米澤穂信『氷菓』&アニメ版、感想・考察
@kousuke201212 ミステリの構造的には人が死ぬ死なないは本質的な差異ではないから、それよりも異化された日常の司祭としての名探偵の折木とその仲間(データベース担当やそもそもの真実への意志担当など分散化された探偵役、あるいはそれを操る者)と見た方が。まあ自由ですけど。
2012-07-14 12:50:55@kousuke201212 ボクは古典部四人で一人の探偵だと思ってますね。えるが意志、さとしがデータベース、ホータローが推理・解明、まやかは何だっけ(最近読み返してないので)。
2012-07-14 13:49:19@kousuke201212 ちょっと細部は分からないですね。先程書いたように最近読み返してないので。あと姉が重要ですね。黒幕だから。
2012-07-14 13:54:24米澤穂信『氷菓』、数年振りに再読。 京アニ制作アニメ版放映と8/4エアミス研読書会に合わせて。 https://t.co/7OFDyWyG しみじみする話だった。
2012-07-28 02:11:10原作とアニメ版の相違点を検討することで、アニメ版の演出方針だけでなく、原作の持ち味も分かることになると思う。 第一話の髪の描写はやはり過剰演出だったと思う。 放映時の感想。 https://t.co/dTIiZK0b
2012-07-28 02:13:54アニメ版では、千反田邸でえるがおにぎりを作ったり、奉太郎がそのエプロン姿をチラ見したり、奉太郎がえるの部屋の資料を見てその熱心さに推理を決心する場面があるんだけど、原作にはなかった。 アニメ版では、奉太郎のえるへの想いがより前面に出ているとは言える。
2012-07-28 02:18:10あと、叙述の順序として、アニメ版では、(1)奉太郎が結論を得る→(2)証拠を確かめる→(3)推理を開陳する、という時間軸に沿った流れが、原作では(1)→(3)→(2)になっている(鍵、図書館編など)。 アニメの方が分かり易いが、原作の方がミステリの構成として劇的ではある。
2012-07-28 02:20:49古典部の「古典」とは何か。 「全ては主観性を失って、歴史的遠近法の彼方で古典になっていく。 いつの日か、現在の私たちも、未来の誰かの古典になるのだろう。」 という作中人物の文章に(ひとまずは)表されている。
2012-07-28 02:23:18主人公=語り手は、高校生活=薔薇色、自分=灰色と漠然と認識しており、その齟齬と葛藤が本編を貫く。 古典部員とのやり取りに端的に表されているが、最も象徴的なのが推理の対象である関谷純。
2012-07-28 02:27:39それら他者との対比で灰色である自らの省エネ主義が揺らいで行くのだが、単にやはり薔薇色になるべきという結末ではないのは、関谷純の物語の真相(そして『氷菓』の由来)とパラレル。
2012-07-28 02:30:10それが、学生運動という歴史を単純に美化しないことにもつながっている。 そして、先の文章につなげれば古典から主観を取り戻す行為でもあった。 えるの記憶の欠落・好奇心から始まった奉太郎の推理・解明は、えるの記憶を補完し感情・主観へ還される。
2012-07-28 02:31:34古典部員の推理の役割は概ね明確である。 えるが好奇心を発揮し推理への意志を示し、里志がデータベースを提供し、奉太郎が推理・解明し結論を出す。 摩耶花がいまいち不明確だが。 そして「俺(奉太郎)の生活スタイルを乱し、よりメタなレベルの厄介事を持ち込んでくる」黒幕である姉・供恵。
2012-07-28 02:38:21というわけで、次は『愚者のエンドロール』を再読しよう。自分の中では米澤穂信の最高傑作なので、逆にいまいちアニメ版を見る気にならないのだが。
2012-07-28 02:41:59米澤穂信『愚者のエンドロール』(アニメ『氷菓』原作)、数年振りに再読。やはり多層構造のメタミステリの傑作だと思う。あとがきで『毒入りチョコレート事件』や『探偵映画』が挙げられているが、その二作に劣らないオリジナルでメタなアイデアがある作品になっていると思う。
2012-07-30 22:44:25千反田えるの「える」の由来はヘブライ語で神の意からではないか。涼宮ハルヒが作中で神であり、晴日(春陽)≒太陽≒神と、同様の理由。
2012-07-31 17:02:00