心はフィクションである

主な登場人物 渡邊芳之 @ynabe39 心理学者(50歳),専門は性格心理学,心理学論。近著は「性格とはなんだったのか〜心理学と日常概念」(新曜社)「心理学・入門〜心理学はこんなに面白い」(共著,有斐閣アルマ)。 北海道帯広市 http://twilog.org/ynabe39 続きを読む
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渡邊芳之 @ynabe39

その「静的」と言うことの意味がわかりません。PCの動作も画面に表示されるものも入力に応じて刻一刻と変化します。また「機能の総体としての心」であれば人間以外の生物もコンピュータもそれを持つことができることは心の哲学では常に言及されることです。@123_euglena

2012-08-26 16:04:05
渡邊芳之 @ynabe39

また,コンピュータの比喩が「心(や生命現象)への静的な実体認識」であるならば,「心は神経の発火である」というのも同様に「静的な実体認識」であろうと思います。ただ先生が「神経の発火」という「比喩」をもう使わないならこの点はかまいません。 @123_euglena

2012-08-26 16:05:50
渡邊芳之 @ynabe39

別に進まなくていいんです。 RT @aozorsa04: 前に進まない状況になっている原因はなんでしょうか?

2012-08-26 16:06:14
渡邊芳之 @ynabe39

まあ心理学者的には「わざわざ存在するんだからなにかの機能はあるだろう」と思います。クオリアまで問題を純化しなくても「心的表象に何の機能があるのか」はよく考える問題です。 @amenoBETA

2012-08-26 16:09:01
後藤 健 @123_euglena

@ynabe39 先にも「広義の生物学の貢献」という話題で分析と総合の関係に触れたが、真に目指すは総合的理解。その際、脳の機能局在という事実もあり、心が総合的な実在であるにしても、脳(や他の部位も含めていい)部位各所の専門性を重みづけた総合化の必要。均等に相互作用してる訳でない。

2012-08-26 16:10:40
渡邊芳之 @ynabe39

@123_euglena それはそうだろうと私も思いますが,この議論とどういう関係があるかちょっとわかりません。

2012-08-26 16:11:26
後藤 健 @123_euglena

@ynabe39 もう一度読み返してみて下さい。渡邊比喩のどこが誤りか2,3指摘しましたが、その指摘に対する対論を示してくれれば議論しやすいと思います。

2012-08-26 16:16:04
渡邊芳之 @ynabe39

「一度還元された要素の総合としての全体的な理解」と今回の例のように「最初から総体として(総体としてしか存在しないものとして)理解する」こととはまるで違うことである,ということだけは言えます。自然科学者がいう「全体的理解」というのは一般に前者ですよね。 @123_euglena

2012-08-26 16:16:26
渡邊芳之 @ynabe39

比喩が正しいとか誤りだとかいうのはナンセンスです。「気に入ったか気に入らなかったか」だけで,先生は私の比喩を気に入らなくて,気に入らない理由を述べただけ。 @123_euglena

2012-08-26 16:17:33
渡邊芳之 @ynabe39

少なくとも私の主観からは,論点をどんどん変えているのは先生のほうだと感じます。心をコンピュータに比喩することが適切かどうかと「心の実体はどのように実在しうるのか」はあまり関係ありません。 @123_euglena

2012-08-26 16:20:09
雨野β @amenoBETA

@ynabe39 とりあえずクオリアや心的表象が(直接観測されないにも関わらず)自分以外にも存在するということに関しては、素朴に問題はないとしているということでしょうか。哲学的にはそこが気になります。

2012-08-26 16:21:41
渡邊芳之 @ynabe39

私のほうは「心の概念は札内川という概念と同じ性質を持つ」「札内川の特定の機能や性質だけを指してこれが札内川だとはいえないように,心も特定の機能や性質だけを指してこれが心だとはいえないものだ」ということを先生がわかってくれたならこの話は終わりですし,わかってもらえたものと思います。

2012-08-26 16:22:37
渡邊芳之 @ynabe39

これはきちんと議論すると時間がかかりますが,端的に言って「他者のクオリアの存在を前提にしたコミュニケーションや社会的関係が成立しているのであればそれでいい」と思いますし,他者のクオリアの存在は究極には「不可知」でかまわないように思います。@amenoBETA

2012-08-26 16:25:14
渡邊芳之 @ynabe39

「全体は部分の合計ではない」。

2012-08-26 16:25:50
後藤 健 @123_euglena

@ynabe39 渡邊さんが「後付け」という話を持ち出したので、昨晩の札内川の話の意図を語っただけ。話題の一貫したテーマは【心の実在性】。実体という言葉の間に大きなズレがあると僕は思った。で、札内川とか、PC比喩や生命を題材に僕がどう「実体」なる言葉を理解しているかを語った次第。

2012-08-26 16:28:49
後藤 健 @123_euglena

@123_euglena @ynabe39 そして、僕の実体理解に対して、渡邊さんはどのように「実体」を理解しているか、札内川を題材に問い、、、、ほぼ同様の理解を持っているのではという感触を得たんじゃなかったのかな?

2012-08-26 16:30:27
渡邊芳之 @ynabe39

@123_euglena そこの部分ではけっこういい対話ができたと思っています。私のフォロワーからの評判もよかったですしまとめもいくつか作られたようです。

2012-08-26 16:30:48
後藤 健 @123_euglena

@ynabe39 いやぁ、、、そういう風に話を転じても仕方ないんじゃないかな。PCと心回路の「事実的」な構成について語ったのが僕のTWなんだから。

2012-08-26 16:33:17
渡邊芳之 @ynabe39

@123_euglena 先生が語ったことはPCについては「事実的構成」かもしれませんが心については同様に「比喩」だったと思います。

2012-08-26 16:35:09
渡邊芳之 @ynabe39

これは「他者のクオリア」に限らず「他者の心の存在」についても同じことが言える。「自分以外の他者に心があるのか」は究極的には不可知だが「他者の心の機能」が実際に示されていれば「心の不在」は現実的にはとくに問題にはならない。

2012-08-26 16:37:36
後藤 健 @123_euglena

@ynabe39 これも、http://t.co/zXxs1NNgで始まるTW述べました。部分を知らずに総合はありえない。総合のもう一つの方法は直截的「直観」だと思いますが、そういう学問はあってもいいけど、科学を基礎にしていないから、どうでもいいとしかいえない。

2012-08-26 16:37:45
渡邊芳之 @ynabe39

そこで「心の機能を再現した機械には心はあるのか」という問題になる。これについてはまあ私なんかが説明しなくてもツイッターには詳しい人がたくさんいるだろうと思う。

2012-08-26 16:38:22
後藤 健 @123_euglena

@123_euglena @ynabe39 というか、渡邊さんだって、脳に関する科学を全く無視した総合などできるはずがない、と思います。そもそも、脳という器官、心臓という器官、の言葉と存在は捨てることはできない。学問ならね。

2012-08-26 16:40:02
渡邊芳之 @ynabe39

まさにそういうことで,「(最初から総体としてだけ)実在する心」は科学の対象ではないから,科学になろうとした心理学はそれを追放するか,心を「全体と部分と切り分けられる別のもの」(一般には「行動」)に置き換えて研究するか,どちらかの道を選んだわけです。@123_euglena

2012-08-26 16:41:09
渡邊芳之 @ynabe39

まあこのことを書くのはすでに3回目か4回目だと思いますがw。

2012-08-26 16:42:37
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