「国家」と「民俗」と「生活」とー #柳田国男 #折口信夫 #今和次郎 #宮本常一 #吉本隆明 #国家 #宗教 #民俗 #文化 #文明 #東北 #南島 #アイヌ #縄文

テーマが大きいので、ボチボチと関連ありそうなことをノートしていきます。日本列島における文化文明論が展開できればいいですね。
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クマの『論点』 #みんくま草 @greenminkuma

「真に〈他界〉が消滅するためには、共同幻想の呪力が自己幻想と対幻想の内部で心的に追放されなければならない。/ そして共同幻想が自己幻想と対幻想の内部で追放されることは、共同幻想の〈彼岸〉に描かれる共同幻想が死滅することを意味している。共同幻想が原始宗教的な仮象であらわれようと、」

2012-04-25 23:15:36
クマの『論点』 #みんくま草 @greenminkuma

「聖書」も「コーラン」も「資本論」も、文字で記された「情報」(コンテンツ)を「消費」されるために存在している。問題は、資本主義においては〈利益〉を産み出す(と思われる=幻想される)「情報」(デザイン・ブランド・ノウハウ等)は「貨幣」によって売買の対象にされてしまう、ということだ。

2012-04-23 00:15:33
クマの『論点』 #みんくま草 @greenminkuma

と、広井良典『定常型社会』はのべている。だが、「情報」が〈商品〉として大量に生産され大量に消費され始めたのは、グーテンベルグが印刷機械を発明してからだ。もちろん、それ以前にも「情報」は「消費」されている。手刷りにしろ「かわら版」(という情報)は江戸時代の庶民に「消費」されていた。

2012-04-23 00:06:48
クマの『論点』 #みんくま草 @greenminkuma

「産業化社会・後期」においては、機能商品としてのTシャツそのものに関心があるのではなく、Tシャツの「デザイン」やそれを作ったメーカーの「ブランド」そのものに消費者は購買の意欲を掻き立てられる。いわば「モノ(物質・エネルギー)の消費」から「情報の消費」へと消費の対象が変容する。

2012-04-22 23:48:55
クマの『論点』 #みんくま草 @greenminkuma

なにやら西村賢太『小銭をかぞえる』の主人公の所業に似ている。「太宰治」という人間と「檀一雄」という人間の<対の関係>を媒介するように「貨幣」(お金)が入り込み、互いの<信>をめぐるそれぞれの思惑(幻想)を<交錯>(取引が成立していない一方的な思い込みの<交換>)させているのだ。

2012-04-20 16:05:41
クマの『論点』 #みんくま草 @greenminkuma

「激怒しかけた檀に太宰は「待つ身が辛いかね。待たせる身が辛いかね。」 と言ったという。 後日、発表された『走れメロス』を読んだ檀は「おそらく私達の熱海行が少なくもその重要な心情の発端になっていはしないかと考えた。」と『小説 太宰治』に書き残している。」(Wikipedia)

2012-04-20 15:55:10
クマの『論点』 #みんくま草 @greenminkuma

「数日待ってもいっこうに音沙汰もない太宰にしびれを切らした檀は、宿屋と飲み屋に支払いを待ってもらい、井伏のもとに駆けつけると、二人はのん気に将棋を指していた。太宰は今まで散々面倒をかけてきた井伏に、借金の申し出のタイミングがつかめずにいた。」:続

2012-04-20 15:54:09
クマの『論点』 #みんくま草 @greenminkuma

「往復の交通費と宿代等を持たされ、熱海に向かった檀を、太宰は大歓迎する。檀を引き止めて連日飲み歩き、とうとう預かってきた金を全て使いきってしまう。呑み代や宿代も溜まってきたところで、檀を人質にと説得し、太宰は東京にいる井伏鱒二のところに借金をしに行ってしまう。」:続

2012-04-20 15:53:22
クマの『論点』 #みんくま草 @greenminkuma

さらに読んでいくと、『走れメロス』が書かれた元ネタの裏話らしき記述。「懇意にしていた熱海の村上旅館に太宰が入り浸って、いつまでも戻らないので、妻が「きっと良くない生活をしているのでは……」と心配し、太宰の友人である檀一雄に「様子を見て来て欲しい」とお願いする。」:続

2012-04-20 15:52:56
クマの『論点』 #みんくま草 @greenminkuma

「『走れメロス』・・は、太宰治による短編小説である。・・小説の最後に「古伝説とシルレルの詩から」と記述され、これはギリシア神話のエピソードとドイツの「シルレル」、すなわちフリードリヒ・フォン・シラーの詩をもとに創作したと明記されている。」「シルレル」とは、「シラー」のことか・・・

2012-04-20 15:50:21
クマの『論点』 #みんくま草 @greenminkuma

ドスとエフスキーの『罪と罰』を読んでいたらこんな主人公の台詞に出会った。「だが、ご用心、ご用心!こういうことは、ああしたシルレル式の美しい心をもった連中によくあるやつだからなー・・・」(米川正夫訳)。「シルレル式」?で、さっそくググってみたら、太宰治「走れメロス」に行き着いた。

2012-04-20 15:47:02
クマの『論点』 #みんくま草 @greenminkuma

「ダーリン」としての貨幣・・・宇多田ヒカル「Goodbye Happiness」 http://t.co/SnEs6yJk

2012-04-20 12:29:24
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クマの『論点』 #みんくま草 @greenminkuma

貨幣の「海」の生成史・・・宇多田ヒカル「Deep River」 http://t.co/C1txxQIQ

2012-04-20 12:03:01
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クマの『論点』 #みんくま草 @greenminkuma

ここの、ゲーテの「夫婦」(対幻想)が抱くべき「永遠」のテーマは、「貨幣」の永遠のテーマでもある。「貨幣」は、ひとつのモノ(人間)とひとつのモノ(人間)の間にある差異の境界線を超えて「永遠」を目指してふたつのモノ(人間)を結びつける媒介者だ。「大衆の原像」は「貨幣の原像」でもある。

2012-04-19 00:44:00
クマの『論点』 #みんくま草 @greenminkuma

「・・人間の生活状態というものは、悲しいにつけ、うれしいにつけ、じつに貴重なものですから、一組の夫婦が、たがいにどれだけ恩になっているやら、とうてい計りえないくらいです。それは永遠にわたって返してゆくほかないような、無限の恩恵ですよ。」(ゲーテ『親和力』岩波文庫)

2012-04-19 00:16:23
クマの『論点』 #みんくま草 @greenminkuma

「夫婦関係をあやうくする者は、言葉によって、いや行動によって、あらゆる社会生活の土台をほりくずす者は、だれでもわたしが相手になってやります。それとも、そいつを屈服させることができなかったら、こっちから縁をきってやります。夫婦というものは、あらゆる文化のはじめで、頂点です。」:続

2012-04-19 00:12:21
クマの『論点』 #みんくま草 @greenminkuma

西村賢太「小銭をかぞえる」は、今村仁司さんのいう「貨幣小説」そのものだ。今村さんはゲーテの『親和力』をとりあげて「人間の根源」に関わる「貨幣と犠牲」について論じているが、「小銭をかぞえる」主人公の彼女は、まさに「ぼく」の<聖>と<俗>の狭間で呻吟させられる「犠牲者」なのである。

2012-04-18 12:12:05
クマの『論点』 #みんくま草 @greenminkuma

「貨幣」(お金)が、独力で藤澤清造全集を出版するという<聖>と美味いものを食べ、同棲する彼女がいるにもかかわらず他の女性との快楽をも楽しみたいという<俗>な欲望に塗れているのだ。主人公「ぼく」は、犬(野良犬)が餌を嗅ぎ分け漁るように、「お金」の在処を嗅ぎ分け貪ろうとしているのだ。

2012-04-18 12:00:06
クマの『論点』 #みんくま草 @greenminkuma

「穢くしなくては気が済まない。そこで神聖なるものは認められないのである。人は神聖なるものはを多く有しているだけ、弱点が多い。苦痛が多い。犬的な人に逢っては叶わない。」ここで「犬的」と言われている所業は、西村賢太「小銭をかぞえる」の主人公を思わせる。<聖>と<俗>が混沌としている。

2012-04-18 11:49:45
クマの『論点』 #みんくま草 @greenminkuma

森鴎外『ヰタ・セクスアリス』にこんな叙述がある。「Cynicという語は、希臘(ギリシャ)のkion(キオン)犬という語から出ている。犬学(けんがく)などという訳語があるからには、犬的と言っても好いかもしれない。犬が穢いものへ鼻を突込みたがるごとく、犬的な人は何ものをも」:続

2012-04-18 11:34:20
クマの『論点』 #みんくま草 @greenminkuma

対という男女の幻想が、国家(という共同の幻想)の<信用>に辿り着くまでには、たぶん天国も地獄も味わい尽くしているにちがいない。というより<貨幣>の普遍的な抽象性の背後には、人間の生活の悲喜劇や裏切りや美談が、数えきれないほどの具体的な物語として存在しているのだと思う。

2012-04-18 11:25:18
クマの『論点』 #みんくま草 @greenminkuma

「混沌を別の言葉でいいなおすと、それは項と項の差異がないのだから、境界のない状態である。だからこの状態では"境界のないもの"が圧倒的な勢力をもっている。"境界なきもの、それがデモーニッシュなものである。"」(今村仁司『貨幣とは何だろうか』)

2012-04-17 23:03:55
クマの『論点』 #みんくま草 @greenminkuma

「混沌とは、無差別の状態である。差異がある状態とは、関係を媒介するものが制度として確立し、関係を結ぶそれぞれの項がくっきりした姿をとっている状態であって、普通それは社会関係と呼ばれる。だから、混沌という無差別状態は、社会関係の解体した状態、つまり媒介なき状態である。」:続

2012-04-17 22:54:04
クマの『論点』 #みんくま草 @greenminkuma

一対一の〈対〉の関係に割り込んで、お金(貨幣)はお互いの〈信用〉(信頼感)を回復するどころか、ますますその溝を深めてゆく。が、大抵の庶民の夫婦が演じる、哀愁を帯びた悲喜劇の一顚末でもある。「貨幣」は〈対〉の賜物でもあるが、〈対〉を引き裂く不信の刃にもなる、アンビバレントな存在だ。

2012-04-17 22:32:51
クマの『論点』 #みんくま草 @greenminkuma

西村賢太『小銭をかぞえる』を読了。一緒に同棲している女が、主人公の「ぼく」が女とケンカをした腹いせに独りで出前の寿司を食べていることに腹を立て、自分はピザを頼んだのはいいが隠していたヘソクリが見つからず、仕方なく貯金箱の小銭をかぞえるハメになる、というお金にまつわる〈対〉の物語。

2012-04-17 22:14:31
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