なるほど、牧夫は家畜を集合的にではなく個別的に管理する必要があるため、容易に他人と交替することができず、専業的な牧夫が必要になってくるわけか
2012-08-01 14:51:25西アジアでは、家畜の群を誘導させるため、特別な訓練を施した去勢羊(山羊)が利用される地域がある。家畜では、雌個体がその群の殆どを占めるため、単なる雄個体では生殖管理上好ましくないし、河川などの障害を率先して越えるには雌より雄の方が好ましい。また、雌は繁殖期にはリーダー適性を失う
2012-08-01 18:02:39そうしたことから、西アジアの、肥沃な三日月地帯を中心とした地域で、去勢された個体を群誘導に用いる技法が確立されている。こうした家畜管理技法と、後宮における宦官の利用の類似性に気付くはずである
2012-08-01 18:04:33「牧夫の誕生」では、そのことに言及されていた。また、西アジア特有の家畜管理技法が、「神の代理人として、神に似ている人間が地上の動物を管理する」という、彼ら特有の宗教観の基礎になっていることも述べられていた。短いが、とても面白い本であった
2012-08-01 18:07:19家畜を完全な被支配者、財産とみなす西アジアと異なり、モンゴルなどでは家畜をあくまで自然に属す存在とみなすようだ。群の中の特徴ある、優れた個体を選びリーダーとみなし、その生死を群の存亡を分けるものとして屠殺しない、などの習慣がそれを示す。この対比は考える余地がある
2012-08-01 18:21:11こうした思考は、牧畜を行ってはいても、狩猟民であった頃の、彼らの根底にあるアニミズムを捨てられていないから起こっているのだろう
2012-08-01 18:33:48羌も同様に、その信仰はアニミズムである。モンゴル系遊牧民同様、家畜を財産としつつも、それがあくまで自然に帰属する存在だとみなしていたであろうことは、大いに考えられる
2012-08-01 18:39:09東アジアの牧民は、その家畜管理技法を西方から学んでも、その信仰は、あくまで狩猟採集民であった頃のものを残していた、ということであろう。
2012-08-01 18:41:34去勢した羊、或いは山羊に群の誘導を行わせる技法を下地にして、西アジアにおいて宦官による人民管理技法が生まれた、と「牧夫の誕生」で述べられていた。恐らくそれは事実だろう。しかし、この本では、宦官が中国においても用いられたことについて、西アジアからの伝播ということしか述べていない
2012-08-01 19:06:58しかし、去勢羊(山羊)による群誘導は、中央アジアを越えて東へ行くことが無かった。なぜ、その大元となった去勢羊(山羊)による群管理が伝わらず、宦官による人民管理のみが伝わったかについて説明しなければ、このことについて真に納得いく説明にはならないだろう。
2012-08-01 19:08:32馬超が韋康を冀に包囲したのは、正月から8月までの8ヶ月間だ。羌族は既に夏の放牧地への家畜の移動を行えない時期に差し掛かっていた。それでなくても、長期の包囲は攻者をより攻撃的にさせる。姜維の父が殺されるほど冀が混乱した理由の一つには、この長期の包囲もあるだろう
2012-08-01 20:37:09@Jominian 曹操たちは全く救援が及ばない状況だったんでしょうか。それとも韋康か馬超かどっちか死なねーかなーって思いながら傍観してたんでしょうか
2012-08-01 20:40:00@Golden_hamster 関中に夏侯淵が居たし、全く救援できない状況ってこともないでしょう。実際、梁興の討伐はさせてるし、魏郡拡大キャンペーンする余裕があるし
2012-08-01 20:44:47@Jominian それで「馬超ひどいひどすぎる!韋康殺すなんて!!」って顔するわけだ。エロTLの発端となったヤツが「何で今日のTLはこんな変態揃いなんだ」って言い出すくらいヒドイ!
2012-08-01 20:54:56