橋爪大三郎×大澤真幸『ふしぎなキリスト教』に対する批判72

橋爪大三郎×大澤真幸『ふしぎなキリスト教』(講談社現代新書)に対する批判 の後継まとめです http://togetter.com/li/150577
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月(るな) @moon_flight

「ふしぎなキリスト教」の橋爪さんによれば「信仰は、不合理なことを、あくまで合理的に、つまりGODとの関係によって、解釈していくという決意」になるけど、違うと思う。「信仰は、不合理な現実を、GODとの関係によって、不合理なままに受け入れる決意」だと思う。

2012-08-08 09:47:56
月(るな) @moon_flight

「ふしキリ」で橋爪さんは「救われたいと心底願うには、この社会が間違っていると思っていないといけない」と話しているけど、これも変。「この社会」ではなくて「GODの前に立った時の自分自身」だ。現状に不満な人が、自分を正当化するために信仰を持つと誤解されるような表現はやめてほしい(続)

2012-08-08 10:28:14
月(るな) @moon_flight

「この社会が間違っている」から、自分を正当化するために信仰する。それこそが、神を道具にすることであり、自分を神よりも高くする偶像礼拝であり、キリスト教でいう「原罪」だ。信仰者は、この罠を注意深く避けなければいけない。

2012-08-08 10:41:39
月(るな) @moon_flight

昨日は読んでてあまりにイライラしたので文章にすることもできなかったけど、今日はこうして文章にできたからスッキリした♪さ、離脱離脱!

2012-08-08 11:04:38
月(るな) @moon_flight

悪い状況を「解釈」するために神様がいるんじゃないんだけど、この感覚を伝えるのは難しいな…:「クリスマス礼拝の説教メモ」 http://t.co/8h1bGryY

2012-08-08 14:59:47
月(るな) @moon_flight

「神は合理的じゃなくてもいいんじゃないの?」と思いながら検索してたらこのような記事が。 http://t.co/vfRD6zjc

2012-08-08 15:07:19

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月(るな) @moon_flight

大澤さんは「ふしキリ」が批判されればされるほど、「何としても批判しなくてはならないというあの強烈な使命感」とか「一貫性への非常な愛着」とかが「宗教的」なんだ!と思いこみそう。あ~あ…一般の人の「宗教的」のイメージってやっぱりそうなのね~ それって一面的なイメージなんだけどなあ。

2012-08-10 09:59:58
月(るな) @moon_flight

まあ私も実は「宗教」って言葉にはいいイメージがない。でも、そういう態度が「信仰」だと勘違いされるのはとても困るし、私なら「まったく同感です」なんて絶対に言わないね。

2012-08-10 10:16:38
月(るな) @moon_flight

「一貫性への非常な愛着」は置いておくとして、「何としても批判しなくてはならないというあの強烈な使命感」が宗教的だっていうのは変。何かに説得力を感じて受け入れたら、それに反するものを批判したくなるのは自然な感情で、宗教とも信仰とも関係ない。強烈にするかどうかは、人それぞれ>ふしキリ

2012-08-10 12:17:10
月(るな) @moon_flight

こういう本が売れるって、クリスチャンてほんと、日本ではマイノリティよね…としみじみ実感する。

2012-08-10 12:30:04
secilia2010@猫のお守り @secilia2010

@moon_flight たとえば「ふしぎな新日鐵」という本を書いて、ふしキリ並の事実誤認があったら批判されますよね。扱っているのが宗教だから、じゃないんだけどなー。

2012-08-10 15:59:30
月(るな) @moon_flight

@secilia2010 なぜに、例が新日鐵!(笑)でも、ほんと、そうですよねえ~…けれど、「ここで熱くなると大澤さんが!」と思うと、怒りの文章を書く前に抑制できたりなんかして…この人のいちゃもんのつけかた、うちの父に似てます…

2012-08-10 16:19:00

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ラスキンの犬 @DogRuskin

ウェーバーの『プロ倫』のテーゼについてちょっと思ったのだけれど、あの本の中で語られている「ウェーバー流予定説」というのは、カルヴァン主義というよりも20世紀初頭の欧米の工業国に広まっていた観念の記述のひとつの形ではないのか、と思えてきたのだけれど

2012-08-11 16:06:08
ラスキンの犬 @DogRuskin

カルヴァン主義の二重予定説、選びの教説は数多くの聖句を引くことができるけれど、その根本は「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ」(ヨハネ15:16)のような、選びの、恵みでもあると思う。

2012-08-11 16:08:13
ラスキンの犬 @DogRuskin

「ウェーバー流予定説」で強調されている、救われているかわからないからこその精神的な緊張というのは、やはり20世紀初頭の欧米の工業国に広まっていた観念の記述のひとつの形ではないのか。

2012-08-11 16:09:45
ラスキンの犬 @DogRuskin

(亜流含む)進化論、社会ダーウィニズム、マルクス主義、マルサス主義、功利主義、精神分析などなど…。多くの物事が多くの理論で決定論的に説明され、「脱魔術化」されていく中で。工業化が進んでいく中で、不安を押し殺して生きなければいけなくなった「近代」。その「近代」の強迫観念に思える

2012-08-11 16:13:02
遠藤(寓話収集) @endoucom

@DogRuskin ニーチェやフロイトが問題にした抑圧的文化も、キリスト教に内在するというよりも19世紀の中産階級に特異に見られた現象ではないかという見方はありうるかもしれません。

2012-08-11 16:16:31
ラスキンの犬 @DogRuskin

19世紀末から20世紀初頭の文学潮流の一形態としての自然主義。それと交錯するロマン主義の残滓。あの時代の作家に見られる、決定論的なものへの執着と懐疑。モダニズムを準備した、あの不安。あるいはモダニズムの中にも流れるあの不安。あれは実に「ウェーバー流予定説」に似ているように思う

2012-08-11 16:16:39
ラスキンの犬 @DogRuskin

ウェーバーの『プロ倫』を読んだ同時代の欧米の中産階級は「あるある、そんな不安。でも、だからこそ俺たちは頑張ってきたって言えるのか」と思えたかもしれない。「西洋」や「キリスト教世界」の輪郭がまた曖昧になり始め、欧米の内側に目が向き始めた第一次大戦前のあの不安な状況の時代精神というか

2012-08-11 16:20:58
ラスキンの犬 @DogRuskin

で、ウェーバーの『プロ倫』を読んだ同時代の日本の知的エリート階級は「よくわからないけれど、西洋ってそうなんだ!」と思い、同時に「キリスト教ってわけわかんないな」と思いもしたかもしれない。

2012-08-11 16:23:40
ラスキンの犬 @DogRuskin

そして、日本ではずっとそのナイーブな感想が劣化再生産され、亜流ウェーバー的な言説がまかり通るようになったというか。同時代の欧米の「あるある」が、日本の「ねーよ」になったというか

2012-08-11 16:24:37
ラスキンの犬 @DogRuskin

「よくわからないけれど、西洋ってそうなんだ!」と思い、同時に「キリスト教ってわけわかんないな」と思う、ということ。この言説の無反省な再生産。

2012-08-11 16:25:31
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