思想2012年8月号(1060号、岩波書店)
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#思想8月号 ②ドゥルーズによれば、思考はシーニュ(しるし)の暴力的ともいえる不法侵入によって「させられる」。それはプルーストのマドレーヌ体験(無意志的想起)に象徴される。思考のきっかけは受け身だけれども、シーニュは「習得」しなければならない。思考はそうしたシーニュとの出会いだ。
2012-07-31 07:32:19#思想8月号 ③ドゥルーズの『プルーストとシーニュ』は過去の記憶を想起するという従来のプルースト像を刷新し、未来に向けた「習得」という概念を提示したものだったけれど、『差異と反復』における思考概念の刷新もそれとパラレルといえそう。「習得」とは、教えられることではなく、学ぶこと。
2012-07-31 07:35:09#思想8月号 ④ここまでは國分氏の論文前半をパラフレーズしたもの。後半は思考と行為の関係を『シネマ2』を引きながら、またズーラビクヴィリの批判的視点も出しながらの展開があるけれど、ここでは割愛。「1方法」「2原理」「3実践」ときた流れが次の連載4回目にどうつながるのか楽しみ。
2012-07-31 07:41:42#思想8月号 ⑤もともとドゥルーズは明快に本を書く人だけど、國分氏のフィルタリングとアレンジによって、ドゥルーズの考え方がより身近でアクチュアルなものに感じられ、より実践的な思考が促される。思考の実践をテーマにしたこの論文には、その内容を振動として伝播する力があると感じられた。
2012-07-31 07:43:42#思想8月号 ⑥國分氏の論文を読んで改めて感じるのは、ドゥルーズという人はスキゾやノマドやリゾームという概念と戯れた軽やかな思想家なんかじゃなく、哲学というものを熱くさせてくれる気骨のある思考の実践者なんだということ、その確認こそが重要なんじゃないか、ということでした。〆
2012-07-31 07:45:58@HAYASHI_twit コメントありがとうございました! 日本語では、デリダ晩年の主著『ならず者たち』について、まだほとんど実質的な読解が出てないので、今回の拙論が、その一歩になったのではないかと自負してます。
2012-07-31 09:38:24ご紹介くださったように、拙論は「来たるべきデモクラシー」として知られるデリダの民主主義論が『ならず者たち』でいかに結実したか、なぜそれが「自己免疫」と呼ばれるのか、といった問いを通じて、最晩年のデリダの思考の行方を「デモスの情動的な生」という論点に見定めようとしています。
2012-07-31 09:41:38民主主義をこうした観点から考える企ては、晩年のデリダから引き出される独特の議論ですが、まだ開拓途中で、「新たな生の思考」たるデモス論一般、ないし「情動のデモクラシー」論として、より包括的かつ精緻に練り上げていくことが今後の課題ですね。@HAYASHI_twit
2012-07-31 09:42:33最新号の『思想』、アマゾンではもう「お取り扱いできません」の表示が出てしまった。他に通販で購入できるのは、セブンネット、楽天、e-honぐらいか。http://t.co/LvZNf1eZ http://t.co/xevmS8sE http://t.co/becS04a5
2012-07-31 12:02:53『思想』8月号十川幸司『ジークムント・フロイト論』。曖昧なナルシシズムを自己愛と峻別し臨床の現場からナルシスを披く。焦点化/分散した注意ではない第三の観察「転位=逆転移に基づく観察」から「関係の切断と関係の外部における非生産的な興奮」とナルシシズムを倒錯に隣接する病理として問う。
2012-07-31 20:09:32本日も図書館で作業中ちょっと一息と思い、雑誌の棚を覗いたら『思想』8月号がhttp://t.co/hUWsNq5L。まだパラパラとめくる程度ですが、噂どおりの充実した誌面ですね。
2012-08-01 00:06:43特に@paragesさんの「自己免疫的民主主義とはなにか」は以前からずっと気になっていたテーマ。さらに最後の注が目に飛び込んで来たときはちょっと吃驚。大事なパスを出してもらった(と勝手に思っている)。受け取れたかどうか、次につなげたかどうか、何とも心もとないが。
2012-08-01 00:09:20@zepkark はいー。自分にこそ向けられたパスだと(勝手に)思い込んで追究できることこそ、人文学者の必須条件ですよね。今回の拙論も、たくさん仕掛けをつくって、なるだけ多方面にパスを出したつもりです。まあ、こうやってtweetしちゃってるので、身も蓋もないんですけどね。
2012-08-01 07:13:37@parages 私はまだ半人前ですが、気持ちだけでもそうありたいですね。御論考はこれから熟読しますが、それでも「情動」のポリティクスにささやかながら寄与するInformativeな論考にしたつもりです。あ、Twitterってまさに「パス」向きの媒体ですね。
2012-08-01 09:28:23『思想』8月号、宮崎裕助氏(@parages)「自己免疫的民主主義とは何か」読了。デリダの「輪番制」としての自己免疫的民主主義論の明快な図式化、大変勉強になった。
2012-08-01 20:45:28自分の研究関心からは特に「敵の政治」の両義性が重要であるが、しかしやはり気になるのは、自己免疫的民主主義にはポジティブな側面、「なにか自己とは別のものに開かれる」ための可能性があるとして、どうやってわれわれはそれを引き寄せることが出来るのだろうか、ということ。
2012-08-01 20:45:48また最後のデモス論の考察については、人民かマルチチュードかという問題と並んで、デモクラシーの担い手についての存在論的な問い、政治的主体性の問題が民主主義論のフロンティアなのだな、とあらためて感じるものでした。
2012-08-01 20:45:52@Keiyamamoto ですよね。主体の問題は大きいと思います。デモの話題でもそこが問われている気がします。ちな、いに『思想』の宮崎氏さんの論文は未読なので、これから読みます(>_<)
2012-08-01 21:55:53デリダの民主主義論とか、イタリア系の議論、しっかりと勉強してなかったから、これを契機に勉強しよう。なんか、ちょこちょこ世界中で(日本を含めて)新しい知ののあり方が芽吹いている気がする。うまく捕まえられないんだけど。
2012-08-01 21:59:18@nozomuyama 政治学での民主主義論と哲学からの民主主義論がうまく絡み合うと面白いですよね。いまはまだよくも悪くも棲み分けが出来てしまっているような印象を受けます。
2012-08-01 22:04:02@Keiyamamoto ありがとうございます! 山本さんには抜刷を送らせていただこうと思っていたのですが、まだ手元に届いておらず、送れずにおりました。遅くなり失礼しました。拙論、さっそく読んで下さり、感謝です。
2012-08-01 23:15:52.@Keiyamamoto そうですね。自己免疫性そのものは、自殺的なロジックなのですが、ご指摘の通り、まさにその自己破壊を通じてこそ民主主義は新たに変貌し続けるのであり、だからこそ民主主義には未来がある、という話になっています。そうやってポジティヴな側面も出てくるのだと。
2012-08-01 23:17:38民主主義批判はある意味簡単なのですが、そうした議論においては、安易に民主主義の否定へと至るのでも民主主義とは別の何かに訴えるのでもなく、まさに民主主義の可能性とその未来とを、デモクラシーの名のもとにどこまで追求できるかが、クリティカルな論点になってくるのだろうと思います。
2012-08-01 23:20:14.@Keiyamamoto その意味で、民主主義の歴史は、その資源をいまだ汲み尽くしていないし、今後も汲み尽くされることはないだろう、ということがデリダの診断に含まれています。拙論では、マルチチュードの論点に言及することはできませんでしたが、一言あってもよかったかもしれませんね。
2012-08-01 23:21:19