武芸者の七難について他

「武芸者が越えなければならない七難」について 案外、ネット上に転がってなかったので、メモとしてあげておきます。 あと、この七難をまとめた流派(合伝流)についての話が後半入ってますが、 こちらは余談ということで。
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神無月久音 @k_hisane

昨日、どこにいったかわからんと言ってた兵法者が越えなければならない苦難についてのテキストが見つかったのでやれやれ。せっかくなので忘備も兼ねてここに書いておく。

2012-08-30 21:01:47
神無月久音 @k_hisane

出典は薩摩に伝わる砲術流派・合伝流の伝書である「武教私言」。現物がなく、写本が鹿児島大学付属図書館にあるが、公開されてないので原文は不明。【鹿児島大学付属図書館コレクション-合伝流武教私言】http://t.co/JgAu9DZn 今回は戸部先生著「考証宮本武蔵」記載のものを使用

2012-08-30 21:07:56
神無月久音 @k_hisane

曰く、「武者修行者たる者は、七難を克服して、武道を成就しなければならない」と説いているそうで、その七難を順に記載してみる。

2012-08-30 21:09:48
神無月久音 @k_hisane

一、寒天、炎暑、風雨に身をさらして、嶮山難路を歩行する

2012-08-30 21:10:45
神無月久音 @k_hisane

二、草野に臥し、山に寝る

2012-08-30 21:11:21
神無月久音 @k_hisane

三、路金用糧も貯えず、飢えを凌ぎ、寒さは衣服だけで防ぐ

2012-08-30 21:12:12
神無月久音 @k_hisane

四、国々に合戦があれば、陣場を借りて手柄をあらわし、あるいは武芸者に逢えば仕合勝負を決し、あるいは辻斬り、強盗を切り伏せ、あるいは取り籠もる者を捕える

2012-08-30 21:13:35
神無月久音 @k_hisane

五、悪霊悪風のあるもの凄い場所、あるいは妖孤悪蛇などの害あって、人の通らないところを、独りで往来する

2012-08-30 21:14:44
神無月久音 @k_hisane

六、囚人となって牢獄に下り、勇力智弁をもって、これを脱する

2012-08-30 21:15:23
神無月久音 @k_hisane

七、わが身を卑賤に落とし、農民のもとで草鞋を作り、鎌鍬の技をしながら、渡世を営む

2012-08-30 21:16:36
神無月久音 @k_hisane

と、こんなところであります。現代語訳されてるので、文章が平易な感じですが。なお、これをこれが書かれたのは大体安永・文明の頃(1772~1788)というので、江戸時代も後期の頃になりま砂。その意味では、「戦国期の武芸者の心得」として扱うと、ちょっと微妙かもしれませんな。

2012-08-30 21:21:02
神無月久音 @k_hisane

むしろ、戦国期の武芸者の心得として上げるなら、ト伝兵法百首か石舟斎兵法百首辺りの方がまだ合ってるかも。まあ、石舟斎兵法百首は結構変り種なので、ト伝百首の方がいいかもで砂。なお、ト伝兵法百首は日本武道全集(1巻か2巻のどっちか)に全文が載ってま砂。

2012-08-30 21:28:40
神無月久音 @k_hisane

ト伝兵法百首がいくつか載ってたとこがあったのでご紹介をば。他の流派の道歌も載ってま砂。【道歌】http://t.co/pLW57ANQ 留意するべきなのは、ここでト伝が言及してるのは、「武士」の心得であって、「兵法者」の心得ではない、ということで砂。重複すれどもイコールではないと

2012-08-30 21:58:12
リンク www.ne.jp 不羈、道歌Still
神無月久音 @k_hisane

あと、この合伝流ってどんな流派なの、と調べたところ面白い記事が。【南日本新聞-さつま人国誌「異端の軍学者 徳田邕興-島津の勇猛伝説にメス」】http://t.co/9efeM2XT この徳田邕興(小藤次)が合伝流開祖なのですが、藩主の怒りを買って奄美に十二年流されたりしてるので砂

2012-08-30 21:33:35
リンク 373news.com 鹿児島の情報は南日本新聞 - さつま人国誌 - 鹿児島県を代表するローカル紙「南日本新聞」の公式サイト。鹿児島のニュース、生活情報、レジャー観光、気象情報、桜島ライブカメラなど地域ポータルとしてご活用ください。
神無月久音 @k_hisane

で、この人が何を言って怒られたのか、というと、先ほどの記事の引用になりますが、こんな感じ。

2012-08-30 21:36:16
神無月久音 @k_hisane

【徳田はまず、戦国島津氏が勇猛で強かったという俗説を断固否定する。「薩州の士卒悉く鬼神にはあらざる故、一人にて十人の敵に切り勝つべき様なし」と述べて、薩摩兵児だからといって、一人で10人を倒せるはずがないと喝破する】

2012-08-30 21:36:56
神無月久音 @k_hisane

【それでも、敵に勝てたのは城下士も外城士も鉄砲に熟練し、みずから撃ったからだと述べる。鉄砲の活用こそが勝利の秘訣というわけである】

2012-08-30 21:37:43
神無月久音 @k_hisane

【義弘の戦法についても、「島津惟新(義弘)の戦法は、騎馬入れ、長柄鎗の業を用いず、諸士すべて鉄砲を携え持ち、鉄砲一色にて敵陣を打ち崩すのを第一とする」と、その特徴をつかんでいる】

2012-08-30 21:37:51
神無月久音 @k_hisane

【しかし、関ヶ原では、義弘の甥(おい)で先陣をつとめた島津豊久(日向佐土原城主)が「前積り」を怠ったと厳しく指摘している】

2012-08-30 21:38:27
神無月久音 @k_hisane

【「前積り」とは、一種の事前準備のことで、いくさの前に、大将たちが陣所の前に出て、射手が10人ずつ、代わる代わるに鉄砲を撃てるように配置を定めて、混乱が生じないよう地面に印を付けておく。これらが「前積り」である】

2012-08-30 21:38:36
神無月久音 @k_hisane

【ところが、「鉄砲の前積りもなく、あわただしく急いで鉄砲を撃ち出してしまったので、多数の敵と揉み合いになって混雑し、惟新さまの備えと先手の豊久が離れ離れになり、お互いに救い合うこともままならず、豊久の討死も早すぎた。これは前積りを怠った誤りである」と、義弘と豊久を批判する】

2012-08-30 21:39:23
神無月久音 @k_hisane

【もっとも、「前積り」を周到にしたからといって、結果が劇的に変わったとは思えない。少数の島津軍に勝ち目はなかった。それでも、敵のことより、味方の大将がしかるべき手を打たず、最善を尽くさなかったことを指摘するあたり、徳田の面目躍如たるところで、さすがの義弘も形なしである】

2012-08-30 21:39:42
神無月久音 @k_hisane

と、まあ、こんな塩梅の事を主君(島津重豪)相手に言ったのと、あと、重豪が島津家の家風に残る蛮風を改めようと、甲州流軍学の導入を検討したところで、それが机上の空論であると言い、島津の旧制軍法を再評価したりしたこともあって、藩主の怒りを買った様子。

2012-08-30 21:43:30