今日の野菜発送のお手伝いで一緒だった避難ママは埼玉県八潮市から来た人。八潮市の市議会議員さんに相談して、幼稚園の除染に補助金を出すよう働きかけをする活動したという話を車の中で聞いた。ネットの情報を持ってる人と持ってない人の意識の差があまりにあるという話をお互い頷きながらした。
2012-08-22 16:49:56私たち二人は3.11の震災当時からその後の避難移住決行までの経緯を暴露しあって笑うやら同意して怒るやら、喋り続けた。周囲との意識の相違や理不尽さをそれぞれ味わって熊本まで来ていた。二重生活の不安定さや厳しさも現在進行形だけど喋ったことで少しだけ気が紛れた。避難ママ、がんばるばい。
2012-08-22 17:04:09避難して良かったなと思うのは子どもたちが何も気にせずに外で笑顔で遊ぶのを見ていられることだ。子どもに我慢させないで遊ばせられるって、こんなに幸せなことなんだ。
2012-08-22 17:07:59発送作業で一緒だったもう一人の人は福島市から来た人だった。元々熊本出身の人で、福島市から去年11月に家族で移住してきた。福島市内の去年3月4月の空間線量はなんと20.8μSv/h。その数字からスタートだったのよと話してくれた。
2012-08-22 17:15:55地震後、福島市内は物資が何しろ不足していた。イオンなどに一列に並んでも一家族キュウリ1本…と買い物が制限されていた。高速道路など市内に通じる道路は緊急車両などは通行できたのに食べ物などは全く入ってこなかった。子どもも「福島は見捨てられたんだね」と言っていた。
2012-08-22 17:28:58「福島県の県職員と教職員には放射能の情報が入っていた。だから皆いち早く自分の子を避難させていた。」この手の話はそこらじゅうで聞いてきた。つくば市だって研究所勤務の一部の人はそれを知っていた。それを知らない多くの市民は情報を全く知らされずに外で何時間も過ごしたんだ。到底許されない。
2012-08-22 17:33:56なぜ国も自治体もこうした一大事に情報を発信しなかったのか。「もしかしたら大したことないかもしれないけど、念のため屋内退避してください」くらいの温度でもよかったんだ。市民が動揺するから伝えなかった?!いまだに「あの日は大丈夫だと思って外で遊ばせた」って、ママ達みんな後悔してんだよ。
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