心はフィクションである

主な登場人物 渡邊芳之 @ynabe39 心理学者(50歳),専門は性格心理学,心理学論。近著は「性格とはなんだったのか〜心理学と日常概念」(新曜社)「心理学・入門〜心理学はこんなに面白い」(共著,有斐閣アルマ)。 北海道帯広市 http://twilog.org/ynabe39 続きを読む
15
前へ 1 ・・ 12 13
後藤 健 @123_euglena

@123_euglena @ynabe39 ふと思い出した。当代の一流の哲学者は当代の最先端の科学を吸収するものである、といったような言葉。誰だったか忘れたけど。

2012-08-26 16:43:40
渡邊芳之 @ynabe39

同様に,機能としての心に関わる他の重要な要素も無視できません。それらの多くは人体の外側にあるものです。 RT @123_euglena: というか、渡邊さんだって、脳に関する科学を全く無視した総合などできるはずがない、と思います。…

2012-08-26 16:44:13
渡邊芳之 @ynabe39

「心といわれているもの」の「実在」を人の体の外側で支えているのは言語であり,コミュニケーションです。それらを無視して心について考えるのは,脳や身体を無視するのと同程度に深刻な欠落であろうと思います。@123_euglena

2012-08-26 16:47:27
後藤 健 @123_euglena

@123_euglena @ynabe39 でも、今、これ、不可能だよね。科学が高度に細分化されているから。40年前は、生態学から発生学、分子遺伝学、生化学を俯瞰するのは出来なくはないことだったと思うけど、今は「専門」「研究者」の身ということもあり、とても出来たことじゃない。

2012-08-26 16:47:45
渡邊芳之 @ynabe39

ただ,心と身体との関係を考える時にさまざまな身体器官の中で脳を特別に重要視することの妥当性についても議論はあります。前にあげた脳だけを培養したものに心があるのかという思考実験もその議論と関係します。 @123_euglena

2012-08-26 16:48:47
渡邊芳之 @ynabe39

自然科学では不可能でしょうね。だから自然科学は「機能の総体として実在する心」を扱うことはできないと思います。 @123_euglena

2012-08-26 16:49:53
渡邊芳之 @ynabe39

「機能の総体として存在するものについて扱う」というのは結局「意味」の問題になりますから最初から哲学や人文学の領域です。それこそ「ひとりの人間」「個人の実在」ということを考えられるのは自然科学ではありませんよね。 @123_euglena

2012-08-26 16:51:57
後藤 健 @123_euglena

@ynabe39 それは当然のことですが、、、乳児の段階から、外界との相互作用を全く遮断したら、どんなことに? カエルの眼の実験思い出した。狼少女とか(こっちは狼との相互作用があったわけだが)。いずれにしろ、主体は身体のほうにある、と思います。

2012-08-26 16:53:33
渡邊芳之 @ynabe39

ずっと述べているように「心の主体がどこにあるか」は無意味な問いですね。というかそれは「信念や信仰の宣言」のようなことだと思います。 @123_euglena: いずれにしろ、主体は身体のほうにある、と思います。

2012-08-26 16:55:50
渡邊芳之 @ynabe39

そもそも人間とはなんなのか。「身体」が人間なのか。

2012-08-26 16:57:26
前へ 1 ・・ 12 13