【シューニャリアーナ幻想学】なりきり享受論【さあ、哲学の舞踏だ】
- L_O_Nihilum
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夏風邪引いたからなおさら思考がヘンになる。これは、読んでもらうまとめよりかは生理用のまとめとして作っておいて、そこから部分的な方向のそれぞれの読めるまとめにした方がいいな、レンさんに申し訳ない
2012-07-29 23:34:43皆さんこんにちは。いきなりですが、最初に断りをいれておかねばならないでしょう。
なぜなら、これの一個前のまとめで、思考がごちゃごちゃになってしまい、結局なにを論点としたいのか、まとめることが出来なかったからです。
なりきりとは、奥深い遊びの一つです。
ですから、其れについて考えるのには様々なアプローチが必要だと思います。そのアプローチの方向をいくらか見落としてしまえば、その地点で一方の見地からの偏った考えを生み出してしまって、よりよい結果を導く努力を阻害してしまいます。
ですから、いくつかの観点からアプローチつまり、議論、思考の入り口を作って、それぞれの入り口からなりきりの哲学という洞窟に入っていかねばなりません。以下に、その大まかなアプローチを紹介しますが、このように、アプローチをまず準備することが、僕には必要であったのです。
~なりきりという享受形式のための、おおまかな3つのアプローチ~
①なりきりの可能性、効果
なりきりをやると、どんなことが起るのか。なりきっている人と、なりきられているキャラクターと、なりきりに付き合う他人とのあいだに、何が起こるのかという考察。キャラクターについて考える、というところにも関係。
②なりきりのセオリー、方法論、その可能性
①とは少し違って、なりきりをうまく、よりよくやるためにはどんなことをすればいいか。どうしたらより面白い、素敵ななりきりができるか。他にもどんななりきりの形態、可能性が考えられるか。等の考察。
③なりきりの理論、倫理、道徳、マナーと、その提案
①②の総合的考察と、そこからくるリスク。それがどのような被害、利害、問題を引き起こしうるか。その引き起こされた問題、事例にたいして、僕たちがどのように対処すればいいのか。どのようにふるまう「べき」か。「べき」と言って、「そうしなかった」人たちを糾弾すべきかどうか。徹底的にそうした倫理を考え、そして、「どうしたらいいと言う事を、どう伝えたらいいか」まで、考える、最終的かつ身近な,最も悩みが集まるだろう場所。その考察。
楽しむこと(享受と言う)について、考えるという事は、これだけのことが必要なのです。私がやっていることは、その考察活動のうちの、まだまだ一部までしか行けていません。
でも、その成果を少しでも、遺さなきゃいけない、と言う風に考えます。
だから、僕はこのことについて、考えなきゃいけない。
だから、以下の文章は、その考察の一部の成果を報告するとともに、皆さんに、様々な議論をよこしてもらう、そのために、以下の考察を行いたいと思っています。
というわけで、これから、その考察を(再び)開始いたします。それでは、ごゆっくりご覧ください。
今回は、3つのアプローチのうち、①の、「なりきるとどうなるか」についての考察です。
用語などについては注釈いたします。
それでは、どうぞ。↓
さてさて続き。通常なりきりとは、特定の他社として制定されたキャラクターを、演じながらツイッターを呟くことである。
2012-07-29 23:35:31訂正;
×他社 ○他者
しかし当然ながら、自身は決して外世他者「その人」ではない。よって、想像によって呟くことになる(そして、当然”書くこと”によってそれを表現することになる)。
2012-07-29 23:37:01エフヤマダ的には、妄想、即ち、原作外の文脈においてキャラクターを行動させることを空想することによって、その『行間』を活用し、キャラクターの思想、思念、行動をテキスタライズ(文章化、表現化)してゆく。
2012-07-29 23:38:29※エフヤマダとは?
オタクの生き方、活動の仕方について、自分で考えて語っている、「オタク道」を提唱した、いわばオタクの思想家です。
http://www.ne.jp/asahi/otaphysica/on/
こちらの「オタフィジカ」というページにて、オタクという在り方について考察しています。此処で扱う「妄想」とは、彼の用語の使い方を引用しています。
http://www.ne.jp/asahi/otaphysica/on/column.htm
↑こちらの「オタコラム」での「妄想」に倣っています。ぜひご一読ください。
つまり、妄想通りにそのキャラの様子をツイートすれば、畢竟、なりきりは可能である。(このことを、さっきまでは「了解設定」によってあらゆる世界のキャラがツイッターを利用可能である、と表現していた)。
2012-07-29 23:39:33その際、キャラクターについての妄想、は、「冷やかに、覚めつつ」行われる(なぜなら、このキャラをこう妄想すべき、という法律などないから、あらゆる行動や状況を与えることが可能だし、それが二次創作などでもエロ同人やグロ、CPを描ける支えになっている)。
2012-07-29 23:41:41もし、ここでキャラクターに与える『妄想』が、エロいのは傷つくから禁止、などとやったら、それこそ、エフヤマダ的には、現実と幻想を混同していることになるし、妄想だからあらゆることが可能なのである。だから、その与えられた(現実の人間の)文脈の発想を批判することは許されないのである。
2012-07-29 23:44:24ゆえに、なりきり、TRPG、夢小説、等々のすべてのN次創作において、エロ、グロ、CPやリョナなどの表現が自由であり、可能とされ、界隈において許容されているのである。
2012-07-29 23:45:23ゆえに、この部分は、例えば批評の言葉で言えば、村上裕一著「ゴーストの条件」における「ゴースト的クラウド二次創作」と大いに重なる。すなわち、エフヤマダの「妄想」におけるキャラの行動の内に、そのプロフィールの「誤記可能性」即ち「解釈可能な穴」が生まれ、(続
2012-07-29 23:47:25※「ゴーストの条件」とは、講談社ブックスから発売された、現代サブカル批評の大著。中沢裕一著。
キャラクターの実体、いや実存は、この『誤記可能性』のうちに回収されていく(故に”水子”となる。水子とは、サンホラで言えばイヴェールのような、「生まれる前に死んでいるから生きているものになろうとするもの」、つまりまさにゴーストのこと。)。
2012-07-29 23:48:57※水子、とはゴス条に登場する、キャラクターを示す用語。ゴーストとならんで、キャラクターの性質を示すひとつの術語。
「現実に出て来てしまったキャラクターという記号」と言えばいいか。記号もしくは、テクスト、物語。
誤記可能性に回収される、というのは、僕やヴェチェールが前にまとめで紹介したデリダ用語の、「差延」の在り方の一つのタイプのようなものである。つまり、言葉やその解釈が、書いた人の思った通り以外に伝わる可能性のことを指す。
2012-07-29 23:50:12