自由と選択と責任と・・・

自分で考えるためのメモ帳代わり。 (まとめながら考えていたのでご迷惑をおかけしました) なぜ選択の自由が必要なのか。 自由な選択とはなにか。 続きを読む
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自由と責任

モジモジ @mojimoji_x

徹頭徹尾自力のみで戦え(自己責任論)と、自分の状況に抗うための最初の意思表示は本人がするしかないことはいくらでもある、という話は別の話。諦めるか否か、つまり、意志の問題は自己責任で引き受けるしかない場面はいくらでもある。今がそうだ、という呼び声がどれほど過酷であっても。

2012-08-19 20:34:34
yuuki @yuukim

自己責任論で何かを正当化するのはほんと醜いし、特に行政の長が使っていい理屈ではないと思うけど。一方で自己責任を一切否定するのも違うと思う。身近な大切な人であって、帰結に対する責任を負って助言をするなら、自己責任に言及することは避けて通れない。

2012-08-25 10:59:30
ghfk @snzk1971

リスクに対する自己決定権を過大に強調するのは「利用規約を読んで同意したらクリック」みたいのに似ていて、後から「リスクは教えたでしょ」て言い訳にする意図を多分に含むと思える。これは、民主制の下では、選択肢を与えて選択を誘導するという以外に、意識決定をコントロールする手段がないから。

2012-08-22 13:33:19
小田嶋隆 @tako_ashi

【承前】実質的に一番恐ろしいのは「シンプルに強制される」ことよりも、むしろ、「何かを選ばされる」ことなのだと思っています。あらかじめ用意されたいくつかの選択肢の中から「自由意志」で「選択」を迫られる。そして、結果については「自己責任」と説明される。これは、実質的な「強制」です。

2012-08-26 13:59:40

選択の自由とは

ghfk @snzk1971

専門家が市民に、リスクへの自己決定を求めたとしても、大多数は、信頼できると感じる専門家の言動に同調しているだけというのが実態に近いと思う。そのような実態で、自己決定権が担保されているからといって、専門家が(道義的に)免責されるとは思わないし、それが是とされる社会は崩壊するだろう。

2012-08-22 20:36:04
yuuki @yuukim

専門的な内容になるほど「誰が言ったか」が重要になるのは言うまでもない。科学者が「誰が言ったかではなく、何を言ったのかが重要」なんて言い始めたときは大抵インチキと考えて良い。発話者の過去や属性を見ない、利益相反を無視するのは、単なるニセ科学です。

2012-08-22 06:53:58
no1hasgone @no1hasgone

正しい、信頼できる知識や情報を得るというのは個人の努力・勉強や信頼できるセンセイ、情報源だけで恒久的に担保できるものではない。様々な複数の立場から事実を捉え、統合分析し発信し続ける社会の仕組みが定着しなければ、万人の自由な選択は絵空事に過ぎなくなってしまう。

2012-08-22 22:52:03
no1hasgone @no1hasgone

一人一人が判断する、選択の自由を保証することを突き詰めて考えれば、何が信頼できる情報であり、どうすればそれが手に入るのか、そのためには仕組みをどう変えねばならないか、結局自分たちで行動を起こさざるを得ないということに行き着く。社会変革なぞ、望んでいなくとも。

2012-08-22 22:52:16

幸福な選択とは

どりぽ @DrmPlc2011

選択とは、将来と向き合うこと。だからこそ、普段からの思い込みや、判断が誤った時の理由も検証し、結果を率直に議論して初めて、その可能性を実現できる」コロンビア大ビジネススクール教授 シーナ・アイエンガーさん 人生決める「選択」の謎を追う http://t.co/F6cDwWxN

2012-08-23 11:25:12
どりぽ @DrmPlc2011

選択の話。コロンビア大学の盲目の先生の白熱教室、途中をちょっと見たことがあるのだけども。 https://t.co/jotjWApV

2012-08-24 06:06:20

※白熱教室 

どりぽ @DrmPlc2011

「試食用のジャムがスーパーの店頭に24種類並んでいた時と、6種類しかない時とで、買い物客の反応はどう変わるのか。多くの種類が並んだ場合、試食をする人は確かに増えた。しかし、展示品を絞った方が、ジャムの購入者が圧倒的に多かった」 http://t.co/F6cDwWxN

2012-08-24 06:07:04
どりぽ @DrmPlc2011

アジアの場合は信頼する人が勧めた選択肢を選ぶと安心する。アメリカの場合は自分で選ぶ行為を尊重する、というような。細かいとこもっと違う表現だったと思うけどorz(選択しているのは本当にあなた自身?という回だった)

2011-12-12 07:22:43
どりぽ @DrmPlc2011

あと、旧共産圏の人にコーラやソーダのジュース(ペプシやコカコーラや7upなど)を七本並べてみせて、選択肢はいくつと訊ねると「これじゃ選ぶ余地がない、皆同じ」というような返答が、という内容もあったような。選択したと感じるかどうか自体も環境によって違う、とか。

2011-12-12 07:25:11
どりぽ @DrmPlc2011

「原理的な信仰を持ち、人生における選択肢が少ないように見える人がむしろ、楽観的で幸福でした。制約を受けることが、必ずしも「自分で決めている」という感覚を失わせるわけではありません」http://t.co/DECA8wIE

2012-08-24 06:07:53
どりぽ @DrmPlc2011

「大切なのは、いかに多くの決定をしているかではなく、自己決定の意識を持っているかです。何も決められない状態だと感じると、人間に限らず動物は絶望し、生きる力を失います。一方で、あまりにも多くの選択を求められると、その間で判断できなくなります」http://t.co/DECA8wIE

2012-08-24 06:08:21
どりぽ @DrmPlc2011

選択肢がわずかしかない状態にむしろ満足する人も、いるのかもしれない。自分で考えなくても自ずとやることが決まることに、安定感をおぼえるような。

2012-08-24 06:18:08

人が幸福になるために自由は必要か

水無月 @minadukiG

「なぜ自由な選択が大切か」→「幸福になるため(幸福>自由)」なら、つまり自由は幸福のために必要というなら、「自由でなくとも幸福ならよい」という考え方も当然成り立つ。「自由でない幸福は幸福ではない(奴隷の幸福)だ」式の(自由>幸福)考え方の人とは対立するだろう。

2012-08-24 13:09:24
水無月 @minadukiG

私は、「自由でなくとも幸福ならよい」の考え方を認める立場だ。 一方で、「自由でなくとも幸福ならよい」を、本人が選ぶのではなく、第三者や社会が与える状態には反対。 「あなたは自由ではないかもしれないが、幸福だからいいでしょう」 「あなたが幸福になれるよう代わりに選択してあげる」

2012-08-24 14:25:35
水無月 @minadukiG

これは共に、実は選択の自由を制限しているのではなく、どういう状態を幸福と思うか、の部分で当事者の自由を制限している。 どういう状態を幸福と考えるかは本人だけが決められる。 他者から見て不幸に思える状態でも、これを幸福と考え希望することは妨げられてはならない。 @minadukiG

2012-08-24 14:31:41
水無月 @minadukiG

「自由でなくとも幸福ならよい」の考え方は、「幸福」の実質(具体的な状態)を本人が構築した上での、「自由でなくとも幸福ならよい」という判断である時だけ、意味を持つ。 (あぁ…つまり私は、幸福概念の構築の段階で、自由であることを求めているのか。循環してる…?)

2012-08-24 14:44:19