「心の概念」を生み出す「総体」とは

7
渡邊芳之 @ynabe39

@123_euglena すみません今日はもう寝ますね。おやすみなさい。

2012-08-28 00:42:04
後藤 健 @123_euglena

@ynabe39 なるほど、行動選択の「決定」に関わるすべて、ということね。咄嗟の反射的(非意図的な)行動を決定する因子も、そこに含めていいんですよね。

2012-08-28 00:43:43
後藤 健 @123_euglena

@ynabe39 どうも有り難う。おやすみなさい。

2012-08-28 00:44:11
渡邊芳之 @ynabe39

@123_euglena これはいいポイントなので明日時間があれば考えます。おやすみなさい。

2012-08-28 00:44:45
後藤 健 @123_euglena

@ynabe39 (心とはズバリ)『「人の行動やその機能の総体につけられた名前」です。つまり「言葉」です。』⇒https://t.co/MZCYxn8J:この文章中、「総体」そのものが実体としての心(心自体)、それにつけられた「言葉」が「心という言葉」と理解してOKですか?

2012-08-29 17:19:19
渡邊芳之 @ynabe39

@123_euglena 「総体」につけた言葉(総体を名づけ指示するために使われる概念)が「心」であることはその通りです。これは「心」自体もそうですし「意志」「思考」「意欲」「感情」のような「心の概念」についてもそうです。

2012-08-29 17:40:54
渡邊芳之 @ynabe39

@123_euglena それで「総体」が「実体」であるかは議論が分かれると思います。「実体」とは「そのもの」のことであると考えれば「総体が実体」です。「どこか特定の場所にあってそのものをなんらかの方法で見たり触ったりできるもの」が「実体」であれば実体ではありません。

2012-08-29 17:43:42
渡邊芳之 @ynabe39

@123_euglena 一般に心理学者や心を研究する人々が「心には実体はない」という場合には「心そのものがどこか特定の場所にあってそれを見たり触ったりできるようなことはない」という意味で「実体はない」と言っています。

2012-08-29 17:45:54
渡邊芳之 @ynabe39

@123_euglena 逆にいうと,ある概念の「そのもの」である機能や性質の総体を「実体」と呼んでもよいとすると,霊魂とか神のような概念もそれが人々に作用する機能や性質を持っている限りは「実体がある」と言ってもよいことになると思います。

2012-08-29 17:47:52
渡邊芳之 @ynabe39

@wordblow @123_euglena 「定義」がなされなくても多くの人は「人参であるもの」と「人参でないもの」を区別することができます。そのことについて非常に詳細に考えたのがヴィトゲンシュタインで,そこでは「家族的類似性」という概念が提唱されます。

2012-08-29 17:53:02
渡邊芳之 @ynabe39

それで昨日の「咄嗟の反射的な(非意図的)行動を決定する因子」も「心(と呼ばれる総体)」に含めてよいのかという話ですが,これについては「当然含めてかまわないが,心的概念の実際の用法ではそれが心的概念によって説明されることは少ない」といえると思います。 @123_euglena

2012-08-29 17:56:57
渡邊芳之 @ynabe39

「明らかに非意図的な行動」や「明らかに偶然の行動」を「意識」とか「意図」とか「欲求」とかの「心の概念」で説明することはもともとはあまりなかったと思います。これはそうした行動の「機能」が意識されないからです。 @123_euglena

2012-08-29 17:58:53
渡邊芳之 @ynabe39

それを大きく変えたのがフロイトです。フロイトはちょっとした言い間違いとか,夢だとか,神経症的な行動とか,それまで不合理で無意味な行動と考えられていた多くの行動に「環境への適応という機能」があることを指摘しました。 @123_euglena

2012-08-29 18:00:51
渡邊芳之 @ynabe39

そしてフロイトはそうした「一見無意味だがほんとうは機能を持つ行動」の原因を「無意識の精神力動」という「心の概念」によって説明しました。「その行動の機能が意識されて初めて心の概念があてはめられる」よい実例だと思います。 @123_euglena

2012-08-29 18:03:03
渡邊芳之 @ynabe39

フロイト自身は医学・生理学の教育を受けた科学者で,「無意識の力動」には生理学的・生物学的な基盤があると考えていました。フロイト以降の精神分析学は人文学的な発展をしましたが,フロイトがもし今生きていれば興味を持つのは脳精神科学や進化心理学だろうと思います。@123_euglena

2012-08-29 18:08:47
後藤 健 @123_euglena

詳しい説明を有難うございます。心理学によるやや特殊な用語のとらえ方(あるいは逆に僕?)が如実に表れていて、これまでの「すれ違い」の大きな原因だったろうなと再認識しました。お分かりかと思いますが、総体:実体というのが僕の認識です。もちろん、それは視点依存性ですが@ynabe39

2012-08-29 18:30:18
後藤 健 @123_euglena

「見たり触ったりできるもの」という言葉に「行動主義」的見地が。マッハ主義というのだったかな?https://t.co/io2xxgPxとかhttps://t.co/8Jp1LLSHとか、「実体」より「研究しうるかどうか」という基準の優占姿勢を表明した言説か? @ynabe39

2012-08-29 18:41:13
後藤 健 @123_euglena

霊魂は「心のコンテンツ」としては実在しうるものと思いますが、それと「無意識の力動」の実在を対置することは僕の立場ではあり得ません。後者の実体が何であれ「心のコンテンツ」だけでは済まない「物理学的」構造を指しているからです。@123_euglena @ynabe39

2012-08-29 18:47:07
渡邊芳之 @ynabe39

@123_euglena 「研究しうるかどうか」それはその通り。これは「行動の定義」の問題ともつながりますが,これはまた時間のある時に。

2012-08-29 18:48:35
後藤 健 @123_euglena

先日も例示したような、視交叉上核に解剖学的に鎮座する生物時計。それを我々は感覚的に自覚することはできませんが、例えば、意識の覚醒度を時々刻々制御していることを否定できないように、という意味でね。@123_euglena @ynabe39

2012-08-29 18:50:58