなさい!

2010-07-10 02:56:03
千葉雅也 Masaya Chiba @masayachiba

@muto1988 執拗なまで外部へのある種の執念。そうです。ただし、決して超越的ではなく、もしかすれば超越「論」的ですらない、ドゥルージアンとしては内在的と言いたいが、しかし「さらにもしかすれば」内在的ですらもないかもしれない端的に複数の外部(=内部)への執念。

2010-07-10 02:58:59
@muto1988

@masayachiba 「決して超越的ではなく、もしかすれば超越「論」的ですらない」「「さらにもしかすれば」内在的ですらもないかもしれない」に関連して、この超越でも内在でも本来性でもない「事実性」をどう精緻な議論によって示せるかは私の人間的自然理解における躓きの石でもあります。

2010-07-10 03:02:54
@muto1988

@masayachiba それを「来るべき」といった形容で安易に片づけてしまいたいような甘さと戦いつつ、それが超越でも内在でも本来性でもなく、起源と終末とにおける事実であることをどう精緻に、自らの言葉で、理論化できるか、という問いについても、勉強させていただきたいと思います。

2010-07-10 03:04:57
芦田宏直 @jai_an

なんか二元論を心理主義化してるだけのような気もするけど。RT @masayachiba: @muto1988 執拗なまで外部へのある種の執念。そうです。ただし、決して超越的ではなく、もしかすれば超越「論」的ですらない、ドゥルージアンとしては内在的と言いたいが…

2010-07-10 03:05:15
千葉雅也 Masaya Chiba @masayachiba

@muto1988 なるほど。しかし「精緻な」というところが引っかかりますね。その「事実性」をなんらか首尾良く成り立った一つのロゴスで捉えようとしているように見える。僕としては、その事実性は、複数的にしか捉えられないと思う。そして、そのためには、ロゴスではなくレトリックが要る。

2010-07-10 03:06:45
@muto1988

「執念」という言葉に、心理主義的傾向を見られたのでしょうか。また、芦田先生の心理主義批判はハイデガーに依拠する、と理解しておられる、と考えて問題ありませんでしょうか。RT @jai_an: なんか二元論を心理主義化してるだけのような気もするけど。

2010-07-10 03:07:41
千葉雅也 Masaya Chiba @masayachiba

@muto1988 今夜はこのへんで。またこんど話しましょう。

2010-07-10 03:07:59
@muto1988

@masayachiba 唸ってしまいました。直接的な応答にはならないのですが、私の意図しない言葉遣いに、意図せず前提としてしまっている特定の考え方の色がはっきりと出ている、という陳腐といえば陳腐な事実に、驚いています。また、それへの千葉さんの洞察の一貫していることにも。

2010-07-10 03:09:34
@muto1988

@masayachiba はい。ありがとうございます!また今度、よろしくお願いします。

2010-07-10 03:10:02