Specula #3 「セカイ系という想像力」まとめ
池田:佐藤心の「社会は存在しない」でのイリヤ論を参考に。偉大なものに接近する際に起こる感情がカント的な意味での崇高。「イリヤ」の水前寺は自己と世界を対立させるが(二元論)、浅羽は自己意識を世界に肥大させる(一元論)。セカイ系のコアはどこにあるのか。 #specula2010
2010-07-17 16:05:16客体的な主体=私の内側にある風景をセカイに接続させてく、とらえきれないセカイは主体化していくポストセカイ系への展開。 #specula
2010-07-17 16:10:04桂:進行的にそろそろ休憩が必要だが、池田君の話が混迷度を高めている気がするので、休憩後の後半は会場からの質問や意見を交えて議論のフレーミングし直しをしましょう。 #specula2010
2010-07-17 16:13:14黒瀬「位置づけとしてはけいおん!や仮面ライダーディケイド、サマーウォーズなどの存在があげられるがその各々のセカイに他者を動入していくことに関しての問題」 #specula
2010-07-17 16:32:59前島「鑑賞者としてのオタク的のアニメの捉え方に対する批評型的需要者の捉え方、またそのアニメそのものに対しての批評的捉え方との差異」 #specula
2010-07-17 16:39:35池田「けいおん!のような空気系には淡々とした状況下でコミュニケーションの可能性というものを見出せる。またそのコミュニケーションの断絶という面でセカイ系の新たな可能性を見出せるのではないか」 #specula
2010-07-17 16:43:24前島「キョンは僕だったのに、ハルヒの消失版で、キョンはハルヒのいる世界に戻ったけど、僕たちは置いてきぼりにされたんですよ!」 #specula
2010-07-17 16:45:12前島:消失について。宇宙人、未来人、超能力者がいる世界にいる主人公のキョンが普通の世界に行くが、超常現象がある世界を選択する。しかしキョンが「お前はどちらの世界がいいんだ?」と問うとき、明らかに劇場にいる観客に向けて訊いている。 #specula2010
2010-07-17 16:46:11黒瀬「ここでカオスラウンジについて。そこに対して破滅ラウンジがあるのだが、けいおん!的なゆるい共感によるコミュニティに対する目覚まし装置としての行動としての存在であった。」 #specula
2010-07-17 16:46:20とはいえ、一連のカオス*ラウンジによる展示会の(キャラ的な)中心的なモチーフは空気系から採られているように思えるのですよね。思想とモチーフが直結すると言い切るものではないだろうけど、黒瀬さんの言うセカイ系的な発想との違いは気にはなりますね。 #specula2010
2010-07-17 16:49:06前島:そこには京アニの悪意もあるが、しかし今のオタクは「長門可愛かったよね」で満足していて、その悪意も読み取れていない。空気系消費の仕方もそう。それでいいのだろうか、というのがセカイ系次を考える上での問題意識。 #specula2010
2010-07-17 16:50:02黒瀬「オタクの共感対象としてのコミュニティとしての破滅ラウンジではなく、新たな場の提示。牛島というコスプレイヤーの存在とそれを取り巻く言説の生まれる環境を事例に。」 #specula
2010-07-17 16:50:51黒瀬:カオスラウンジはコミュニティの盛り上がりとそのインフラを可視化した。破滅ラウンジのプログラマたちはインフラを作ると同時にその上で遊ぶ欲求がすごくある。その結果自らの身体をも破滅させてしまうことがあり、そこに批評性を感じたのが展示会のきっかけだった。 #specula2010
2010-07-17 16:56:14前島「村上隆がオタク的文脈にのっとている現状で、実際オタクが作品にたいしてやや違和感などを受け取ったようにカオスラウンジの会場に訪れる客や鑑賞者はどうなのか。オタクに対してもアートに関しても’悪意’や暴力的介入の必要性と実際の状況はどのようなものなのか」 #specula
2010-07-17 16:59:10前島:東浩紀さんや村上隆さんはオタク的な感性とのズレがあるし、ズレがあるからこそ面白かったところがある。しかしカオスラウンジの本郷での展示を昨日見て、やはり黒瀬さんはオタクなんだな、と感じたところがあった。今のオタク的感性に対してどう感じるか。 #specula2010
2010-07-17 17:01:02黒瀬:僕も京アニの悪意を読み取れないような素朴なオタク的感性に対して、暴力的な介入を行っていきたいと思っている。 #specula2010
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