心はフィクションである

主な登場人物 渡邊芳之 @ynabe39 心理学者(50歳),専門は性格心理学,心理学論。近著は「性格とはなんだったのか〜心理学と日常概念」(新曜社)「心理学・入門〜心理学はこんなに面白い」(共著,有斐閣アルマ)。 北海道帯広市 http://twilog.org/ynabe39 続きを読む
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後藤 健 @123_euglena

で、新科で一番熱心なテーマは、唯物弁証法と武谷三段階論。新歓の大講演会で湯川秀樹を招いたときのこと。時計台裏の大講義室。ハイゼンベルクのときはもっと来たんだけどな、と言って笑わせてた。で、唯物弁証法は湯川理論の発見にどう貢献したか、って聞かれて苦笑いしてた。回答は覚えてない。

2012-08-26 13:07:20
後藤 健 @123_euglena

坂田昌一の場合は、唯物弁証法や武谷三段階論が、自分の研究に有効だった、といたるところに執筆していたと思う。

2012-08-26 13:10:41
後藤 健 @123_euglena

現象論⇒実体論⇒本質論という順序で(時に循環もあるが)科学理論は発展する、というのが武谷三段階論。これを、遺伝学に準えて解釈したのが、東大の生物学者の佐藤七郎。メンデル遺伝法則の発見が現象論的段階ね。「UPバイオロジーのシリーズに「細胞」という書籍がある。

2012-08-26 13:15:31
後藤 健 @123_euglena

科学者にとっては、意識するとしないとは問わず、唯物論が大前提になっている。なので、https://t.co/mVVkWDGZでも少し述べたように、物質やエネルギーという実体を伴わないものは研究対象から外れる。「我が身」の心は明らかに物質やエネルギーを伴っている。

2012-08-26 13:45:49
後藤 健 @123_euglena

「我が身」を離脱した心は、他者の身の中の「心のコンテンツ」として実在しうる。

2012-08-26 13:47:43
後藤 健 @123_euglena

話を戻す。ある対象が実在するというのは、科学者にとってその対象が物質とエネルギーを伴っている、ということを意味している。この実在性の承認がなければ、その対象の存在様式について研究することができない、というごくごく自明の事柄なのだ。生物学的心理学は目覚しく発展していることだろう。

2012-08-26 13:53:39
後藤 健 @123_euglena

@yoshikotori さんの真似するなら、生物学的幽霊学なんて、ユーてグレるナ。

2012-08-26 13:56:16
後藤 健 @123_euglena

@123_euglena この存在様式を哲学的にどう捉えるかという問題と、科学的にどう研究するかいう問題は、全く別次元の事柄だ。後者は必然的にその手法は「分析」だ。システム生物学が現在どのような姿になっているか全く知らないが、心をシステム科学的に研究する道もありうるだろう

2012-08-26 14:04:26
後藤 健 @123_euglena

@123_euglena 広義の生物学の貢献により、われわれは、ニューロン、シナプス、脳の解剖学的構造と機能の局在化、生物学的発達、成長、、、たくさんの知識を得た。まだまだ、生物学的に知らないことは無尽蔵にある。こうした知識を概念的に総合して理解しよう。これが、僕の姿勢だ。

2012-08-26 14:13:18
後藤 健 @123_euglena

@123_euglena 知識は常に不十分であるから、概念的総合も少しずつ進歩するしかないものだ。ただし、この概念的総合をしようとする試みも、幾つかの科学分野になるだろう。シミュレーションを中心としているように見えるシステムバイオロジーでは直感的な理解が出来ないけれど、、、

2012-08-26 14:23:43
後藤 健 @123_euglena

@123_euglena 諸構造間の機能的関係を科学的に理解するための基礎として重要だろう。僕としては、直感的に理解できるような形での概念的総合が好きだ。

2012-08-26 14:27:40
後藤 健 @123_euglena

札内川の比喩を「先に」提示したのは僕の方。この指摘意図は、そうした哲学者の薫陶を受けるまでもなく、そうした考えは自然発生するだろう、事。言い換えると、哲学史を学ばなくても哲学はできる、ということ。もちろん哲学「学者」になるには哲学史の勉強は必須 @ynabe39: 哲学の問題、

2012-08-26 14:38:55
後藤 健 @123_euglena

@123_euglena 僭越な言い方になってるかもなので補足しますが、別に僕はライルの真髄を理解しているわけでは全然ありません。札内川に関する僕の問いかけに、渡邊さんが「まさにそうで」という形で説明した内容は、【心は実在しない】が驚愕理論に対して、まさに【常識の範囲】ということ

2012-08-26 14:44:09
後藤 健 @123_euglena

@123_euglena 別側面で言うと、一般人の【常識の範囲】で説明できるのにもかかわらず、【心は実在しない】という驚愕理論の「説明根拠」として【心理学の常識】を挙げた意図はどこにあるのだろうか?

2012-08-26 14:53:33
渡邊芳之 @ynabe39

先生が札内川の比喩を出した時には単に私に反論するために「存在の範疇」を拡げただけで,それと「私が言ってきたこと」がこのようにつながるということは,後付け的に理解されたのではないですか? RT @123_euglena: 札内川の比喩を「先に」提示したのは僕の方。

2012-08-26 15:36:32
渡邊芳之 @ynabe39

「後付け的な理解」に「最初からわかっていた」という主観が伴うことはごくごくありふれたことです。それでも後藤先生が「自分が述べたこと」を通じてそれを理解されたことはとてもよかったと思います。少なくとも後藤先生はもう「心とは神経の発火である」とはいわないでしょうし。

2012-08-26 15:37:52
渡邊芳之 @ynabe39

ですからそういう意味での「神の存在」は「科学の問題」ではなくなります。 RT @amenoBETA: しかし、それでは全知全能の存在としての神の実在は証明されませんよね。「神」という概念がどのような機能を持つかはわかりますが、それは「神」という語が意味するところとは違う…

2012-08-26 15:39:31
渡邊芳之 @ynabe39

心理学者はそう考えることが一般的かと思います。 RT @amenoBETA: つまり、心の問題にそれを適用すると、機能としての心は科学で扱えるが、霊魂としての心は科学の問題でないということでしょうか。

2012-08-26 15:44:41
後藤 健 @123_euglena

@ynabe39 札内川は、渡邊さんの意味する「実体」の実体を淘汰もの。僕の実体理解は⇒https://t.co/n532XWlR

2012-08-26 15:49:09
渡邊芳之 @ynabe39

先生のその理解自体は「私が札内川の例を借りて説明したもの」とはあまり関係ありません。別の理由であれ先生が「札内川」という「心と同様にそれ自体に一対一対応する実体がない種類の概念」を例にあげてくれたので,そこから説明をしたということです。@123_euglena

2012-08-26 15:53:43
雨野β @amenoBETA

@ynabe39 なるほど。ちなみに哲学の方で「クオリア」などと呼ばれている概念についてはどうお考えでしょうか。心の機能が全て記述されてもクオリアはまだ解明されない、などという論があるのですが、クオリアは科学で扱える範疇だと思われますか?

2012-08-26 15:54:39
渡邊芳之 @ynabe39

ただ正直私はそこで「だいぶ近づいたなあ」と思いました。おそらく後藤先生も「実在とはなにか」ということを先生の立場である程度考えて,そこで「物理的な一対一対応物などなくても確かに実在するもの」として札内川の例を挙げたのでしょうから。 @123_euglena

2012-08-26 15:55:13
渡邊芳之 @ynabe39

まえに哲学者から「心理学者はなぜクオリアの問題に興味を持たないのか」と聞かれたことがあります。すごく乱暴に言えば心理学者的には「クオリアの機能」には興味がわいても「クオリア自体」には興味がわかないのです。 @amenoBETA

2012-08-26 15:57:20
後藤 健 @123_euglena

@ynabe39 そこでも述べたように、渡邊さんにとって心的回路と心的コンテンツが、PCと画面映像で比喩できるような形の、静的な実体認識なんだな、という理解のもと、渡邊さんが「実体」という言葉で表現している何かは、頗る静的な何かなのかな、ということで問うたわけです。

2012-08-26 15:59:45
後藤 健 @123_euglena

@ynabe39 渡邊さんのPC比喩に関する僕のコメントについては、http://t.co/cadNwRxqで始まり、http://t.co/H5pf6bdjで終わる12個のTWを参照してください。

2012-08-26 16:02:37
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