「心の概念」を生み出す「総体」とは

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渡邊芳之 @ynabe39

論理実証主義も「消去主義」の性質を強く持つものであったと思うけど,それはヴィトゲンシュタインの「語りえぬものについては沈黙」を「誤解した」のだと誰かが書いていた。

2012-08-27 08:25:39
渡邊芳之 @ynabe39

「語ることのできるものについてだけ語れ」ということはとくに「語れないものが存在しない」ことは含意しないものな。

2012-08-27 08:28:28
渡邊芳之 @ynabe39

ヴィトゲンシュタインがその言葉で(カルナップたちが考えたように)「形而上学の追放」を主張したと考えるのは誤り,というんは現在ではほぼ定説であるようだ。

2012-08-27 08:30:57
渡邊芳之 @ynabe39

心理学における「機能主義的消去主義」については考えないとならないな。

2012-08-27 08:33:10
渡邊芳之 @ynabe39

「構成概念にすべて(対応する)実体があるように思うこと」自体は誤りだし,心理学自身がその失敗によって不毛な時代を持ったことは事実なのだが,そのことから「構成概念にはすべて実体がない」ことは導けない。ただ心理学はその「失敗」に著しくとらわれている。

2012-08-27 08:37:16
渡邊芳之 @ynabe39

心を「内部にあるもの」として捉えようとしたことの失敗から機能主義を選んだのはいいが,すべてを機能と捉えることで「内部」を否定することが目的になるならば,それは「内部への歪んだこだわり」であり,「嫌いだからそれの専門家になってしまう」ようなことと似ているのかもしれない。

2012-08-27 08:39:51
渡邊芳之 @ynabe39

ただ芦田先生の機能主義批判は心理学を例に取ることは多くても機能主義一般について言っている場合が多い。心理学のように「そうなるべき歴史」を伴わなくても機能主義はもともと消去主義になるのだということがあるのだろうか。

2012-08-27 08:41:26
後藤 健 @123_euglena

喜怒哀楽の情動や感情は心のコンテンツの一部だと思うけど、渡邊さんのhttps://t.co/MZCYxn8J の定義に適合するのかな? ←「行動」は非顕在的行動、それともそれを含むすべての行動なのかな。行動という言葉も難しいね!movementも行動に違いないし。@ynabe39

2012-08-27 23:42:53
後藤 健 @123_euglena

ざっと読んだ感じで申し訳ないのですが、ふと次のようなことを:傾性概念(例えば内向性)の説明力は状況依存的という話。ミシェルによる反論で思ったこと。①心理学が、その特定の状況で正しく傾性を測定できている場合にのみ反例として使えるのではないか?@ynabe39

2012-08-28 00:08:48
渡邊芳之 @ynabe39

@123_euglena 情動喚起は生理的な性質の強いものですが、喜怒哀楽はそれと文脈が相互作用して与えられる「ラベル」ですからやはり「心の概念」でしょうね。

2012-08-28 00:11:30
後藤 健 @123_euglena

②傾性概念の妥当性が心理学として否定されたとしても、それは、心理学では通状況的に測定できないことを証明したことになるけど、例えば「内向性」という傾性そのものを否定したことにはならないのではないか、ということ。123_euglena @ynabe39

2012-08-28 00:13:50
後藤 健 @123_euglena

@ynabe39 例えば、楽しいなぁ、という感情の状態にあるとき、楽しいなぁという自意識をもたない場合も多く、その場合には言葉ではないのかな、と思ったわけです。

2012-08-28 00:16:48
渡邊芳之 @ynabe39

@123_euglena 傾性概念の状況依存性は「原理的なもの」で測定の妥当性とは別の問題です。また「傾性」そのものはそれが状況依存的でも「否定」されるものではありません。ただ単に「観察に完全に還元されるものだ」というだけの話です。

2012-08-28 00:17:12
渡邊芳之 @ynabe39

@123_euglena そうした傾性概念の性質についてはこれで https://t.co/stJw35od 概念の性質と測定の問題についてはこれで http://t.co/ouCleRLO 詳しく考えています。

2012-08-28 00:18:45
渡邊芳之 @ynabe39

@123_euglena 「楽しいなぁという意識」がないときにその感情が「楽しいなぁという感情」であることがどうやってわかるでしょうか。生理心理学の研究によると感情における情動の喚起自体は量的なもので喜怒哀楽の間で質的な差はあまりないようです。

2012-08-28 00:25:18
後藤 健 @123_euglena

@ynabe39 どうもです。文献示されたら読まなくちゃ質問できないね。あとで読んでおきます。で、先ほどの「こころ」を「行動」という言葉で表したときの、行動の定義を教えてください。

2012-08-28 00:25:25
後藤 健 @123_euglena

@ynabe39 にこやかになります。いずれにしても、自分で意識できるかどうかとは独立に喜怒哀楽の感情という「状態」がある、ということです。

2012-08-28 00:28:09
渡邊芳之 @ynabe39

@123_euglena 行動の定義はさまざまですがもっとも包括的なのは「生体が環境に影響を与えること」です。また行動と行動でないものを分ける方法としては「生きている個体にはあって死んでいる個体にはないものが行動である」と言っている人もいます。

2012-08-28 00:28:42
後藤 健 @123_euglena

@ynabe39 とすると、振る舞いbehaviorのすべて、ということですか?

2012-08-28 00:30:19
渡邊芳之 @ynabe39

@123_euglena 先ほども書いたように心理学者はふつう「喜怒哀楽についての意識」や「喜怒哀楽についての言語的表現」がないときに,情動に意識や表現とは独立に喜怒哀楽という質的な種類があるとは考えていません。それは「わからない」からです。

2012-08-28 00:31:15
渡邊芳之 @ynabe39

@123_euglena 行動という言葉は behaviorの訳語です。

2012-08-28 00:32:00
渡邊芳之 @ynabe39

@123_euglena さっきの論文の内容はほとんど先日さし上げた「性格とはなんだったのか」の中にとり入れられています。ですから本のほうを読んでいただいていれば「念のため」の意味です。

2012-08-28 00:33:19
後藤 健 @123_euglena

@ynabe39 いや、それは幾らなんでも僕でも知ってますよ!ただ、行動というと、振舞いとはニュアンスが違うかな、と。でも、まぁ、振舞いのすべてが行動であり、つまりその機能的総体?だったかな?が心、ということですか?

2012-08-28 00:35:11
渡邊芳之 @ynabe39

@123_euglena 「心の概念」を生み出す「総体」のなかには行動だけでなくそれが生じる文脈も含まれます。「ある文脈の中である行動をすること」あるいは「しないこと」の総体が「心」として「名づけられ」ます。

2012-08-28 00:39:41