いじめられ、存在を全否定されたかのようなショックをうけて、自分の思ったことといえばコレである。『なぜ私はいじめられたのか』という疑問であった。
2012-08-08 02:28:50(小学一年生でこの発想はなかなかシュールでどこの自己啓発とか哲学書の一文の改変だと言う話だが、事実なのだから仕方がない。うん。)
2012-08-08 02:29:51そういう意味では「最強の敵は自分の中にいる」という表現、あれはなかなか的を射ている。自分ほど見えづらく、相手もしづらい敵もなかなかいない。だっていつの間にか敵から味方になって一緒に人生楽しみかねないじゃん。
2012-08-08 02:33:36閑話休題(それはともかく)、自分を最期にバラしたのはたしか中学校とか高校時代の一年目そういうレベルでの話である。そのあとでアメリカに一年弱行く前に精神的にブッ壊れた時期があったりなど、つまり定期的に自分の中のいわゆるOSのバージョンアップデートが図らずとも行われているわけだ。
2012-08-08 02:38:09表現を引き続きつかうなら現OSの特徴とも言えるが、現在の自分の傾向は以下である:思考回路/判断のアウトソージング、他人との会話の最優先、自分の在り方が揺らぐ事への忌避、客観性の前進妄想、責任への拒絶、自己暗示の劣化、現実的には前進できていないことへの負い目、些細な疑念の忌避。
2012-08-08 02:47:48一番最初に出た他人との会話の最優先も似ている。他人と会話することを最優先に据えるという回路を置くことで自分に対して向き合わずに済み、自分のあり方も揺らがず、同時に自分ではない物の見方を知ることで即席の知識欲を満たすこともでき、寂しさもなくなる。
2012-08-08 02:55:21自分のあり方が揺らぐことへの忌避。これは毎度のことだが今回はとても強固だった。なぜなら私が一年行っていた学校はポジティブで自信に満ち溢れている事が最高とされるような学校だったのだ。
2012-08-08 02:58:12で、どちらも持ち合わせていない当時の自分はハリボテのごとく外見だけとりあえず繕い、内部も無理無理合理化して辻褄を無意識のうちに合わせていたから、手間がかかっている分それが崩れるのを避けたかったのだろう。省エネ的である。
2012-08-08 02:58:32客観性の前進妄想。これは説明が難しい、が大雑把に言えば見栄っ張りという事である。一見して意欲と将来性に溢れる若者を繕う事で相手に独自定義満載の内面に踏み込ませず、同時にその扱いをされる事でプライドと前述の学校からついて回ったポジティブになりきれない自分の負い目も軽減できるのだから
2012-08-08 03:03:49そして責任の拒絶。とはいっても無意識の拒絶で、内容は責任を自覚しないしのらりくらりと回避する。それ故に思考放棄して相手にぶん投げることもできるし、他人との会話も優先できるのだ。
2012-08-08 03:06:39そして些細な疑念の忌避、というか拒絶はほとんど前述の表現と多々かぶるが、例えばなんともない瑣末な話題でも疑問を拒絶するのはなぜかといえば、前提条件とか知識の崩壊によって構造が崩れるのを防ぐ為だ。
2012-08-08 03:12:13つまり、今の自分を一言で言うと、自分に肯定的な他者に自分を観測してもらうことにより、自己肯定感と前に進んでいる達成感の短期的な補給を求めているのだ。
2012-08-08 03:16:29