《クロニクル1995-》を巡って
- hashizume_y
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クロニクル1995-@ 東京都現代美術館。阪神大震災、地下鉄サリン事件などが起きた1995年をライフスタイルや国民心理の裂け目と捉える展示。時代に抗するアーティストたちの営みは一定以上の時代性を鮮烈に伝えるが、その全てがある意味で無効でもあったかのように思えて、胸が詰まる。
2014-06-06 18:17:10大竹伸朗、O JUN、会田誠らの時代へのラディカルな応答。些細で繊細な営みに社会への抵抗の手段を見出すような、高柳恵里、小林孝亘、奈良美智ら。死者への祈りを表象した八谷和彦、宮島達男。そのどれもが切実だが、そのすぐ向こう側に自己の様式を規定し、制度化する陥没が待ち受けている。
2014-06-06 18:26:47展示作家の豪華さに反するように、2014年の今だからこそ感受しうる重苦しさが通奏低音のように響く内容の濃い展示でした。八谷和彦のメガ日記や宮島達男のメガデス、奈良美智のペインティング、田中功起の映像インスタレーションもまた異なる見え方がする。展覧会の豊かさとはこういうことだと思う
2014-06-06 18:36:12クロニクル1995のこと考えてる。都現美ってエキソニモの作品収蔵してないのかな(写美にはある)。エキソニモが活動開始したのってWindows95がリリースされた翌年の96年だったはず。
2014-06-07 09:59:43都現美、常設展の特集展示は「クロニクル1995ー」。1995年前後の作品や作家をいくつかのキーワード(「戦後50年」「パーソナルな日常」など)とともに概観していく第一部と、最近の作家の収蔵作品からなる第二部の二部構成 pic.twitter.com/32QM9LHNs3
2014-06-07 16:15:53都現美のクロニクル1995年展、これだけで全館展示してほしい!常設展会場だけじゃもったいない!あとカタログ出版希望。
2014-06-07 17:37:51「開館20周年記念 MOTコレクション特別企画クロニクル1995-」@東京都現美。ホンマタカシ氏の郊外の写真から始まり、最後は吹き抜け空間に三つ配された舟越桂氏の肖像彫刻で終わる。あっけらかんとした郊外から浮遊する存在の孤独へ。時代の推移を反芻しながら鑑賞。味わい深い展示。
2014-06-08 12:49:56体育会サッカー部でリア充だった夫が、仕事で必要になったと言ってエヴァテレビシリーズを見ているが、当時誰も俺の周りでこんなの見てる奴いなかったし知らなかったけどと言っている。複数の世界が同期していた1995年問題。小室もコギャルも裏原ブームもこの年。
2014-06-10 23:15:38@seiichitsuchiya オタクvsサブカルってけっこうリアルに体感した環境ですか? ユリイカの特集で同名のがありますが、圧倒的にオタク側にしかいなかったので、その対立軸がぴんと来なかったんですよね。
2014-06-10 23:26:34@nukisuke うーん、私の場合は圧倒的にサブカル側だったから、オタク環境がわからんのだね。渋谷系の世代だし。だから想像するに、私の世代だとオタクvsサブカルっていう対立軸はあったんだと思うよ。あれを責任編集なさったお二人も、私と同世代だろうし。
2014-06-10 23:31:45↓RT、美術に95年問題はあったのか問題が話し合われなければならないと思う。あと、95年問題をダイレクトに受けてるのは、だいたい私あたりの世代だろうから、そのあたりの作家(つまり零年代のってことですね)にどういう影響を与えたのかは検証すべきだと思うなぁ。
2014-06-10 23:35:08言い方を変えれば、ゼロ年代の美術の作家にセカイ系はあったのか問題が問われなければならないと思うのだが、私はかろうじて雨宮庸介氏の作品をそう呼んだことがある。他に事例はないのか。
2014-06-10 23:37:01文芸批評とか読んでた学生には既視感あった。普通の友達に熱く解説してキモがられたなー…@nukisuke: 最終2話肯定派否定派に分かれたのも懐かしい思い出。あの正鵠を射る同時代感はいったいなんだったんでしょう(懐古補正強いですが 笑)。コレクション展中盤の空気に合致しまくり
2014-06-10 23:37:2495年に大学生だったか、あるいは高校生だったかで、ものの見方や考え方がけっこう違うのかもしれない。作品やテキストにもそれは現れてる気がするが果たして、、
2014-06-10 23:37:30黒瀬陽平氏の言い方だと、美術においては「ゼロ年代はスカだった」という話になるのだろうけど、「スカ」じゃない可能性もあったと思う。この点については、ゼロ年代美術とセカイ系の問題を解かねばならない。時期は逸したが、今からでも検証したほうがいい。
2014-06-10 23:40:23確認したところ、『美術手帖』では「ゼロゼロ・ジェネレーション」と冠した特集を2002年と2006年に組んでいる。2006年の際には、私も何人かアーティストをチョイスしたはずなのだが、ちゃんと覚えていないな。まずはこのあたりから検証か。
2014-06-10 23:48:15@seiichitsuchiya 重要な指摘ありがとうございます。第二部はまさにその世代の特集ですが、石田尚志の1995年の最初の絵巻や、小谷元彦の1994年の卒制から展示が始まります。このあたりどう考えるか。
2014-06-10 23:52:06@seiichitsuchiya コレクション展ゆえ制約ありますが、セカイ系よりも、例えば田中功起さんのように、終わりなき日常が、ループ作品として構造の可視化へ繋がるあたりなどに美術の独自性はあるかも
2014-06-10 23:52:35@ton0415 「終わりなき日常」か。そうすると95年からゼロ年代にかけての美術は、宮台さん流の社会学化を遂げた、という話に……、なるかな?
2014-06-10 23:55:55美術でセカイ系ぽさを一番感じるのは、例えば風桶展の出品作家だったりする。あるいはその前後から現在にかけて活躍する映像を主軸にした80年代後半生まれの作家たち。また、蓮沼執太に代表される恊働性を構造化した音楽や舞台などのパフォーマンス勢にはポストセカイ系と呼びたい感じがある。
2014-06-10 23:59:29